ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

モンレアーレ大聖堂と、ヴェネツィア、ラヴェンナのモザイク画 … 文明の十字路・シチリアへの旅 6

2014年07月27日 | 西欧旅行…シチリアへの旅

< モンレアーレへ >

 シチリアの第2日目は、州都パレルモに別れを告げて、観光バスでモンレアーレとセリヌンテを見学し、アグリジェントまで行く。

 モンレアーレは、パレルモから西南へ8キロ。アラブ人による農業改革で生まれたコンカ・ドーロの沃野を見下ろす海抜300mの丘の上の小さな町だ。

 ノルマン人が日常使っていたフランス語で、モン・レアルは「王の山」の意。

 この小さな山の町に何があるのか?

 ノルマン王朝の全盛時代の12世紀の後半に、ルッジェーロⅡ世の孫のグリエルモⅡ世が造らせた大聖堂である。 

 大聖堂(司教座の置かれる聖堂)は、もともとノルマン王国の首都パレルモにあった。そのうえ、ルッジェーロⅡ世が海岸の町チェファルーに造らせた大聖堂があり、昨日、見学したばかりだ。

  さらに、パレルモからわずか8キロしか離れていないここにも…?

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 < 教権との戦い >

   中世のこの時代、教権と王権の争いは激しかった。

   キリスト教は、古代、中世ばかりでなく、近世、近代に至るまで、歴史の評価や文学作品の価値判断まで含めて、学問、芸術を含むこの世のあれこれに強い影響力をもってきた。西欧社会がキリスト教(宗教)の世俗的影響力を克服するようになってきたのは、近年のことと言ってよい。

   1077年、教皇グレゴリウスⅦ世(在位1073~85)は神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒⅣ世を破門し、その結果、皇帝は諸侯たちに見放され、カノッサ城にいる教皇に対して、門前で雪の降る中3日間、素足で立って許しを乞わねばならなかった。有名な「カノッサの屈辱」である。

   教皇権の絶頂期を実現したインノケンティウスⅢ世(在位1198~1216)は、「教皇は太陽、皇帝はそれを受けて光る月」 と言ってのけた。

   ノルマン王朝につながる皇帝フリードリッヒⅡ世(在位1212~50)の生涯も、結局は教皇権との戦いの生涯であったと言える。フリードリッヒ(イタリアではフェデリーコ)が皇帝として、或いはノルマン王家の王としてやったことの数々は、200年後のルネッサンスを先取りするような開明的な事柄であったが、それらはことごとく教皇との対立の火種となった。教皇は何度も彼を破門したが、彼の直属の部下たちも、兵士たちも、民衆でさえ、天国へ行けなくなることを恐れず、フェデリーコから離れることはなかった。彼の教皇への反論は、「神のものは神へ。カエサルのものはカエサルへ」 (新約聖書のイエスの言葉) ということに過ぎない。人の魂のことは教皇であるあなたが、この世の政治のことは皇帝である私が、ということである。(参照: 塩野七生『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』)。

   しかし、フェデリーコの死後、ノルマン王朝につながるホーエンシュタウフェン家の一族は、教皇の策謀のもと、次々に攻め滅ぼされ、断絶してしまう。

 フェデリーコに先立って、ルッジェーロⅡ世 (在位1125~1130) がチェファルーに、その孫グリエルモⅡ世 (在位1166~1189) がモンレアーレに大聖堂を建てたのは、シチリア王権の上に君臨しようとするパレルモの大司教の力を削ぐためであった。

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< モンレアーレ大聖堂のモザイク画 >

   駐車場から坂道を上がって行くと、ほどなくヤシの木の繁る大聖堂の広場に出る。

 

     ( モンレアーレ大聖堂 )

   広場側から見た大聖堂は、いかにもノルマンらしい、素朴でいかつい造りである。

   堂内に入ると、金色に輝く内陣の上方にキリスト像。その下に聖母子像、天使、預言者、聖人たち。

    ( 身廊と金色の内陣 ) 

 下の絵は、「キリストから王冠を授けられるグリエルモⅡ世」。言葉どおり王権神授説で、王権はキリストから与えられる。教皇や大司教によって王の地位が与えられるわけではない、ということか。

     

 この大聖堂は、柱頭より上の壁面の全てに金色燦然たるモザイク画が施されており、身廊には旧約聖書の創世記の物語が、天地創造から始まって壁面を二巡して描かれている。

 また、側廊の壁面には、新約聖書の物語が描かれている。

 下の写真の、上はイブの誘惑。下は、アブラハムがわが子を生贄にする場面。

  

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 堂内のモザイク画の総面積は6340㎡で、壁面がモザイク画で埋め尽くされているヴェネツィアのサンマルコ大聖堂でさえ4500㎡というから、モンレアーレの大聖堂の規模に驚く。

 ヴェネツィアのサンマルコ大聖堂に初めて入ったとき、黄金色の絵の美しさというものを初めて知ったように思う。

 

