(ドナウ川の白い雲)
<ゲルマンは森の民>
最後の日の夕方になって新発見。ホテルのそばにバス停があり、くさり橋を渡って王宮の丘へ直行する。…… まあ、路線バスは、大阪市内でも手こずるから仕方ない。
王宮の丘のレストランで、ハンガリー風の料理を注文した。
横の席では、3人組の品のいい初老のおじさんたちが陽気にビールを飲んでいた。すっかり髪が白くなった人、頭髪の禿げかかった人、顎髭に白いものが混じっている人。今は仕事をリタイアし、青春時代にワンゲル仲間だった気の置けない友人たちと、男同士の旅に出たという感じだ。
話しかけられた。ドイツ人だろうと思っていたが、やっぱりそうだった。
ドイツ人はビールを飲むと開放的になり、近くの誰とでも乾杯して飲みかつ歌う。── 今日という日の花を摘め ──。
フランス人はたとえ席がくっついていても、プライバシーには立ち入らない。英国人は紳士だから、一応慎み深い。アメリカ人は開放的だが、見知らぬ他人になれなれしくすれば、いつ二丁拳銃をぶっ放されるかわからない。日本人は自分が所属する組織の外に対しては赤の他人だ。
陽気なおじさんたちは、遠い日本からやってきた旅人とブタペストの王宮の丘で話したことを、孫たちに話したかったのかもしれない。
ドイツからサイクリング車で観光しながら、仲間たちでここまでやって来たそうだ。
ドイツ人は定年退職したら郊外の森の中に家を建て、毎日、キノコ狩りなどして暮らすことを人生の究極の楽しみとしている、と聞いたことがある。
「ワンダーフォーゲル」はドイツ起源の言葉で、ワンダーは「放浪する」。ワンダーフォーゲルは「渡り鳥」。
ゲルマンは森の民なのだ。
ローマ人は森の木を伐採して農場をつくり、小麦を主食とした。だが、ドナウ川の対岸はローマ人が立ち入れないような深い森。森の民たちの世界だった。
英語でしゃべってくれたが、こちらはあまりしゃべれないので、話はそこそこ。
テーブルの上に置いていたカメラを見て、「写真を撮ってあげよう」と写してくれた。
★
<草原の民だったマジャール>
日はとっぷり暮れた。
マーチャース教会はライトアップされ、横に建国の父・聖イシュトヴァーンの騎馬像がシルエットとなって立っている。
(マーチャース教会と聖イシュトヴァーンの騎馬像)
この国の人たちは、もと草原の民だった。遥々とこの地までやって来て、キリスト教徒となり、この地に王国を打ち立てた。
丘の上から見下ろすドナウ川の流れは暗く、国会議事堂のドームだけが浮かび上がっていた。
(国会議事堂)
ここから眺めるペストの街は暗い。
ドナウ川の水の上やペスト側から眺めるくさり橋、その上に浮かび上がる王宮やマーチャース教会のライトアップは圧巻だ。主役はこちら側なのだ。
遅くなったので、タクシーに乗り、一気に丘を下り、橋を渡ってホテルに帰った。
★
<美しい街をつくろうという意思>
(くさり橋とマーチャース教会)
ホテルの5階の窓の正面に、王宮がくっきりと浮かび上がっていた。斜め右手には、真珠のネックレスのようなくさり橋。その上方のマーチャース教会が圧巻だ。
ブダペストは「ドナウの真珠」。
町を彩る建造物は古いものではない。だが、大国の圧迫をはねのけ、美しい自分たちの都をつくろうという意思が感じられた。
★ ★ ★
5月31日。晴れ。
朝8時にタクシーを呼んでもらった。空港まで25ユーロ。申し訳ないくらい健全な料金だ。
フェリヘジ空港のルフトハンザ航空の窓口でチェックイン。パスポート検査もスムーズだった。
手続きを全て終えて、ほっとして、搭乗口ロビー近くのスタンドで朝食。空港の建物も新しくて奇麗だ。
11時、ブダペストを離陸。
12時40分、フランクフルトに到着。巨大空港の中を歩いて、日本便のロビーまで移動する。
ここまで来れば日本に帰ったようなものだ。帰って来たなという安堵感の底に、充実感と心地よい疲労感がある。
現地時間で14時5分、フランクフルト発。雲の隙間からドイツの田園風景を見下ろし、美しいヨーロッパに別れを告げた。
飛行機は地球の自転に逆行して時速1000キロ近くで進み、たちまち夕方となり、そして、夜の帳が下りる。
うとうとしているうちに7時間の時差を超えて、東の空が茜色になり、早朝の日本海はひとっ飛び。
日本は、山また山の、緑の深い島国だ。
★
6月1日。晴れ。
8時10分、関空到着。
関西空港から早朝の空港連絡橋を渡るとき、今朝も真っ青な海が見えた。空港を出るといきなり海。天気が良ければ海の青が本当に美しい。
多分、関空に到着して初めて日本に入国する外国人も、美しい国へやって来たと思うことだろう。
★
<旅の終わりに>
季節は5月。ヨーロッパが一番美しいときだ。
ウィーンだけ雨で寒かったが、あとの4都市は快晴だった。
(パッサウ付近)
ローカルな鈍行列車に乗り、なぜかその列車が停まって、駅と駅の間をバスで走り、迎えの列車を乗り継いだ。
ハンガリーへ入るときは、ジェームズ・ボンド氏がロシアのスパイと格闘した、あの名アクション場面を思い起こすような6人掛けのコンパートメントの列車だった。
レーゲンスブルグやパッサウや夜のブダペストでは、ドナウ川をクルーズ船で楽しんだ。カップになみなみと注がれた白ワインは美味しかった。
しかし、大都市ウィーンのカフェ「モーツアルト」で注文した白ワインは、大きなワイングラスの底に5分の1ぐらいしか入っていなかった。
読売俳壇から
軽やかなチターの調べ冬木立 (神戸市/遠藤音々さん)
俳句で、映画『第三の男』の世界をとらえていて、秀作です。
ドナウ川は、川面に樹々の深い緑や青空が映り、遠くに白い雲が浮かんでいた。
銀色の兜に赤いマントをなびかせたローマの巡察兵の姿はさすがにイメージしにくかったが、どの町も中世以後の歴史と文化を感じさせ、何よりも美しかった。
鈍行列車でのんびりと旅をするヨーロッパの人たち。
道を間違えたのではないかと不安になりながら、山の中を一緒に歩いたマダムやムッシュたち。
「あの山の向こうはバーバリアンの地だよ」などと冗談を言ったたくましく日焼けした自転車のおじさん。
昼はサイクリングで、夜はビールで乾杯するリタイア後のドイツ人たち。
街角で親切に声をかけ、道を教えてくれた若い女性やマダム。
陽春のドナウの旅は、その美しい景観とともに、人の温もりも感じた旅だった。
季節のもつ明るさと人の温もりが、のちに、このブログの名を、「ドナウ川の白い雲」と名付けさせた。
心に残る旅だった。
(ブダペストを流れるドナウ川)
(了)