就職活動

2006-03-21 20:13:41 | Weblog
 もう間も無く四月です。若者たちよ、職は決まったかな? 私はこれからだよ。
 明日から職安通い。契約社員による県外就職を希望(良く聞こえるが、これって、出稼ぎではなかろうか)。決まれば群馬県か、愛知県豊田市に行きます。都会地を経験してみよう! 永住はしないけど。
 絵どころではないと思っておりましたが、ゲームなんぞやってたら、久しぶりなためかけっこうハマってしまい、なんと二時間もやっていた。相当なロス。

 今日のクロッキーは、哀愁漂う家の猫です。

物語を書く

2006-03-20 21:31:28 | Weblog
 耳をすませば、というアニメ映画をご存知でしょうか。あれ、以外に好きです。なんだか、青臭いところが。その中で、主人公の女の子(しずく:字、忘れた)が、物語を一生懸命に書くという流れがありましたが、アレ、マジ(本当)に難しいです。実は、何を隠そう私も趣味でず~と、空想小説を書いているのですが、全然書けない。言葉の一つもかけないんですね。たくさん似たような本を読むだけではだめらしく、昔の偉い物書きさんたちが、いかに偉大かを思い知らされます。
 これって、絵でも同じで(音楽とか、芸能なんかはわかりません。何せ、やったことありませんので)昔の絵をたくさん見て、研究(模写とか、タッチを隅々まで見るとか)して、それでもだめなんです。ひたすら描く事、とにかく枚数をこなし、上手くいったら喜ぶ。絵は瞬間芸術ですからね、とにかくひたすら描きましょう。下手な鉄砲も数うちゃ当たるトカ申しまして。

 画に苦労がありすぎて筆が渋滞しているのはうまいものと思わぬ。
 不満はそこにあって、悦びはそこにない。

  と、かの長谷川利行が言ったらしいです。コレ、ようわかる気がします。

続・アナログ

2006-03-19 17:40:42 | Weblog
 H・P・ラヴクラフト(ハワード・フィリップ・ラヴクラフト)、という方をご存知でしょうか。怪奇小説を主に書いた人です。悪魔的な暗黒世界炸裂の物語の中で、やはり雰囲気を高めているのは手紙でのやりとりであり、古い書簡なんですね。

 偉い人などの手紙は古文書館や、図書館或いは博物館などに収められ、後の研究などにも利用されたりします。普通の家庭でも、手紙はとっておかれますよね。これからは、やはりDVDやCDでの保管になるのでしょうか。やっぱりなんだか冷たい感じがしますし、味もありませんね。アナログ的なものは、年を経る毎に美しくなっていきますが、デジタル的なものは、ただ汚く感じられます。これから先、もっと潤いのある社会を築いて行くには、モノを大切にしていく必要があるでしょうし、又、長く使える、或いは使いたくなるようなモノを造り、使っていく必要もあるんでしょうね。使い捨てはイタダケません。
 トカ言って、手紙なんて書き方も忘れてたりして。やっぱりアナ(穴)あきログ也。

※古いモノが好きな事を、好古趣味、と言うらしい。

アナログ

2006-03-18 18:28:03 | Weblog
 先日、世界の十大小説、というのをアップしましたが、その中からちょっと引用して、ジェイン・オースティンの高慢と偏見(自負と偏見という場合もあり)
 これ、時代が古いので、勿論互いの連絡手段は手紙、ということになるんですね。この手紙という連絡手段がいかにドラマティックかがわかります。

 どんな小説でも、ドラマでも、美しい場面で、電話が鳴った、なんてのは全く盛り下がりますよね。特に携帯電話なぞ最悪です。手紙を緊張して開く、読む、涙でにじんだインクを見る、そういう場面が味があって、いいんです。最近では、昔ながらの不便(?)な道具や、手作業をアナログ、他電話などの近代道具や機械(又はプログラム)を手段としたものをデジタル、という風に呼んでいるみたいですね。前者はなんだか、情緒もある、暖かな印象を受けますが、後者はどうしても冷たく感じます。世の中に、アナログなものがあふれれば、もっと優しく、穏やかな社会になるのでは無いでしょうか。

