オロチを退治したあと、スサノオは須我の地で、愛するクシナダヒメと暮らした。
その後のスサノオの半生について、『古事記』に叙述はない。
『古事記』に記述されているのは、その後の婚姻関係と、生まれた子、孫、ひ孫などの名であり、つまり系図である。 そして、6世の孫、オオクニヌシの名が出たところで、物語は若き日のオオクニヌシへと移る。
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< 兄たちに命をねらわれるオオクニヌシ >
オオクニヌシは、その少年期から青年期の初めにかけて、多くの異母兄たちにいじめられ、ついに殺されそうになる。
『古事記』は、なぜ異母兄たちがオオクニヌシを憎んだのか? どうして弟を殺そうとしたのか? どんな気持ちで? などということを語らない。ただ、起きた「事」のみを叙述する。
が、多分、様々な利害損得があったにせよ、兄たちたちはこの若者の持つ類いまれな資質に嫉妬し、それが高じて憎悪となっていったのだと想像する。
実際、オオクニヌシは、兄たちの策略に遭い、二度に渡って瀕死状態になる。息を吹き返したのは、母の必死の機転があったからだ。母は、このままでは息子は遠からず抹殺されると思い、遠く紀伊の国に逃がした。
ところが、兄たちは、紀伊の国まで執拗に追いかけてきた。 母の依頼を受けていた紀伊の神々が危機一髪で助ける。そして、言う。
「ここも、もはや危険です。もう私たちには、あなたを匿いきれません。かくなる上は、スサノオの大神を頼りなさい。あなたを助けることができるのは、あのお方だけだ」と。
かくして、オオクニヌシは、根堅州国 (ネノカタスノクニ=不明) に、スサノオを訪ねて行くことになる。
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< オオクニヌシとスセリヒメの出会い >
再登場のスサノオは、とっくに引退し、妻・クシナダヒメにも先立たれ、今は末娘のスセリヒメと二人で、ひっそりと余生を送っていた。
(須我神社の参道の野の花)
オオクニヌシがスサノオの宮に着くと、その娘・スセリヒメが門に出、スサノオを見て、
「 目くばせして、あひ婚(ア)ひき」(『古事記』)。
今どきの若者でも、唖然とする。二人は、顔を見合わせた途端、互いに好きになリ、スセリヒメが目くばせして誘い、セックス(=結婚)した。
神代の人、いや神が、皆、こうだったのではない。かの乱暴者・スサノオでさえ、クシナダヒメとの結婚に際して、「オロチを退治したら、ヒメと結婚させてほしい」と、ヒメの両親に申し出ている。
さて、そのあと、スセリヒメは、宮の中に入って、何食わぬ顔で、「その父に申していはく、『いと麗しき神、来たり』と言ひき」。「とても素敵なお方がお見えです 」。
『日本古典文学全集 古事記 』 (小学館) の頭注によると、「スセリの語は勢いのままに進む意を表し、その名は彼女の積極的な性格にふさわしい。その性格は、オオアナムヂ(オオクニヌシの若き日の名) に出会うと、父神の承諾を経ずに結婚し、夫を苦難から救い‥‥などの行動に示される。 …… オオアナムジは、彼女との結婚により、スサノオの強大な力と勢いを手に入れて、大国主神となる」 とある。
※ スサノオ6代の孫のオオクニヌシと、スサノオの娘とが、なぜ同世代なのか、と、ちょっと疑問に思ったが、そのようなことは、この際、詮索しない。『古事記』の作者は、ただ、伝えられた神話を、「神話」として叙述しているのである。
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< 日本国最初の駆け落ち >
オオクニヌシを 「 いと麗しき神 」 と娘から紹介されたとき、スサノオは娘に、「これは、アシハラ・シコノオと言うぞ」 と言う。
アシハラ=葦原は、日本。 シコノオは、その国を担うほどの強い力を持った男というほどの意。 スサノオは、兄たちに殺されそうになって逃げて来たこの青年のポテンシャルを、一瞬にして見抜いたのである。
この世のことにすっかり興味を失っていたが、この若造は、オレの後継者となって、この国をもう一度平らかに統べる男だ。
スサノオはすぐに試練を与える。その夜は毒蛇の室に寝させた。また、別の夜には大きな蜂の室やムカデの室に寝させた。しかし、これらの試練はことごとく、スセリヒメの助けによって切り抜けるのである。
一度だけ、スセリヒメも、オオクニヌシが死んだと思い、悲しみの喪を用意したことがある。
スサノオが野に向けてかぶら矢を放ち、あの矢は大事なものだ、探して来い、とオオクニヌシに命じる。
矢を探しいると、スサノオが野に火を放つ。 火は人の走る速さを超えて燃え広がり、オオクニヌシはたちまち火に巻かれる。彼を助けたのは、野の鼠たちであった。
こうした試練ののち、オオクニヌシはスサノオの隙を見て、スサノオの太刀と弓矢を奪い、スセリヒメをつれて逃げる。 日本史上、最初の、命がけの駆け落ちである。
気づいて怒り、後を追跡したスサノオは、遠く逃げる二人を見たとき、二人に向かって、大音声で言祝 (コトホ) ぐのであった。
「 若造! その太刀と弓矢で、兄たちを蹴散らせ!」
「 そして、この地上世界の王を意味する 『 大国主神 』 という名を名乗れ!」 ( オオクニヌシは、このとき、スサノオが与えた名である )。
「 それから、我が娘スセリヒメを妻とし、天にそびえる大宮殿を建てよ。 コノヤロウ!」。
(オオクニヌシを祀る出雲大社参道)
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< スサノオの与えた試練の意味 >
以上が『古事記』の記述である。
なぜ、スサノオは、オオクニヌシを殺そうとしたのか?
『古事記』は、なぜ、 どうして、に答えない。
ただ、スサノオは、オオクニヌシを見た瞬間、娘に、「これは、この国を統治するほどの強い男だ」と評価している。
また、スサノオというと、暴れん坊のイメージだが、彼のオロチ退治の経緯を見ても、知恵もあり、愛もある、英雄である。
故に、スサノオがオオクニヌシに与えた試練、毒蛇や大蜂や大ムカデの室に寝させるという試練は、スセリヒメが助けて乗り越えることぐらい、百も承知であったと解すべきであろう。
言わば、安全確保したバンジージャンプだ。 もし、安全確保の蔓が切れたら‥‥それはそういう定めの、不運な若者であった、というしかない。 大人になるためには、危険を冒してジャンプすることも必要なのだ。
一度だけ、野で火に巻かれたときは、スセリヒメにも助けられなかった。
だが、そういう危機を乗り越えてこそ、人々のリーダーになれるというものだ。 スサノオも、オロチと戦うという危険を乗り越えて、「スサノオ」になったのだから。
それに、鼠たちが彼を助けた。そうなのだ。リーダーになるには、思ってもいないような、いろんな人の助けが必要なのだ。
イエスを抱く聖母マリアのような、全てを包んでくれる優しい愛も必要である。
しかし、保護されてばかりでは、子どもは大人になれない。
子どもが大人になるためには、そびえる「壁」も必要である、と説くのは、臨床心理学の河合隼雄である。 スサノオは、「壁」になったのだ。
この話を、通過儀礼の象徴と読み解く説は、納得できるものがある。
( 続 く )