( アルハンブラとシェラ・ネバタ山脈 )
ずっとあこがれていた景色があった。アルバイシンの丘から眺めるアルハンブラ宮殿。その向こうには、雪を頂いたシェラ・ネバタ山脈がある …。
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昨夕、関空から空路でマドリッドに着き、マドリッド・アトーチャ駅から徒歩で10分というホテルに泊まった。
ホテルにチェックインしたあと、駅の下見に行った。初めての大きな駅なので、明朝、グラナダ行きの特急が出るホームがわからず、迷うのではないかという不安があった。乗り遅れてはいけないし、大きな駅でうろうろしていたら、スリ、窃盗グループにねらわれる。
駅からの帰り、にわか雨で少し濡れた。
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< スペインの乾いた大地を走る >
今日は5月15日。 マドリッド・アトーチャ駅発9時05分の特急に乗った。グラナダ行きの午前の便は、これ1本しかない。
列車が動き始めてまもなく、美人の客室乗務員が朝食を運んできた。飛行機並みのサービスだ。しかし、昨夜、アトーチャー駅で買った寿司を、朝、ホテルで食べたから、コーヒーだけもらう。
スペイン鉄道 (RENFE) は、飛行機や都市間バスとの競争が激しく、その分、料金やサービス向上に努めているそうだ。
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スペインの大地は広々としているが、フランスやドイツの田園風景と比べると、乾いて、荒涼としているように見えた。
( 車窓風景 )
広い大地に、突然のように、丘の盛り上がりがあり、丘のてっぺんには城塞や堅固な教会があって、その下に寄り添うように集落がある。平地に住まず、丘の上で暮らすのは、幾世代に渡って文明の衝突が繰り返されたからであろう。それでも、近代的な新しい町は麓の平地にある。
断層が現れている個所を見ると、石ころだらけの赤茶けた土の層で、その一番上の薄い表層に草がへばりついている。その表面の草地も、石ころだらけだ。肥沃な土壌とはとても言えず、素人目にも農業で生きていくには悲観的になる。
4時間半の列車の旅の後、13時30分、グラナダ駅に着いた。
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< イスラム教徒の最後の都、落日のグラナダ >
グラナダは人口26万人の中都市。
8世紀の初め、地中海を渡って侵入してきたイスラム教徒たち (モーロ人) は、西ゴード王国を亡ぼし、後ウマイヤ王朝を建て、西欧キリスト教世界を凌駕する優れた経済、芸術、学問を成熟・繁栄させた。最盛期は10世紀である。
一方、イベリア半島の北端と東端に追い詰められていたキリスト教勢力のレコンキスタ (国土回復運動) は次第に勢いを増し、北のカスティーリア王国と東のアラゴン王国とに統一されて、11世紀にはトレドやマドリッドなどイベリア半島の中央部まで侵出してきた。
そして、12世紀、カスティーリア・アラゴン連合王国が成立する。
13世紀初め、カスティーリア・アラゴン連合王国が、モーロ人諸王国の連合軍に決定的な勝利を収め、イベリア半島の南西部のアンダルシア地方にあったモーロ人の都・コルドバも陥落した。
首都陥落の後、1238年に、モーロ人の最後の王国として建国されたのが、ナスル朝グラナダ王国である。5、60キロも南下すれば地中海という地に追いつめられての建国であった。
しかし、劣勢は如何ともしがたく、グラナダ王国はカスティーリア・アラゴン王国に臣従して生き延びを図るが、ついに1492年、最後の王ボアブディルは、2年間の籠城戦の末、カスティーリア王国の女王イサベラに城を明け渡し、臣下とともに北アフリカに逃れた。
イスラム勢力の王朝がイベリア半島に誕生してから、最後の幕を下ろすまで、800年の歳月があった。
モーロ文化の香り高さを今に伝えるのがアルハンブラ宮殿であり、グラナダはクラッシックギターのもの哀しいトレモロが似合う、落日の都である。
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< アルバイシンの丘からアルハンブラ宮殿を望む >
グラナダの2泊のうち、1泊目は、ダロ川の渓谷をはさんでアルハンブラ宮殿を望むアルバイシン地区に。もう1泊は、アルハンブラ宮殿のそばにホテルをとった。
「ここから見るシェラ・ネバタを背景にしたアルハンブラ宮殿は、世界一美しく、そして哀しい」と、『地球の歩き方』 にも記述される。
ホテルに荷を置くと、まっすぐにサン・ニコラス展望台へ向かった。歩いてたった5分だ。そのために、このホテルを選んだ。
アルハンブラ宮殿の外観は、宮殿というより、城塞である。
右側が古く、谷 (旧市街がある) に臨む要塞・アルカサバ。
左側は、山側に位置するナスル宮殿。
( アルハンブラ宮殿全景 )
(シェラ・ネバタ山脈の雪‥‥望遠レンズで撮影)
アルハンブラとは、赤い城塞の意。なぜ、「赤い」と形容されたのかは、諸説があって、わからない。ただ、緑のなか、レンガ色の城砦が、雪のシェラ・ネバタ山脈を背景にして、美しく、もの哀しく、印象的だった。
しばらく、ただ見とれていた。
観光客がいる広場では、ギター弾きのおじさんが、クラッシックギターの名曲「アルハンブラの思い出」を、甘美に演奏していた。
