ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

カッパドキアで奇岩・奇勝を見る ① … トルコ紀行(10)

2018年08月18日 | 西欧旅行…トルコ紀行

  岩窟教会のフレスコ画。上は、天使がマリアに受胎告知する場面。下は、弟の死を嘆き悲しむ姉たちのもとへやって来たイエスが、死んだラザロを復活させる場面。

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民家の岩窟住居を訪問する >

 カッパドキア観光の初めに、今も残る岩窟住居の民家を訪問した。

 時代が下がると、もう信仰とは関係なく、親子代々、岩窟住居を住みかとして暮らす人々がいて、村を形成していた。

 ところが、近年、政府の観光行政によって立ち退きを要求され、今ではもう5家族しか残っていないそうだ。

 そうした1軒を、ガイドのDさんの案内で訪問した。

 大地からにょきっと生えたような、とんがり帽子型の巨岩。巨岩といっても、カッパドキアの数々の巨岩・奇岩の群れと比べれば、ごく小さな岩の塊で、庶民の家族が暮らす一戸建て住宅の大きさと言ってよい。

  ( 今も人の住む岩窟住居 )

 そのとんがり帽子岩の裾の部分に沿って地面から付けられた石段を上がり、ぽっかりと穿たれた戸口から入った。

 屋内は外見から見る以上に広い。きちんと整えられた居間に招じ入れられた。

 写真撮影は禁止なので写真はない。

 30名を超える一行がムリせず床に座ることができる広さだ。床にはカッパドキア地方の名産品である良質の絨毯が敷かれて、石の冷たさはない。窓も穿たれていて、明るい。

 奥さんと娘さんがお茶をふるまってくれ、しばらくの時間、会話した。

 他にも2、3の部屋があるそうだから、家の中は一般的な住居とあまり変わらないように思える。

 見学を終え、外に出て、あたりを見渡すと、よく似たとんがり帽子の岩が数多く地面から生えていて、戸口や窓と思われる穴が開いている。だが、人は住んでいないようだった。

 観光という観点なら、単なる地学的な景観より、人の暮らしと、文化と、歴史が感じられる方が一層興味を引くようにも思う。先ほどの奥さんに、家族の歴史を聞いてみたいような気がした。

 しかし、上下水道やトイレや、そのほか現代文明にかかわること、そこから波及する景観保護のことまで、外国人観光客にはわからないもろもろの問題もあるのだろう …… と思う。

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ギヨレメ野外博物館やゼルベの谷などを見学する >

 民家からバスで移動し、「ギヨレメ野外博物館」へ向かった。

 ギヨレメは町の名だが、付近一帯の奇岩・奇勝地帯と、フレスコ画も残る30もの岩窟教会の遺跡を併せて、町の名をとって「ギヨレメ野外博物館」として保護されている。カッパドキアを代表する自然・文化遺産だ。

 ここの岩山は、先ほどの民家のかわいいとんがり帽子のような岩とは異なり、もっと巨大な岩塊で、思い思いにという風にいくつも穴が穿たれ、ぽっかりと開いた暗い穴と穴とを石段がつなぎ、また、内部でつながっているのだろうか、ずいぶん高い所にも穴が開けられている。ここは一戸建てではなく、マンションなのだ。

     ( 岩窟住居の跡 )

 さらにギヨレメを有名にしたのは、5世紀ごろから数世紀にもわたって、迫害を逃れ定住した修道士やキリスト教徒たちによって穿たれた、30余りの岩窟教会があり、その内部には12~13世紀に描かれたとされるフレスコ画が残っていることだ。

 そのうちの見学できる2、3をのぞいた。

 見学が許された範囲のフレスコ画は稚拙なものが多いように思ったが、下の写真は、光が入らなかったため特に保存状態がよい「暗闇の教会」の入口に掲示されていたパネル写真である。これらは完成度が高く、特に色彩感が素晴らしいと思った。

   ( パネル写真 )

 その一部を拡大してみた。冒頭の写真も、このパネルの拡大写真である。

 左の絵は最後の晩餐。右は磔刑図。磔刑図は、イエスの足元の両脇に、母マリアと弟子ヨハネが描かれている。これは磔刑図の決まりである。

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 また、バスで移動して、「ゼルベの谷」へ向かった。

 ガイドのDさんの話。

 カッパドキア地方には大小の町や村が点在しているが、荒涼とした土壌、冬は寒さが厳しく、夏は乾燥する高原気候のため、農業に向きません。ワイン用のブドウ栽培がわずかに行われているだけ。

