( ロカ岬の断崖の上を歩く人 )
ユーラシア大陸の最西端、ロカ岬に立った。
雲一つなく良く晴れて、ここで1時間ほど寝転がっていたいと思った。
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< ポルトガル王室の夏の離宮があったシントラ >
ベレン地区を出て、途中、レストランで昼食をとり、ポルトガル王室の夏の離宮があったシントラへ向かった。
シントラはリスボンから西へ約30キロ、近郊鉄道で行けば40分のところにある。
首都リスボンに隣接する市だが、大西洋に近く、しかも鬱蒼とした森におおわれ、年中、温暖な気候で、夏の気温は大都会のリスボンより10度も低いという。これは、ドライバー兼ガイドのMさんの英語による説明であるから、まちがって聞いたかもしれない。樹木がいかに大切かということを強調していた。
町の名は、ローマ時代、この地に、シンシアという月の女神を祀る、月の神殿が造られたことに由来する。
丘の上に城跡があるが、これは、イスラム時代 (後ウマイヤ朝) の8~9世紀に、ムーア人 (イスラム教徒) によって築かれたものである。天気の良い日には、ここから大西洋を望むことができるという。
(ムーアの城跡)
12世紀には、初代のポルトガル王となったアフォンソ1世 (ブルゴーニュ王朝) が、イスラム教徒からシントラを奪還した。
その後、平和が訪れると、緑濃い森の中に、王室の夏の宮殿が建てられ、時の流れの中で、王室の避暑地としていくつかの離宮が建てられた。
これらを含め、「シントラの文化的景観」 として、世界遺産に登録されている。
リスボンからここまで近郊鉄道があるので、今は、ロカ岬へ行くための拠点でもある。
我々のツアーは、シントラの街と深い緑の中を走り、シントラで最も標高の高い丘の上に築かれたベーナ宮殿で車を降りた。各自でこの宮殿を見学する。
ベーナ宮殿は、19世紀に建てられたものだから新しい。しかし、シントラにやって来た観光客には一番人気がある。その外観は、えーっうっそー と驚く奇抜さだ。ディズニーランドも顔負けである。
(ディズニーランドのようなベーナ宮殿)
この宮殿を造らせた王様は、ドイツのロマンチック街道の終点にあるノイシュバンシュタイン城を造った「狂気の王様」、ルートビヒ2世と従弟同士の関係だそうだ。2人で競い合ったのかもしれない。
(ドイツ・バイエルンのノイシュバンシュタイン城)
ノイシュバンシュタイン城は、白鳥城という名のとおりに、大変美しい。ディズニー映画のモデルになったと言われるが、それは本当だろう。私も含め、日本人観光客には、特に人気がある。
が、ノイシュバンシュタイン城の中に入るとずいぶん奇抜な部屋もある。例えば、ディズニー映画の「バンビ」の舞台になった森の中を再現したような部屋である。なぜ、部屋の中に森をつくるのか?? 常人には、わからない。
若きバイエルン王は、この城を造るのにバイエルン王国の財政を傾け、民を苦しめて、ある日、湖に浮かんでいた。事故死とも、国を思う家臣に暗殺されたとも言われる。しかし、今では世界から観光客が押し寄せて、バイエルン地方への経済的貢献は計り知れない。歴史とは皮肉なものである。
(「ロマンチック街道」の旅はこのブログを始める以前の旅である。写真を中心にして、いつかブログで紹介したい)。
一方、ベーナ宮殿の王様は、婿としてポルトガル王になったが、特に悪い王様ではなかったようだ。だが、美的センスにおいてはルートビヒ2世にかなり劣る。人民大衆の子どもたちのために「遊園地」をつくろうとしたのならともかく、自分のためにこれをつくったのだから、いかにも趣味が悪い … と私は思う。
観光客は喜ぶのだろうが、私は「奇岩絶景」や、「謎の〇〇」や、歴史の裏話や、拷問道具の数々などには興味がない。どちらかというと、「ムーアの城跡」の方に行きたかった。
(ディズニーランドのようなベーナ宮殿)
内部は、普通によくある宮殿のしつらえや調度があって、特筆するほどのものはない。ただ、ステンドグラスに面白い色合いがあったので、写真に撮った。何の絵だかわからないが、12、3世紀の教会のステンドグラスとは趣を異にし、現代絵画に近い。
(ステンドグラス)
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< ユーラシア大陸の最西端、ロカ岬に立つ >