 ちなみに、私はデジタルな器具が苦手なアナログ型です。PCもまともに使えない、アナだらけの浅はかなログを打って、世の中に恥を晒している、若者を過ぎ、オッサンにもなりきれない、ビミョウ~な人間です。

 今日のクロッキーは眠る母Vol.2

全力疾走

2006-03-17 20:43:49 | Weblog
 昨日の感性に関しては、あまりに簡単だった(と、言うよりたった二行で終わりであった)が、実は最初はもっと長々としていた。あまりにくどいので、あの二行にまとめたという次第。ご容赦。

 今夜は、妹に代わり、私が家の犬の散歩(普段の担当は、妹。なぜなら、拾って来た本人だから)。彼らは、とにかくいつでも全力である。じゃれる時も、甘える時も。無論、走るときも。
 今日は犬と競争などしつつ、散歩。私も一応、五十メートル六秒ほどなのだが(最近は無理。理由はカッコ悪い。体重増で、膝にきてるだけ)、彼らにはとてもかなわない。しかも、嬉しそうに走りやがります(笑)さすが四足歩行動物だ。
 いや、言わんとしてることは、そんなことではない。彼ら動物は、本当にその瞬間を、全力で生きています。しかも決して意識することなく、そうしている。よくよく考えれば、私が絵を描いている時も、周りが見えなくなるほど夢中になれば、その絵は必ず成功!(でも、いつも気が散漫だったりする) 無心とは、そういうことか。

…などと、わかったフリしてみる。

今日のクロッキーは、猫(頭部)です。なぜ犬でないの!? 
ツッコミは禁止 ( ̄з ̄)~♪

感性

2006-03-16 21:59:11 | Weblog
 私はこの言葉が嫌いだ。
最近の感性=いいかんじぃ~、な思いつき

※以下の文面は、上記を踏まえ、お読み下さい。
 普通の人には無い感性を持っていて形にするのが芸術家だ、とか言われると思わず、ハァ?(まちゃ調で)普通の人には無い? ようするに俺はお前らより優れた感覚を持っているんだよ、とまぁ、そういうことか? アホか。
 ぶっちゃけ、私、今から”現代アーティスト”になれます。無論、つくったものにつけるタイトルは、”無題”也。もう作品も完成。ゴミ箱から丸めた昨日の日めくりカレンダーを取り出し、過ぎ去った昨日、とか言って出品!
理屈は後からついてくるのだ! (´ω`)O

…闇に滅せよ。


今日のクロッキーは、眠る母です。

世界の十大小説

2006-03-15 21:07:55 | Weblog
 聞いたことはあるでしょうか? サマセット・モームの厳しい基準で厳選した、面白い小説です。趣味・読書なら、少なくとも読んでおこう、というもの。ところが、な・な・何と、これを読まない”作家”がいるらしい。絵でも音楽でも、やっぱり昔のいいものをたくさん見たり、聞いたりしなければならないでしょう。本でもそうだと思います。数は少なくても、押さえるべき所は押さえておくべきではないでしょうか?

念の為に記載。思い出し順(笑)
一.トム・ジョーンズ ヘンリー・フィールディング(読んでなかったりして)
二.高慢と偏見 ジェイン・オースティン(この人、大好き。最近、プライドと偏見と言うタイトルで映画化されました。説得(又は説き伏せられて)もオススメ)
三.デイビッド・コパーフィールド チャールズ・ディケンズ
四.ゴリオ爺さん バルザック(谷間の百合もオススメ)
五.赤と黒 スタンダール(アンリ・ベール)
六.ボヴァリー夫人 (ギュスターヴ・フロオベール)
七.白鯨(モゥビ・ディク) ハーマン・メルヴィル
八.カラマーゾフの兄弟 ドストエフスキー(罪と罰もオススメ)
九.戦争と平和 トルストイ
十.嵐が丘 エミリー・ブロンテ(必ず読もう!。姉のシャーロット・ブロンテ、ジェイン・エアも読もう!)

