( 圧巻のローマ水道橋 )
セゴビアは人口5万5千人。今は観光だけの、ローカルな町だ。
海抜1000メートルの高原にあり、途中、バスから雪をいただいた山脈も見えた。
イベリア半島にローマが乗り出してきたときには、すでに存在していた。早くからローマの協力者となって、町は発展する。その名残がローマ水道橋である。
ローマの崩壊後、西ゴード王国の時代、イスラムによる支配の時代を経て、1083年に、トレドよりも2年早く、カスティーア王国によって再征服される。
以後、セゴビアのアルカサルは、歴代のカスティーリア王の居城となった。
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< バスでセゴビアへ >
5月21日は、この旅の最後の一日。マドリッドから、日帰りでセゴビアを観光する。
トレドはマドリッドから南の方向へ約100キロ。一方、セゴビアは北西の方向へ約100キロの位置にあり、特急に乗れば30分少々で行ける。
だが、バスで行く。
スペインは都市と都市を結ぶ長距離バスが発達していて、バスを使う旅行者も多い。 料金が安いし、列車より便数が多く、意外に便利なのだ。
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ホテルの近くの地下鉄の駅「オペラ」から1駅で、地下にバスステーションがある「プリンシペ・ビオ」駅に着く。ここからセゴビアまで、直通バスで1時間15分だ。
バスステーションは、広大な地下空間だ。切符はどこで買ったらいいのか?? セゴピア行きはどこから出るのか?? 混雑した構内でとまどっていたら、「何か、お手伝いしましょうか?」と、日本語が聞こえた。振り向くと、リュックを背負った日本人の青年が立っていた。「 ぼく、待ち時間が1時間もありますから、お手伝いしますよ 」。
「 ありがとう。セゴビアに行きたいのですが」。
すぐに近くのインフォメーションへ行って、スペイン語で聞き、「こちらです」と連れて行ってくれた。広い構内の一番端がセゴビア行きだ。券売機で切符を買うのも手伝ってくれて、「もうすぐ発車ですね。よい旅を」と去っていった。
30代だろうか。バックパッカーの身なりだったが、社会人らしい落ち着きがあり、仕事でこちらに来ているのかもしれない。
父親よりも年上のおじさんが、外国人ばかりの混雑したバスステーション構内でうろうろしていたら、助けたくもなろうというものだ。ありがとう。
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< 白雪姫のお城と女王イサベルの戴冠 >
セゴビアの旧市街は、2本の小さな川に挟まれた高台にあり、城壁で囲まれている。その町の一番奥に、アルカサルがある。
バスステーションから、アルカサルまでタクシーに乗った。旧市街は、アルカサル見学後、帰りにバスステーションまで歩きながら、見学したらいい。
タクシーの運転手は、途中で、「ここがお城の一番の撮影スポットだよ」と言って、車を止めてくれた。感謝して、車を降り、急いで撮影する。
( エレスマ河畔からのお城の眺め )
ディズニーの「眠れる森の美女」のモデルになったと言われるお城は、ドイツのノイシュバンシュタイン城。セゴビアのアルカサルは、「白雪姫」のお城のモデルになったということで、人気がある。
お城の入り口には、若者たちや、中・高校生のグループがいた。
( お城の入り口 )
ローマ時代から城砦があり、あとから来た西ゴードも、イスラム勢も、その城砦を補修して使った。
1083年にカスティーヤ王国がセゴビアを奪還した後、12世紀末にアルフォンソⅧ世がセゴビアを本拠に定めて、城も建て替えた。それが現在の城の基礎となっている。
城内を見学し、152段の石段を登ると、大塔のテラスに立つことができる。
のびやかな起伏の向こうに水道橋が見え、別の方角には、雪を頂いた山並みを見ることができた。
( テラスから大塔を見上げる )
( 城からの展望 )
フランスのお城でも、ドイツのお城でも、外見はロマンチックに見えるが、中に入ると、石の壁に囲まれ、冷え冷えとして、殺風景なものである。日本のお城でも同じだ。
その石壁の一角に、イサベル女王の戴冠の絵が掛けられていた。聖職者に囲まれ、貴族たちを前にした若い女王の顔だけが、死者のように表情がなく、衣装も顔の色も白くて、異様な感じがした。
( イサベル女王の戴冠の絵 )
1474年、イサベルは、腹違いの兄エンリケの訃報を知ると、すぐにこの城で即位した。そして、結婚していたアラゴンの王子フェルナンドの助けを得て、彼女の王位継承に反対する貴族を制圧していった。
1479年、夫フェルナンドが、父王の死去に伴いアラゴン王位を継承すると、カスティーリア・アラゴン連合王国、すなわちイスパニア王国が生まれた。
そして、1492年、宿願としていたナスル朝グラナダ王国を陥落させ、レコンキスタ (領土回復戦争) を完成させる。
熱心なカトリック信者である。贅沢を好まず、夫を大切にし、子を育て、国民を愛し、慈悲深かった。
しかし、一方で、( 彼女の意思ではなかったという説もあるが )、イスラム教やユダヤ教の民を追放、殺戮し、また、改宗した者に対しても執拗に異端審問を行い、財産を没収し、追放・処刑した。
かつて、イスラムの支配するイベリア半島は、ユダヤ教徒にとって、ヨーロッパで最も安心して居住できる地であったが、イサベル以後は、最も住みにくいところとなった。
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この旅の間、ずっと聞こえていた低音部の旋律がある。文明の衝突の歴史は何に起因しているのであろうか??
