ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

2つの小さな町・ナザレとオピドス … ユーラシア大陸の最西端ポルトガルへの旅 8

2016年12月29日 | 西欧旅行……ポルトガル紀行

  (丘の上の旧市街から見たナザレの海岸) 

< 大西洋のリゾートの町・ナザレ >

 首都リスボンから約120キロ。ナザレは大西洋に臨み、砂浜が続く、リゾートの町である。

 ナザレと言えば、イエス・キリストが成長したパレスチナの村の名で、成長して、イエスは人々から「ナザレの人・イエス」と呼ばれた。

 ポルトガルの西海岸の村がナザレと呼ばれるようになったのは、4世紀に、パレスチナのナザレから、一人の聖職者が聖母マリア像を持ってやって来た、という伝説によるらしい。

 4世紀のパレスチナに「聖母崇拝」があり、像が造られたか、疑わしい。こういうキリスト教にまつわる町や個々の教会の起源伝説は、あくまで伝説として聞き流しておく。ただ、それが真実でなくても、それも含めて人々の歴史であり、文化の一部であるから、聞く耳はもつ。

 町は3つの街(教区)によって成り立っている。海岸の北側と東側の丘 (崖) の上にできた2つの街。もう一つは、海岸沿いの街である。

 最初に人々が住み着いたのは、丘の上。

 なにしろ、19世紀まで、フランス、イギリス、オランダなどからやてくる海賊の襲撃・略奪があったというのだから、ヨーロッパとはどういう所かという一面をうかがい知ることができる。

 

   (丘の上の旧市街の街)

 ドライバー兼ガイドのジョアンくんのバンは、ヘアピンカーブの急坂を上がって、海岸の北側にある丘の上の旧市街へやってきた。

 これが崖の上の街かと、不思議な気がする。ここに、ノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会があり、パレスチナのナザレからもたらされたという聖母像が安置されている。

 広場の端にある展望台へ行くと、そこには …… 水平線まで広がる大西洋、赤い屋根の連なるナザレの海岸線、そして緑の丘陵 …… なかなかの絶景だった

 

        ( 展望台から大西洋を望む )

      ( 海岸線のリゾートの街 )   

 車で海岸までおりて、各自、昼食休憩となる。海岸沿いはリゾート客のための街で、レストランと土産店が並び、すでにシーズンオフだが、大勢の観光客が歩いている。

 ジョアン君の薦めてくれた3軒ほどのレストランのなかから、海岸に面した1軒に入り、ポルトガル名物のイワシの塩焼きを頼んだ。

 これは日本人にも合う。粗塩が効いて、美味しかった。ただ1匹が大きく、それが3匹もあって、ジャガイモも幾つか添えられていて、ワインを注文すると、ボトルごとドンと出され、ちょっとしんどかった。値段は安い。

 砂浜は豊かで、海はサーフィンの好適地だ。ハワイなどと並んで、世界大会も開かれる。夏はヨーロッパ中から大勢のバカンス客がやってくる。

 浜の北端に、先ほど立った展望台のある丘が、岬となって大西洋に突き出していた。

  

     ( 砂浜の広がりと旧市街のある丘 ) 

                                                       

     ( ショッピング街と崖の上の街 )

 その丘は、下から見上げると、上にあの旧市街があるとは思えないほどの荒々しい崖で、美しい砂浜の北側に異様な壁として立ちはだかっている。何度見ても、違和感は消えない。やはり、日本とは違う。ユーラシア大陸の西の果て …… 地終わり、海始まる所である。

          ★

< 城壁に囲まれた小さな中世の町・オピドス >

 午後の日は傾いてきたが、日没までにはなお十分に時間がある。

 車はナザレからリスボンの方へ引き返し、ツアーの最後に、オピドスに寄った。

 丘の上に、城壁で囲まれた可愛い町が、瞬時、姿をのぞかせ、ほどなく城壁の外の駐車場に到着する。

 この小さな町は、ローマ時代につくられた。イスラム勢力の統治する時代を経て、レコンキスタによってポルトガル王国の町になる。

 ブルゴーニュ王朝の1210年、アフォンソⅡ世がこの可愛らしい町を、王妃に捧げた。

 また、ブルゴーニュ王朝の最盛期の1282年、ディニス王が結婚に際して、「Wedding Present Town」として、王妃に贈った。

 以来、この可愛い町は、ポルトガルの歴代の王妃の直轄領となり、王妃のリゾート地になった。

 こういうロマンチックな物語があって、今、ポルトガルの観光名所の一つとなっている。人々は物語に惹かれてやって来るのだ。

 城門を入ると、城壁をくぐり抜ける通路は直角に2度曲がって、敵の直線的な侵入を防いでいる。イスラムの城門の、特徴的な構造だ。時代は変わって、そこには、アコーデオン弾きのおじさんが、いつもアコーデオンを弾いている。

  (城壁の門の中のアコーデオン弾き)

 城壁に囲まれた中世の町は、メインストリートといえども、狭い。その両側に綺麗な店が並んで、観光客がたくさん歩いている。

 城壁のなかに住んでいる人は800人ぐらいとか。きっと暮らすには不便なのだろう。ドイツやオーストリアを旅するとよくある、中世風の小さな観光の町だ。

   (メインストリート)

 人々の流れにのってゆっくり20分も歩くと、もう終点のサンタ・マリア広場に着いた。

 正面の石段の上に可愛いサンタ・マリア教会。

 その後ろには、石造りの小さな城塞。今は、「ポサーダ・ド・カステロ」という、ちょっと高級なホテルになっている。ポサーダは、歴史的な建造物を維持していくために、国がホテルにしたもの。「中世のお城で優雅な一夜を。予約は早めに」とPRしている。物語の王妃になった気分で、人気なのだ。

  ( サンタ・マリア教会とお城のホテル )

                             ★

 夕方、やや遅く、リスボンに帰った。

 この夜は、ファドを聞きに行く予定だったが、体調が悪くなって、晩飯も食べられず、ベッドに倒れて、寝た。

 こってりした食事が合わず、睡眠不足が重なって、最近は、旅行中1回はダウンする。まあ、年のせいだ。

 ファドに行けなかったのは悔いが残ったが、翌朝には回復していたので、良しとしよう。

 この日から、1日2食。その2食も、決して食べ過ぎないようにする。注文のとき、少なめにしてくれ、半分でいいと言って、それでも多いときは、遠慮なく残す。料理を残すのは料理人に対して少々申し訳ないが、料理人のために食っているのではない。自分の健康が第一だ、── と言い聞かせた。

 帰国した頃には、日ごろ、目標としていた体重になっていた。

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  みなさん、お元気で、良い新年をお迎えください。

 

 

コメント
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