 収入源はもっぱら牧畜。そして、羊毛を使った絨毯づくりです。トルコと言えば絨毯だが、カッパドキアがその本場です。

  ( 荒涼とした大地 )

   ( 村里の風景 )

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 ゼルベの谷に広がる奇岩・奇勝地帯と、そこに残された遺跡は、ゼルべ野外博物館として保護されている。

 ここの岩は、どこもかしこも巨大なキノコお化けだ。

 9世紀~13世紀に多くのキリスト教徒が定住した。そのため、岩窟教会や地下住居の跡が無数にあり、現代になっても、つい30年ほど前までは小さな一つの村落を形成していたそうだ。

 

   ( ゼルべの谷 )

   谷の中の小道を散策して歩いた。

 その後また、バスに乗って移動する。

 

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 眺望の良い所にバスが停まった。今日の最後の見学は、「ラクダ岩」。

 パーキングがなく、道路の端にバスは停まる。他の観光バスもやって来るから、バスはまさに崖っぷちに詰めて、身を寄せ合って駐車する。

 バスから降りて、見渡せば、遠くまで奇岩が並ぶ目の前に、ラクダらしき岩があった。これを見るために、わざわざここに立ち寄ったのか!!。

 観光地の岩に名を付けるのは、日本人も得意とするところ。何でもない岩が、名を付けられて、名勝になる。

 まわりの奇岩の群れを眺めていたら、あった!! 「3人のプリンセスたち」。命名者は私。ラクダより良いのではないか??

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ゼルベの谷で『カッパドキア・プロジェクションマッピング』を鑑賞する >

 1日の見学を終え、ホテルへ。

 バスを降り、少し歩いて到着した今夜の宿は、洞窟ホテル。明日も1日、カッパドキア見学だから、このホテルに2泊する。

   大きな岩場を穿って部屋が造られている。入口の部屋には広いバスタブもある。その奥に寝室。トルコに来て泊まったホテルの中では一番ゆったりした部屋だった。ただし、入口の横以外に、窓がない。

 その夜は、バスに乗って、もう一度ゼルベの谷へ行き、『カッパドキア・プロジェクションマッピング』を鑑賞した。

 とっぷりと日の暮れた真っ暗な山の中の道を、ドライバーは車のライトの光だけで走った。

 そして、丘の急斜面に設えられたずり落ちそうな席に座り、谷の向こうの巨岩の壁面に映し出される映像を鑑賞する。

 内容は、アナトリア地方の最初の統一国家ヒッタイト王国から始まるトルコの歴史である。劇画風で、なかなかの迫力だった。

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 この夜は、おそくなった。

 半数の人たちは、明日の早朝、オプション参加で、気球に乗りに行く。

 朝日が昇る上空から、カッパドキアの奇岩・奇勝を眺めたら、きっと素晴らしいだろうと思う。

 私は … あれもこれもと欲張るあわただしい旅は嫌なので、ゆっくり起きる。

 参加しない方を選んだ大半の人は、数年前、カッパドキアで起きた気球落下事故が頭にあったからだと思う。素早く飛び降りた運転士は助かったが、観光客に死者が出た。実際、このツアーの添乗員氏は、ツアー会社は一切責任を負えません、と言った。熱心に勧めたのは現地ガイドのDさんである。Dさんはトルコ人として、もう一度、カッパドキア観光を隆盛にし、ここで働いている人たちを応援したいのだ。

 私が参加しなかったのは、あれもこれもと自分の目を楽しませるだけの、あわただしい旅を好まないからである。

 私は、ヨーロッパの歴史と、その歴史をつくってきた人々のものの見方、感じ方、考え方、ライフスタイル ── 一言で言えば文化 ── に興味があって旅をしてきた。そして、その挙句、「元ヨーロッパ」であったトルコにまで足を延ばしている。

 だから、アナトリアの歴史や人々の営みを規定した、カッパドキアの風土には興味を抱いた。「こんな荒涼とした大地にも人々は住み、独特の歴史と文化をつくってきたのだ!!」と。

 だが、風土と自然とは違う。自然そのもの、自然としての奇岩・奇勝・絶景に、私は興味がわかない。

 妙な格好をした岩を見ても、ほとんどなんの感動もおきないのである。威張って言っているのではない。私の見ている世界の範囲と限界を述べているのである。私の旅は、何でも見てやろう、という旅ではない。

 

 

 

 

 

 

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