ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

スサノオ伝説の旅 5 (完結)‥‥芥川龍之介の描いた「老いたる素戔嗚尊」

2013年07月30日 | 国内旅行…スサノオ伝説の旅

   前回、「壁」とか、通過儀礼とか書いたが、言うまでもなく、これらは体罰教育や、スパルタ教育を示唆するものではない。

   体罰やスパルタは、子どもを支配しようとする。 支配された魂が、羽ばたくことはない。

   スサノオは、オオクニヌシに、自らの宮で、しばらくの時を与え、用意させたのである。

   自分を殺そうとする兄たちのいる世に再び戻って、正面から戦うという気概を。もちろん、そのための武器を。

   この世に、自分を必要とする仕事があるという自覚を。

   そして、自分の人生に夢や希望を抱くことを。

   バンジージャンプは仮の跳躍に過ぎない。若者は、社会に向けて、真の跳躍をする。

   飛べ! 若者よ! 

 オオクニヌシを自分自身でジャンプさせることが、長老・スサノオの最後のミッションであった。

     ☆    ☆    ☆

   さて、芥川龍之介が描いた「老いたる素戔嗚尊 (スサノオノミコト) 」は、『古事記』のスサノオとはかなり趣を異にする。 

   クシナダヒメに先立たれ、とっくに隠退し、ひっそりと娘と暮らしている、誇り高く、孤独で、わがままで、気難しさを増したスサノオである。

   彼の髪は麻のような色に変わっていた。

   だが‥‥、「老年もまだ彼の力を奪い去ることができない 」でいる。それどころか、「 彼の顔はどうかすると、須賀の宮にいたときより、野蛮な精彩を加えることもないではなかった 」。

   「彼は、彼自身気づかなかったが、今まで彼の中に眠っていた野性が、いつか眼を覚ましてきたのであった 」… と、芥川は描いている。

   「彼の中に眠っていた野性」?

   クシナダヒメが生きていたころのスサノオの魂は、高天原にいたときのような、「広漠とした太古の天地」をさまようことはなくなっていた。まれに、「夜の夢の中では、暗闇にうごめく怪物や、見えない手の振るう剣の光が、もう一度、彼を殺伐とした争闘の心に連れて行った。が、いつも眼が覚めると、彼はすぐ妻の事や村落のあれこれの事を思い出すほど、きれいにその夢を忘れていた 」。

   たまに夢の中でのみ、潜在意識の下から浮上してきた「殺伐とした争闘の心 」。

   クシナダヒメを喪い、長い年月、その侘しさに耐えてきた、老いたスサノオの心に、気づかないうちに、かつての荒んだ心が顔をのぞかせかけていたのだ。

   若い日々、彼は高天原で、抑えがたい衝動にかられて暴れていたが、あれも若さのもつ寂しさゆえ。若さからくる自己の魂の根源的な寂しさをもてあましていたからに違いない。

       ☆   ☆   ☆

   スサノオと暮らしているスセリヒメも、『古事記』のスセリヒメより、もう少し具体的に形象化されている。

  「狩や漁の暇に、彼(スサノオ)は彼の学んだ武芸や魔術を、いちいちスセリヒメに教え聞かせた。 スセリヒメはこういう生活の中に、だんだん男にも負けないような、雄々しい女になっていった。 しかし姿だけは依然として、クシナダヒメの面影をとどめた、気高い美しさを失わなかった 」。

   スセリヒメは、幼い時分に母を喪い、英雄の父スサノオの男手で育てられ、性格的には母よりも父の血を受けた、精悍なアスリートだった。だが、その容姿は、母クシナダヒメの面影をとどめて、気高く美しいと、書かれている。

   スサノオが、妻亡きあとの晩年を、妻の面影を映すスセリヒメと暮らしていたのも、わかるというものだ。

   とすれば、…… 勝手にその娘と愛し合うようになったオオクニヌシにとって、この頑なな父親は、最強・最悪の手ごわい父親ということにもなる。

        ☆

   ある日、スサノオとスセリヒメの暮らす島に、小舟に乗って旅する一人の若者・オオクニヌシが現れる。

   『古事記』と設定も違う。兄たちに命を狙われ、スサノオを頼ってきた、まだ保護者を必要とするオオクニヌシではない。

 たくましく、物怖じするところのない、爽やかな好青年で、年齢的にも、『古事記』のオオクニヌシより、もう少しは年上であろうか。

   「若者は眉目の描いたような、肩幅の広い男であった。それが赤や青の首珠(クビタマ)を飾って、高麗(コマ)剣を佩いている容子は、ほとんど年少時代そのものが目前に現れたように見えた 」。

  スサノオが名を尋ねると、しっかりした声音で、自ら「アシハラシコオ」と名乗る。この国を担う男の意である。

   庭先で仕事をしていたスサノオに、若者はうやうやしい会釈をし、宮の中へと、スセリヒメに招じ入れられた。

   「彼の心はいつの間にか、妙な動揺を感じていた。 それはちょうど、晴天の海に似た、今までの静かな生活の空に、嵐を先触れる雲の影が、動こうとするような心もちであった」。

   一仕事を終え、宮の中へ入ったスサノオの目に、一瞬、抱き合っていた娘と若者がパッと離れた姿が映じる。

   「彼は苦い顔をしながら、のそのそと部屋の中へ歩を運んだが、やがてアシハラシコオの顔へ、じろりといまいましそうな視線をやると、‥‥」

   スセリヒメに、若者を蜂の室へ連れて行くよう、命じたのである。

   母の面影を宿す一人娘との静かな生活の中に、ずかずか入り込んで、早くも娘の心をひきつけた若者を、スサノオは許せなかったのだ。

   スサノオはスセリヒメに言う。「言い渡すことがある。おれはお前があの若者の妻になることを許さないぞ」。

   蜂の室の危機は、『古事記』と同様、スセリヒメの機転で助けられた。

   だが、次の場面は、『古事記』にはない。

   翌朝早く、スサノオは海へ泳ぎに行った。そこに、オオクニヌシもやってくる。 どうして蜂どもに殺されなかったのか? 