シントラから車で30分ほど走って、この旅のハイライト、ユーラシア大陸の最西端、ロカ岬にやってきた。
岬の手前には1軒の売店と、大きな駐車スペースがあり、たくさんの乗用車、そして観光バスも1、2台、駐車していた。さすがに観光客も多い。
( 岬の突端に石碑が見える )
岬の突端に、石碑が立っているのが見えたので、その方へ向かって歩く。
日本で、岬は、山嶺が海に向かって落ちていった所だ。山の延長の峰だから、岬には樹木が繁り、草木が生えている。
ここは、山ではない。荒涼とした広がりをもつ大地である。果てしなく続くように思われた大地が、思いがけなくも、突然、終わって、足元から海に落ちた、という感じである。
突端の石碑には、「CABO DA ROCA」と刻まれていた。「ロカ岬」。「CABO」は「岬」だろう。
ジェロニモス修道院の中のサンタ・マリア教会に、棺が二つ、安置されていた。一つは、ヴァスコ・ダ・ガマ。 もう一つは、ポルトガルを代表する大航海時代の詩人・カモンイスの棺である。「そなたの前には、時至らねば現れぬかもしれないが、海の果てに日本がある。清き白金を生み、神の光に照らされているその島が」と謳った詩人である。
石碑の「CABO DA ROCA」のすぐ下に、「AQUI … 」で始まる小さな文字列がある。── 「ここに地終わり、海始まる カモンイス」。
(カモンイスの石碑)
大地が終わる、大地が果てる、…… 確かに、そういう感じである。
石碑を見て、そして、振り返れば、…… 足元の大地が切れ落ちて、高さ140mの断崖。そして、大西洋が始まっている。
( 「ここから海始まる」 )
向うに灯台のあるので、そちらへ向かう。
お天気がよく、のどかに晴れ、海を望む岬は歩いていて心楽しい。30分で車に帰ってくるように言われたが、1時間くらい、この風に吹かれて、寝そべっていたい気持ちだ。
( ロカ岬の白と赤の灯台 )
先ほどの石碑の方を振り返ると、一点の雲もなく、晴れすぎるほど晴れた青空と、光る海との間に、ロカ岬の最先端の断崖が見えた。
( ロカ岬の断崖に立つ石碑 )
一方、灯台に近づくにつれて、灯台の立つ巨大な断崖の荒々しさが迫ってくる。
龍飛岬も荒々しいと思ったが、その比ではない。樹木の育たぬ荒れた大地が、ついにここで尽き果てた、という荒々しさだ。
龍飛岬や、北海道の岬には、「たどり着いたら、岬のはずれ 」 (石原裕次郎「北の旅人」) と口ずさみたくなる、人恋しい淋しさ、哀感が伴う。
ここには、そういう情感や感傷はない。大自然は、人の心を超えて、非情である。
ユーラシア大陸の西の果てまで来た …。ここは、ユーラシア大陸の終わる所にふさわしい岬だ。
(灯台のある岬の断崖)
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< リスボンのショッピング街を歩く >
今日の行程をすべて終え、車はしばらく海岸線を走ったあと、リスボンへ向かって高速道路に入った。
この季節のヨーロッパの日没は遅い。
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少しリスボンの町歩きに慣れておこうと、レスタウラドーレス広場で降ろしてもらって、ホテルまでウインド・ショッピングしながら歩いた。地下鉄に乗れば2駅と少々の距離だが、テージョ川に向かってゆるやかな下りの道である。
ロシオ駅は、あのシントラへ行く近郊線の出る駅だ。美しい駅舎である。
( リスボンのロシオ駅 )
ロシオ駅のある広場は、リスボンを代表するロシオ広場。中央には初代ブラジル国王となったペドロⅣ世の像が立つ。
( リスボンのへそ、ロシオ広場 )
ロシオ広場から、建物の赤い屋根越しにサン・ジョルジョ城がのぞいていた。
ユリウス・カエサルの時代に要塞として築かれたのが始まりで、そのあと、2000年の間、歴史の大変動、民族と民族、宗教と宗教の激突を見てきた城塞である。
今は公園になって、リスボン観光に欠かすことのできない名所の一つだ。
(ロシオ広場からサン・ジョルジョ城を望む)
歩行者天国のアウグスタ通りを歩いて行くと、終点に「勝利のアーチ」がある。アーチの向こうはコメルシオ広場で、テージョ川が大西洋の河口に向かってゆったりと流れている。
(アウグスタ通りから)