10年ちかく頭の片隅にあったランサローテのブドウ畑を見て旅の目的は終わり?? イヤイヤ、ローマもジックリもう一度見たかったのでして。 今日はローマへ”モドル”!
飛行機は8:15発。 やっぱり二時間前に空港へ行くのかなぁ・・・ココもマドリッドもスペインだから国内線? イヤ、その前に直近のラスパルマス(やっと覚えた名前)まで45分のフライトがある。 ・・・が、ローマまで飛ぶんだから2時間前にチェックインの必要あり? どちらにせよ、早起きは苦にならない。 4時過ぎには目が覚めてしまい、かと言って寝過ごすのはコワイ。 若者なみにスマホ依存症? スマホを入れてFBを見る。 エドナの娘さんのLizz が「いいね!」と。 で、朝イチで彼女あてにコメントを書いた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ココへ来た理由の一旦はエドナにも縁がある。 2004年の春、半年間のペンフレンドに過ぎなかったヘルガさんに「今夏はチェスターに行きます。」と手紙に書いた。 間もなく「イエニキテクダサイ・・家に来て下さい。」の返信到着。 これはよくアル「お近くにお越しの際は・・・」という義理のお誘いなのか否か・・・迷った。 帰国中の長男、「行っちゃえ! 行っていいんじゃないの?」 「じゃぁ、行こう!」
当初は、「ベルリンのツォー駅の二階の本屋さんで待ち合わせましょう。」と。 「了解」とは言ったものの「サァ、どうやってベルリンのツォ―駅にいくのやら・・?」 当時、私の海外渡航歴は前年の一回のみ。 二度目とは言え、初めての自力によるイギリス行き計画だった。 ネットを駆使して半年も前からチェスターの学校とコンタクトを取り、成田⇔ヒースロー間のチケットをゲットし、チェスターまでは列車で・・と決め、列車に時刻表を調べ・・。 これに加えて、ベルリンまで飛ぶとなると・・・?? 結局、イギリスへ行ってからマンチェスター→ベルリン・テーゲル/テーゲル→ヒースローのチケットを買った。 で、チェスターでの研修を終え、湖水地方を旅したあと、私は、エドナの見送りを受けてテーゲルに飛んだ次第。 エドナは私がまだ見ぬドイツ人のペンフレンドの元へ行ったことを覚えているか否か・・・。 “I stayed with your Mom and after that I flew to Berlin to meet my pen-pal for the first time. That was she…..” 後日、エドナ本人からメールが届いた。“ I remember you speaking of your friend from 10 years ago I remember all our time together …”
エドナがこのことを覚えていてくれたこと、しかも一緒に過ごした時のことを全部覚えている・・なんて、とっても嬉しい!
それにしても・・私は神経が数本、抜けているのかもしれない。 他人ゴトと思って「我が旅」を振り返ると無鉄砲な!・・と思う。 初めての海外渡航がイギリス・ボーンマスでの二週間の「熟年の英語研修」参加だった。 この時の参加者はいずれも個人参加。 は、ともかく「初めてでホームステイ?」と呆れられたものだ。 この時のドイツ人の同級生の友人がヘルガさん。 日本語で文通をしたい人がいる・・と言うので彼女のペンフレンドになった次第。 彼女宅訪問だって、やっぱりアチラからみたら「ウソ、マジっ!」ものだったかも。 今回のランサローテについての情報はネットでのみ。 普段の私、グヂグヂ・愚痴ばかりこぼし、近所のスーパーへの買い物に出る程度。 友人はいないワケではないが、食べ歩いたりドコぞへ行くなんていうコトはナイ。 それが成田を出ると、豹変するらしい。 「旅の恥はかき捨て」では決してナイ。
ヘルガさんとのベルリン、ツォー駅での待ち合わせは、直前になって、テーゲル空港までギャルド・ヘルガさんご夫妻が迎えに来て下さった。 この時、中に入って伝言役をしてメールを下さったのがルジャータさん。 ヘルガさん、スペイン語はOKでも英語は話せなかった。 何故って東独・ドレスデン出身だったから・・。 ルジャータさんはベネズエラ出身。 翌年、ヘルガさん、ルジャータさん、イルカさんは来日し、拙宅にも泊まられたっけ。 今、思い出してもワクワクするような思い出だ。