  ( サンマルコ大聖堂の金色のモザイク画 )

 金色の美しさは日本の絵画にもある。中でも俵屋宗達の金泥の絵は素晴らしく、宗達の絵に、本阿弥光悦が書を書いたものは、雅やかである。

 (芥川)

 

 (風神雷神図屏風の風神)

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< ラヴェンナの初期キリスト教会 >

 2002年6月、もう12年も前だが、ヴェネツィアに3泊したことがある。折しも、アフリカのサハラ砂漠を起源とするシロッコと呼ばれる南風が吹き、この風は地中海を越える際に高温湿潤の風になって、日本の梅雨を超えるような蒸し暑さで、時差による寝不足も加わ、苦しい観光をしたことがある。

 それでも、1日、鈍行列車を乗り継いで、ラヴェンナへ行った。

 ラヴェンナは、ヴェネツィアから西南へ150キロ。アドリア海に面した、人口15万人の中都市だが、馬杉宗夫『大聖堂のコスモロジー』(講談社現代新書) によると、初期キリスト教の聖堂を当時のままに見ることができるのは、この町を置いて他にはないそうだ。

 それは、402年に、西ローマ帝国が首都をラヴェンナに移したからである。

 首都を移してみても、既に瀕死の巨像である西ローマ帝国を支える展望はなく、人々はひたすらキリスト教に帰依するほかなかったから、新しい都には聖堂だけが建てられていった。

 476年、西ローマ帝国はついに滅亡。しかし、イタリア半島に侵入してきた東ゴードの王テオドリックもまた、ラヴェンナを首都とし、自らもキリスト教に改宗して、ラヴェンナに美しい聖堂を建てた。

 553年、東ローマ帝国皇帝のユスティニアヌスが東ゴード王国を攻撃、滅亡させ、イタリアは東ローマ帝国領となる。しかし、それも束の間、ユスティニアヌス帝が崩御すると、再び異民族の侵入を許し、都はローマに戻って、ラヴェンナの黄金期は幕を閉じた。

 その結果、皮肉にも歴史から取り残されたラヴェンナの初期キリスト教の建造物は、破壊されることなく、今に残されたのである。

 『大聖堂のコスモロジー』を読んで、我々がよく知るロマネスクやゴシック建築とは規模も趣も違う、初期キリスト教の鄙びた聖堂をぜひ見たいと思うようになった。

 そして、12年前の旅で初めて、素朴な初期キリスト教聖堂の中にひっそりと輝くモザイク画の数々に出会ったのである。

        ★

< ラヴェンナのモザイク画 >

 サン・ヴィターレ聖堂は、6世紀半ば、東ローマ帝国領となって建てられた初期キリスト教聖堂である。

 外観は素朴なレンガ造りの正八角形集中方式の建物で、おそろしく蒸し暑い日であったが、中に入るとクーラーの部屋入ったようにひんやりして涼しかった。

 後陣の正面のモザイク画は、「天使に囲まれ玉座に座るキリスト」像。

 だが、それよりも、その左右の、「ユスティニアヌス帝とその随臣たち」と「皇妃テオドーラと女官たち」が強く印象に残った。

 後陣部に、キリストやマリア、天使、新旧約聖書の人物ではなく、世俗の人であるビザンチン帝国の皇帝と妃が描かれるのは珍しい。

 全員正面を向いている絵に古拙の趣があり、その色調が多彩で美しく、近代絵画にまさるとも劣らないと思った。

  ( 皇妃テオドーラと女官たち )

 テオドーラは昔、身分の低い踊り子だったが、ユスティニアヌスに見初められて、妻に迎えられる。やがて、ユスティニアヌスは皇帝となり、蛮族と戦って、東ローマ帝国の版図を最大にして、大帝と呼ばれるようになるが、彼が弱気になったとき、テオドーラは叱咤激励して励ましたと言う。

 絵で見ると、美女の踊り子だった時代の面影はなく、なかなか気が強そうで、それより女官の二人目、金色のショールをまとった女性が、若く気品があって、美しい。

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 サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂はラヴェンナの郊外にあって、徒歩ではムリ。しかし、かねてグラビア誌で見たモザイク画をぜひ見たくて、タクシーで行った。行って、やはり感動した。

 東ゴード時代の末期、549年に完成したパリジカ様式の赤茶けた聖堂に入ると、身廊の後陣正面上のドームいっぱいに、目指すモザイク画が広がっていた。

 柔らかい色調の緑の草原に、樹木や灌木、野の花。両手を広げた牧者と12匹の羊たち。

 磔刑のキリストに代表されるキリスト教美術の暗さ、おぞましさがなく、牧歌的で、メルヘンチックと言ってもいい、優しい、穏やかさが画面に満ちあふれていて、見飽きなかった。こういうキリスト教なら好きになれそうだ

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 シチリアの旅は続くが、中世のモザイク画との出会いはこれでおしまいで、このあとバスは、遥かに遠く紀元前の古代へと向かう。(続く)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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