   よく眠れたかというスサノオの問いに、よく眠れました、と答えた若者は、何気なく

 「足もとに落ちていた岩のかけらを拾って、力いっぱい海の上へ放り投げた。 岩は長い弧線を描いて、雲の赤い空へ飛んで行った。そうしてスサノオが投げたにしても、届くまいと思われるほど、遠い沖の波の中に落ちた。

 スサノオは唇を噛みながら、じっとその岩の行く方をみつめていた 」。

   その昼、スセリヒメとオオクニヌシは海辺で二人きりの時間を過ごす。 スセリヒメは、ここにいたら殺されます。 すぐに逃げてくださいと言う。 だが、オオクニヌシは、あなたが一緒でなければ、一人では逃げない、と答える。

   その夜は、蛇の室に入れられるが、またもやスセリヒメによって窮地を脱する。

   翌朝、スサノオが海のほとりにいると、また、若者がやってきた。スサノオは、なぜ蛇に殺されなかったのか分からないまま、一緒に泳ごうと言う。若者は気楽に応じる。

   二人は大海原を、見る見る沖へと泳いでいく。 スサノオは、泳ぎで、誰にも負けたことがない。

  「…… アシハラシコオは少しずつスサノオより先へ進み出した。スサノオはひそかに牙を噛んで、一尺でも彼に遅れまいとした。しかし相手は大きな波が、二三度泡をまき散らす間に、苦もなくスサノオを抜いてしまった。そうして重なる波の向こうに、いつの間にか姿を隠してしまった。……」

   自分の力の衰えを自覚させられたスサノオは、ますますこの若者を憎み、野に連れ出し、火を放って、若者を焼死させる。

  その夜、「あの空を見ろ。アシハラシコオは今時分 …… 」

  「 存じております 」

  「そうか? ではさぞかし悲しかろうな?」

  「悲しうございます。 よしんばお父上さまがお亡くなりなすっても、これほど悲しくございますまい」。

   スサノオは色を変えて、スセリヒメをにらみつけた。 が、それ以上彼女を懲らすことは、どういうものかできなかった」。

   野の火から辛うじて助かったオオクニヌシは、ついにスセリヒメと駆け落ちを決行する。

   気づいたスサノオは、怒り狂ってあとを追う。

   そして、断崖の上に立ち、遥か眼下の海上を行く丸木舟を見つけた。

   以下、最後の場面を、少し長いが引用する。

        ☆

   彼はそこに立ちはだかると、眉の上に手をやりながら、広い海を眺め渡した。海は高い波の向こうに、日輪さえかすかに青ませていた。そのまた波の重なった中に、見覚えのある丸木舟が一艘、沖へ沖へと出るところだった。

   スサノオは弓杖をついたなり、じっとこの舟へ眼を注いだ。 舟は彼をあざ笑うように、小さな筵帆を光らせながら、軽々と波を乗り越えて行った。 のみならず艫 (トモ) にはアシハラシコオ、舳 (ヘサキ) にはスセリヒメの乗っている様子も、手に取るように見ることができた。

   スサノオは天の鹿児弓に、しずしずと天の羽羽矢(ハバヤ)をつがえた。 弓は見る見る引き絞られ、矢じりは目の下の丸木舟に向かった。

   が、矢は一文字に保たれたまま、容易に弦を放れなかった。

   そのうちにいつか彼の眼には、微笑に似たものが浮かび出した。微笑に似た、…… しかしそこには同時にまた涙に似たものもないではなかった。

   彼は肩をそびやかせた後、無造作に弓矢をほうり出した。それから、…… さも耐え兼ねたように、滝よりも大きい笑いを放った。

  「おれはお前たちを言祝 (コトホ) ぐぞ!」

   スサノオは高い切り岸の上から、遥かに二人をさし招いた。「 おれよりももっと手力を養え。おれよりももっと知恵をみがけ。おれよりもっともっと‥‥」

   スサノオはちょいとためらった後、底力のある声に言祝ぎ続けた。

  「 おれよりももっと仕合わせになれ!」

   彼の言葉は風とともに、海原の上に響き渡った。

   この時、わがスサノオは、オオヒルメムチと争った時より、高天原の国を追われた時より、コシのオロチを斬った時より、ずっと天上の神々に近い、悠々たる威厳に充ち満ちていた。

    ☆     ☆     ☆

   「老いたる、人間スサノオ」の形象が良い。

   人は、人が老いて、長老か、古老のごとくなることを期待する。それが当たり前だと思っている。が、人格の劣化の危機は、肉体がそうであるように、老化のなかにもある。

   ゆえに、この最後の場面に感動する。英雄は一層、英雄となり、一層、孤独を深めていく。

   芥川は、このときのスサノオを、「天上の神々に近」かったと書いているが、老いたるスサノオの背は、高天原の神々などより遥かに輪郭がくっきりしており、その影は濃く、人間としての威厳に満ち、そして孤独であった。

   演ずるとしたら、老いたるジョン・ウエインか、或いは、老いたるショーン・コネリー。

   どうしても日本人と言うのであれば、仲代達矢か …。

 さて、しばらく、1~2週間、お盆休みに入ります。

   ご愛読いただいている皆様には、心からお礼申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 


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