( 宍道湖 )
クシナダヒメと結婚したあとのスサノオの生活は、静かで、満ち足りた、心やすらぐ日々であった。
文豪・芥川龍之介は、その作品「老いたる素戔嗚尊」で、次のように描いている。
「 彼は新しい妻と共に、静かな朝夕を送り始めた。 風の声も波のしぶきも、或いは夜空の星の光も今は再び彼を誘って、広漠とした太古の天地に、さまよわせることは出来なくなった。
(中略)
彼は妻にも優しかった。 声にも、身ぶりにも、眼の中にも、昔のような荒々しさは、二度と影さえも現さなかった。
しかしまれに夢の中では、暗闇にうごめく怪物や、見えない手のふるう剣の光が、もう一度彼を殺伐な争闘の心につれて行った。 が、いつも眼が覚めると、彼はすぐ妻の事やの事を思い出すほど、きれいにその夢を忘れていた。」
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< 出雲第一の縁結びの神社 >
八重垣神社は、佐草という地にある。
須我神社からは遠くない。 車でわずかな距離ではあるが、これまでの鄙びた、草深い里から、郊外とはいえ、松江市に入る。
川辺神社や須我神社と違い、広大な駐車場があり、観光バスもやって来て、 参詣者、見学者が多い。
人気の神社なのだ。 その分、いささか俗っぽいと感じる。
スサノオが須賀の地に宮を建て、「八雲八重垣」の歌を詠んだことは「記紀」に記述があるが、ここ、「佐草」という地名は、「記紀」には登場しない。
もともと、ここには、佐久佐神社という村社があった。 のち (戦国時代末期という説あり )、八重垣神社が併置され、やがて八重垣神社の方が有名になってしまった。 庇を貸して母屋を取られた、のである。
神社の由緒書きによると、スサノオはオロチを退治する間、この地にクシナダヒメを避難させ、八重垣で囲った。 オロチを退治したあと、ここに(も)新居を造ったのだ、とある。
年月と共にスサノオの声望は広がっていき、あちこちの族長たちにも畏敬の念をもって迎えられるようになり、自ずから出雲地方の首長へと押し上げられていったことだろうから、その宮も何度かの移転があり、或いは、何か所か存在し、ここもその早い時期の一つと考えてもよいが、ちょっと苦しい。
(八重垣神社‥鳥居の先の太い注連縄)
とにかく、この神社の人気の(成功の)秘密の第一は、スサノオの新婚の歌から採った「八重垣神社」という名前にあるだろう。今や、自ら称して、「出雲第一の縁結びの神社」である。
出雲大社に参詣したら、続けて八重垣神社にも、という 若い女性参拝者が多いらしい。 出雲大社と比べたら小さくて、野の花のようでもある。
神社の後方には、「奥の院」と称する一角がある。樹木が鬱蒼として、湧き水の池がある。もともとは、古神道の霊場だったのかもしれない。
由緒書きによれば、スサノオはここにクシナダヒメを隠し、八重垣をめぐらせたのだそうだ。 その小さな湧き水の池に、クシナダヒメは毎朝、姿を映して、身づくろいをした。
若い女性参拝者は、社務所で売られている紙をこの池の水面に浮かべ、紙に硬貨を乗せる。その沈み方で、縁占いができるという仕組みだ。 これがテレビや女性週刊誌に紹介され、評判になった。
さらに、もう一つの人気の理由。
この神社の宝物館には、かつてこの神社の壁画であったクシナダヒメ、スサノオ、アマテラス、その娘のイチキシマヒメなどの、まだほのかに色彩の残った絵が収納されている。神社の伝承では9世紀の巨勢金岡の作だが、実際は室町時代のものらしい。それでも、重文である。
宝物館の拝観をしたが、クシナダヒメの、ぽっと紅のさした頬は、みずみずしい。 グラビア雑誌に採られ、絵葉書にもなっている。
PR上手な神社とかお寺というのはある。 当代の宮司がそうだと言うのではない。 すでに江戸時代には、この神社は、それなりに人気の神社だったようだ。
(八重垣神社の拝殿前で)
神社のお隣の、オシャレなレストランの日本蕎麦は美味しかった。
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< スサノオ終焉の地へ >
『出雲国風土記』によると、出雲地方の各地を平定したスサノオは、最後にやって来た地を自分の名から「須佐」と名づけ、自らの魂を鎮める終焉の地とした、とあるそうだ。
須佐は、今は出雲市に編入され、その遥か郊外にある。
松江市郊外の八重垣神社から山陰自動車道に入って、宍道湖の南側を、東端から西端まで走り、一般道に下りてさらに1時間ほど。遥々と運転して、山間部の草深い地にある須佐神社に着いた。公共の交通機関はないそうだ。
( 須佐神社 )
須佐神社は、伝説の英雄の終焉の地らしく、ひっそりと静かで、つましい。
スサノオ、クシナダヒメ、そして、クシナダヒメの両親が祀られている。
( 塩の井戸 )
拝殿から横に回って本殿を見ると、この神社も、出雲大社や、出雲地方の出雲系の神社と同様の大社造りになっている。
( 須佐神社の拝殿に続く本殿 )
写真、右手の拝殿から、屋根の付いた階段があり、階段に続く本殿入り口は、本殿正面の右半分に開いている。
( 図 : 大社造リ )
(出雲大社・本殿)
本殿は全て正方形。真ん中に芯柱があり、さらに柱は、四隅と、それぞれの間にある。
図の太線が壁だから、神座の神様は入り口(拝殿)に対して横向きにお座りになっている。
今年、リフォームされた、出雲大社の本殿の造りも同じだ。
しかし、何と言っても、出雲地方の神社のかっこ良さは、拝殿の注連縄の堂々たる姿だ。これを見ると、「出雲だ!」と感動してしまう。
(出雲大社・拝殿の注連縄)
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実際の旅はまだ続くが、「スサノオ伝説の旅」は、スサノオの終焉の地で、一応終わりとする。
旅の紀行は終わるが、そもそもこの旅に出るきっかけとなったのは、芥川龍之介の「 老いたる素戔嗚尊」という短編小説を詠んだ感動である。
芥川は、英雄・スサノオの晩年を、『古事記』を基にしながら、『古事記』とは異なる姿で見事に形象化している。
それを、私なりに、紹介したい。
まずは、『古事記』に描かれた、老いたるスサノオ像から ……。( 続く )