塩野七生 『神の代理人』 (新潮文庫)から
この作品で、塩野七生は、「権力欲と物欲の教皇」と言われ、西欧史においても、キリスト教史においても悪評の高い教皇アレッサンドロⅥ世を、「神」に遠いがゆえに、最も「人間」らしい人物として、逆説的に描いてみせた。
「( 教皇アレッサンドロⅥ世の言葉 ) 『フロリド、おまえは以前にサヴォナローラ ( ルネッサンスのあとのフィレンツェにおいて、恐怖の「神権」政治によって市民を支配した修道士 ) が、"全世界が滅亡しても自分は屈しない" と言ったことを覚えているかね。この言葉に、人々は感動した。何と真摯な思想だろう。何と潔癖な人柄だろうと言って。だが、私は、そのとき、何と利己的で残酷な男だろうと思ったものだ。私なら、もし自分の思想を貫くために世界が滅亡するならば、そんな思想はさっさと引き下げるがね。これが、理想主義者といわれる人間の恐ろしさだ。自分の主義主張に殉じるという人間の危険さなのだ。私は、これだけは確信している。 世界の滅亡どころか、一民族の滅亡とさえも引きかえに出来る思想などは、絶対に存在しないと確信している』。
「1492年、スペイン人が異教徒をグラナダから追い出したとき、アフリカへ逃げたイスラム教徒に比べて、行き所のなくなったのがユダヤ教徒だった。彼らを引き取ったのが、法王に即位したばかりのアレッサンドロⅥ世である。法王は、ローマの中心の一画を彼らの居留地と決め、そこに住まわせた。そこでユダヤ人たちは、自分たちのシナゴーグまで持つこともできた。キリスト教徒の本山、法王庁のあるローマで、ユダヤ教徒たちは、他のどこよりも平穏に暮らしている。そのうえ法王は、優秀な医者の評判を得ていた一人のユダヤ人を、何のためらいもなく自らの侍医にした」。
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一神教は、所詮、絶対神である。神か悪魔か、正義か悪か、光か闇か、神を信じる者かそうでない者か、コーランか剣か …、あれかこれかの観念的な二元論の世界である。
健全であったころのローマがそうであったように、八百万の神々こそ人間世界にふさわしい。梅雨の時期の、草木の繁茂する世界を見よ。同じ緑といえども、雨に濡れて、無限の濃淡・陰影がある。教皇アレッサンドロⅥ世は、キリスト教界の最高位にありながら、最も異教徒的に、「融通無碍」こそ、世界の真理と心得ていたのだ。
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< 旧市街を通って、ローマの水道橋へ >
アルカサルを出て、旧市街の街並の中をぶらぶらと歩いて、バスステーションの方へ向かった。
町の中央部にマヨール広場があり、カテドラル (大聖堂) があった。
明るい黄褐色の石材が用いられ、ふっくらと優雅な感じから、「大聖堂の貴婦人」と言われるそうだ。そう思ってみると、そういう気もしてくる。
( マヨール広場とカテドラル )
そこから、さらにぶらぶらと歩いているうちに、旧市街の入り口、アソゲホ広場に到った。
角を曲がると、目の前の低地に、圧巻のローマ水道橋があった。
( 角を曲がると、ローマの水道橋 )
2世紀の初め、5賢帝の一人、スペインのアンダルシア出身の皇帝トラヤヌスの時代に建造された。
水源の山から17キロの水路を引いている。
水道橋があるのは、この町の入り口付近で、谷間になっているところ。丘の上の旧市街へ水路を引くために、橋を渡した。
橋の長さは813メートル。一番高いところが28メートル。8階建てのビルの高さだが、わずかに2層のアーチで、2千年以上も支えられてきた。
( 高さ28メートルは8階建てのビルの高さ )
19世紀まで上水道として使われていたが、さすがに現在は、庭園の灌漑などに使われているそうだ。
橋の端が中世の城壁とつながっているが、ローマの橋のほうが遥かに頑丈そうに見えた。
( 中世の城壁と水道橋 )
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< マドリッドの街角で >
バスでマドリッドへ戻り、地下鉄の1駅を歩いて帰った。
ホテルの近くのスペイン広場には、有名なドン・キホーテの像がある。
(セルバンテスとドン・キホーテ主従)
この広場のあたりは、今も外務省の安全情報や、ガイドブックに、日本人観光客が何度も強盗被害にあった所だから注意と書いてある。しかし、今は、そういう気配は全くなく、のどかだ。白い雲が浮かんでいる。
( マドリッドの白い雲 )
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スペインを独力で回ることができ、充実した、良い旅だった。
今のスペイン? 西欧の田舎かな? …… 荒涼とした風土。これという産業もない。新大陸を発見して莫大な富を得たが、ただ浪費しただけで、結果的に何にも生かせなかった、と言われる。
バルセロナなど、今、経済的に豊かな地域は、貧しい中西部のために税金を払うのはばからしいと、独立したがっている。一国として、なかなかまとまれないという、きびしい現実もある。
だが、ドイツや北欧諸国などより、遥かに長くて、奥の深い歴史をもつ。一国の歴史というより、一国で人類の歴史を体現しているかのようである。遡れば、アルタミラの洞窟のある国だ。
頑張れ、スペイン! と言うしかない。
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「冒険とは、…… 身の回りの小さな目標でもいい。できないと思ってきたことに挑むことだ」。( 三浦雄一郎 )
睡眠不足や胃腸の疲れが、疲労感となってこたえた。 帰国したら、しばらくは休養を必要とする。
しかし、また、ヨーロッパ旅行に挑戦したい。( 終わり )
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