時代に合わない部分もあったり、不快な差別用語もあったりするのですが、ダテに百年以上も読まれただけのことはあります。今日は控えめでした。
明日は(忘れなければ)感性について書きます。されど他人の話にご期待。

今日のクロッキーは、台所仕事の母です。

○○家

2006-03-14 20:47:39 | Weblog
最近はどんな職業のそれこそ経験年数数ヶ月とかいう、いわば素人でも自ら○○家を名乗るようになりましたね。右見ても左見ても上も下も前も後ろも、○○家。カァカァばっかりで、烏(からす)カァ~。どうにかなりませんでしょうか、コレ。名刺に○○家と書かれているだけで、胡散臭く感じるのは私だけでしょうか? 聞いただけで悪感をいだきます。
 わかり易い所では、日本の建築界は建築カァが、掃いて捨てるほどいます。そんな資格は無い。建築士だろう。なぜ呼び方で区別しようとするのか、全く理解出来ません。結局、目指すべきところは同じで、いい建物を造ること。呼び名に酔ってるんですね。我慢ならないのは、芸術(この際アートでもいい。ちなみに、不肖この私、今流行りのアートは全く理解出来ません。何がしたいの?)を知ったふりして、そっちにまで言及したり、手を広げる連中。アホカァ~。

 格好つける必要は無い。出来あがった作品が、いいか悪いかだけである。

※ちなみに外国の建築界には、建築家という日本で言う所の建築士の資格がある。
今日の画像は笑う妹です。例によって、こっそりと速やかに。

私のサイトもどうぞ 

2006-03-13 21:06:19 | Weblog
 雪も融け、ようやく春が訪れたかと思いましたが、またしても雪。しかも、真冬に戻ったかのように、吹雪いたりして。まだまだ本当の春は遠いですね。

 近代美術館とは、悪く言えばゴミ箱ではなかろうか。捨てるに捨てられない、アート作品を収納する場と化している気がします。展覧会を見ても、建物から出て三歩でどんなものが置いてあったか、覚えてる人は少ないのでは無いでしょうか。余韻が無いんですね。
 俗に言う、古典美術を見たあとは、じんわりといいもの見させていただきました、と余韻が残っているもの。高い旅費と、長い時間かけてでも、見に行きたくなりますからね。
 思いつきを、感性などと言ってほしくはありません。
 思いつきアート群は、本物のゴミ箱へ送りましょう。本物は、底知れぬ深さがあるもの。だから何百年も大切にされるし、また、何回でも見たくなるのでしょう。ところが、アート界は、過ぎることのない冬が訪れている気がします。融けることの無い雪(氷?)に覆われたこの世界に春は来るのでしょうか。コキュートス也。

 本日も妹をクロッキー。見つかるとうるさいので、こっそりと、速やかに。
 

自分探しの旅

2006-03-12 17:56:23 | Weblog
 私はそれがとても気に入らない。なんだか、妙に鼻につく。
 自分探しも何も、今現在現時点でそこにお前がいるだけで自分そのものだろう、探すも何も無い、と思うわけである。そんな言い方をせず、あちこち見たいから旅行してくるでいいではないでしょうか。ちなみにそう言う奴に限って、いい年こいて定職についていなかったりする。
 本日の画像は私のクロッキー。眠る妹。
 妹はいつも寝てばかり、何かやれよと言っても、寝ているのがいいんだ、と答える。
逆に、絵ばかり描いている私には、何がそんなに面白いの? と言う。眠ることが好きなのが妹だし、絵を描くのが好きなのが私。もう自分を見つけてるではありませんか。
 情けないこと言わず、きちんと仕事して、稼いで貯めてから旅行に行け。
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