ちょうど5か月前、12月14日から8日間で、「冬のサンチャゴ・デ・コンポステーラの旅 」 に出かけた。
短い旅だったが、カソリック教徒の巡礼の地であるサンチャゴ・デ・コンポステーラの、クリスマスを前にした街のたたずまいと、 スペイン最西端の岬フィステーラの断崖から見た、薄日射す冬の大西洋の波濤は、とても心に残った。
(巡礼の目的地の大聖堂)
(大西洋を望む)
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ローカルが先になり、メインがあとになった。
今回はイベリア半島西南部、地中海をはさんでアフリカ大陸に間近に向かい合うアンダルシア地方 ( グラナダ、コルドバ、セビーリャ) 、 そしてイベリア半島の中央部・首都マドリッド近辺の、トレド、セゴビアという、 スペインの歴史の表舞台となった地方や都市を旅の目的地とする。
特にアンダルシア地方は、かつてイスラム勢力がイベリア半島を支配していたときに都が置かれた地であり (コルドバ)、キリスト教勢力の反転攻勢に対して、最後まで踏みとどまった地でもある (グラナダ)。暗黒の中世ヨーロッパの中で、最も華やかな文明が花開いた。そして、今もイスラム文化の残り香がかおる地方である。
白壁の家々、花いっぱいのパティオ(中庭)、アラベスク模様のタイル、回廊や泉、そしてフラメンコ……。
紀元前、カルタゴの名将ハンニバルは、イベリア半島で兵を養い、ローマへ進撃した。
カルタゴは、アフリカ大陸の北岸に航海民・フェニキア人がつくった地中海を制する覇権国家だったが、ローマは苦闘の末にハンニバルを破り、カルタゴを倒した。その結果、イベリア半島もローマの支配圏に入る。
ローマ帝国の時代、イベリア半島は五賢帝のうちの二人を輩出し、パクス・ロマーナを謳歌した。
西ローマ帝国が崩壊すると、イベリア半島にはゲルマン民族の一族、西ゴード族が侵入して、王国をつくった。
一方、アラビア半島に興ったイスラム教は、わずか100年で、地中海に臨むアフリカ北岸を席巻・支配し、怒涛の勢いでイベリア半島まて攻め込んできた。西ゴード王国は壊滅する。
当時にあって、ローマ文明の精髄を最もよく継承していたのはイスラム教徒 (モーロ人) であり、イベリア半島は、彼らの進んだ文明・文化のもとに、キリスト教も、ユダヤ教も信仰の自由を認められて、ヨーロッパ世界で最も学問が花開き、繁栄した。
やがて、イベリア半島の北方と東方に追い詰められていたキリスト教徒によるレコンキスタ (領土回復戦争) が起こり、数百年の戦いを経て、モーロ人の築いた最後の王国グラナダも陥落させる。
そして、マルコ・ポーロが新大陸を発見し、大航海時代を経て、世界に植民支配を広げる時代へと進んでいく…。
このように、イベリア半島は、良くも悪しくも、 異民族が激突し、征服しあい、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教という異なる一神教同士がぶつかりあった歴史を持つ。
このような文明の激突は、ユーラシア大陸の東の果て、黒潮洗う島国、日本にはない。
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5月14日 (火) …… KLオランダ航空で、 関空を出発し、アムステルダムを経由して、マドリッドへ。
5月15日 (水) …… マドリッド 9:05発 、グラナダ13:30着。
< グラナダ観光 (アルバイシン) >
5月16日(木) …… < グラナダ観光 (アルハンブラ宮殿) >
5月17日(金) …… タクシーで 、 グラナダ9時発。途中、モンテフリオに寄り、 14時ごろコルドバ着。
< コルドバ観光 >
5月18日(土) …… コルドバ9:44発 、セビーリャ10:30着。
< セビーリャ観光 >
5月19日(日) …… セビーリャ8:45発 、マドリッドで乗り換えて、トレド12:53着。
< トレド観光 >
5月20日(月) …… トレド10:25発 、 マドリッド10:58着。
< フラメンコ観賞 >
5月21日(火) …… 長距離バスで 、セゴビア往復。
< セゴビア観光 >
5月22日(水) ‥‥ マドリッドを10:20に出発し、アムステルダムで乗り継ぐ。
上空からのオランダは、スペインと比べると、いかにも潤い豊かな緑の土地であるように思える。
5月23日(木) ‥‥ 関空着8:30。
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帰路、1万メートルの上空で、月を見た。ウサギがいた。
十三夜 / ユーラシア大陸を / ひと跳びに
( 続く )