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< 宿泊した小さなホテル >
この旅で7つのホテルに宿泊したが、アルバイシンの高台にある、王家ゆかりの修道院の、その一部を改修した小さなホテル「Santa Isabel Real 」は、ネット上でも大人気のホテルで、実際、とても感じが良かった。
サン・ニコラス展望台から徒歩5分と近く、周囲のイスラム風の邸宅はアルバイシンらしい雰囲気があった。
小さなパテオ (中庭) を囲んで各部屋があり、受付の若い女性も、快活で、フレンドリーだった。
( アルバイシンのホテルのパテオ )
ヨーロッパを旅していて思うのは、ホテルのレセプションにいる人の態度、雰囲気、マナーだ。 なぜか両極端で、フレンドリーな笑顔で、快活に、きちんと対応する人と、いつも不機嫌で、ふてくされたような、不快な態度を取る人とがいる。その印象の差は、かなり大きい。言葉の異なる旅人にとって、ホテルの良し悪しは、レセプションで決まると言っていいくらいだ。
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< アルバイシンを歩く >
陣内秀信、福井憲彦『地中海都市周遊』 (中公新書)から。
「そこから丘をずっと登っていった一帯が、アルバイシンという歴史的な住宅街区です。要するにアルハンブラの丘が上層階級が住むところで、アルバイシンは庶民階級の住むところだったのです。坂が立体迷路のようになっていて、ここを歩くのはすごくエキサイティングです。建物は当然のように、中庭構造が基本になっていますね」。
「今ももちろん人が住んでいて、非常に居心地の良さそうな住宅地です。しかも斜面ですから、ところどころに眺望の広がった広場、スポットがある」。
「道の角を曲がると、アルハンブラがパッと目の前に現れたりね」。
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宿泊したホテルの近くにもちょっとした展望台があり、翌朝、朝の光線を受けるアルハンブラ宮殿を目にすることができた。アルバイシンの白壁の向こうに見えて、やはり美しかった。
緑の生い茂った中にレモンの黄色い実がのぞいて、いかにも地中海風で、印象的だった。
( 朝の光のアルハンブラ )
紅山雪夫『魅惑のスペイン』 (新潮文庫)から。
「アルバイシンは不思議な魅力をたたえている街だ。
坂道に沿って白壁の家々が並び、曲がりくねった狭い道は突き当りばかりのように見えるけれども、そこまで行くとまた別の横丁とつながっていたり、不規則な形をした小さな広場に出たりする。
白壁の内側に見える木立は、土地の人がカルメンと呼んでいる独特の中庭だそうだが、入り口には木の扉が付いていて残念ながら道路からはまったく見えない。…」
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道が狭く、曲がりくねっているのは、防衛上の必要からだ。2年間の籠城戦ののち、アルハンブラにいた王や貴族や家来たちは降伏して、北アフリカへ脱れたが、一般庶民にいたるまでイスラム教徒のすべてが移住できたわけではない。
なかでも、アルバイシンの住民たちは、最後まで戦ったと言われる。
(アルバイシンの路地)
(アルバイシンの窓)
ガイドブックや出発前に見た外務省の情報によると、アルバイシンの治安は良くない ( アルバイシンの住民とは無関係 ) から歩かないほうが良いと書かれていた。サン・ニコラス展望台へ行きたいなら、旧市街からタクシーで行って、待たせて、タクシーで帰れとあった。そういうこともあって、歩く距離を短くしようと、サン・ニコラス展望台から5分のホテルに泊まった。
だが、ホテルのレセプションの快活な若い女性は、マップをくれて、旧市街のヌエバ広場まで下って行くルートを教えてくれ、治安については何も注意しなかった。それで、気を付けながらも、複雑な路地のなかを歩いて下りた。歩いてみると、危険な雰囲気は少しもなかった。欧米系の観光客も、そぞろに歩いていた。
帰りは、観光スポットを回る小さな赤い乗合バスに乗った。入り組んだ狭い路地を縫って、見事に走るのに、感心した。
夜はサン・ニコラス展望台のそばのレストランで食事をした。食事中、夕立のような雨が降り出し、雨に煙るライトアップされたアルハンブラ宮殿になった。ホテルまでの帰路、雨はあがったが、暗闇の5分間は少し緊張した。
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スペインにおいて、特に日本人 (「金持ち日本人」はその風貌・外見から一目で分かる) の被害は、グループで襲って道路に殴り倒し、カネやパスポートを奪いとるという荒っぽい強盗も含めて、すさまじいものがあったようだ。彼らは、日本人が貴重品をポケットに入れず、首から掛けていることも知っていて、力づくで奪うのだ。
だが、用心はしたが、この旅の間、大都会のマドリッドも含めて、危険を感じるような人影、人相、そぶりには、ほとんど出会わなかった。
日本大使館からの数年間にわたる繰り返しの要請と、これを受けたスペイン当局の厳しい取組みが功を奏して、今やパリなどよりも安全な国になったようだ。
ガイドブックに書かれているタクシーのぼったくりにも出会わなかった。 ( 続く )
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