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⚠️「クールジャパン」は死屍累々…なぜ国の主導だと失敗するのか  202202

2022-02-12 00:41:00 | なるほど  ふぅ〜ん

「クールジャパン」は死屍累々…なぜ国の主導だと失敗するのか
  幻冬社ゴールド onlain より 220212    渡瀬 裕哉


「クールジャパン」は日本の文化やポップカルチャーなど、外国人がクールととらえる日本の魅力を発信し、日本の経済成長につなげるブランド戦略です。
 アベノミクスの柱、成長戦略のひとつでしたが、明らかに失敗しているといいます。渡瀬裕哉氏が著書『無駄(規制))やめたらいいことだらけ 令和の大減税と規制緩和』(ワニブックス)で解説します。

⚫︎「クールジャパン」に政府の口出しは無用!
 ここでは文化やスポーツの規制を廃止するとより発展して経済成長もできるというお話をしています。ところで、いったい「文化」とは何でしょうか。そして、それはどのように発展していくものなのでしょうか。

 難しいテーマを投げかけてしまいましたが、ひとつ例を挙げてみましょう。

 読者の皆さんは「巫女の日」をご存じでしょうか。3月5日、インターネット上では絵師さんや有志の人たちによって、巫女さんを題材にしたイラストやコスプレをした画像が発表されています。3(み)5(こ)の語呂合わせで巫女の日です。

 特に政府が「巫女の日を作ってください」と音頭を取ったのではなく、自然にそうなったというような記念日です。他には5月(May/めい)10日(ど)で「メイドの日」というのもあって、色々な人がイベントなどを楽しんでいます。
 巫女さんは、お正月の初詣などのときに神社で見かける存在です。実は、現在のような巫女さんも、政府との関係から生まれたものです。この場合は、明治維新後に政府が行った宗教政策による統制です。

 巫女さんの歴史は古く、『日本書紀』にも神霊と人の間をつなぐ巫覡(ぶげき)の記述があり、当時は男性、女性の両方の例があると伝わっています。時代ごとにその態様は様々ですが、各地で民衆の間に立ち混じり託宣をする巫女は、江戸時代には世直し一揆の要因になるとして、禁圧の対象にもなりました。

 明治6年(1873)、政府に新しく作られた教部省は、「梓巫市子並憑祈祷狐下ケ等ノ所業禁止ノ件」という省達を出しました。いわゆる「巫女禁断令」です。当時は、そこここに占い師のような巫女さんがたくさんいたのです。
 明治新政府は、江戸時代後期の大火や飢饉で爆発的に増えたまま廃社となっているような社寺を整理します。どのような政府の施策にも功罪はありますが、ことに明治初期の宗教政策においては、長く続いてきた土着の祭礼や貴重な仏像仏具が失われたり、社寺を核とした地域共同体を壊してしまったりしたので、後々に批判されることとなっています。

 こうした中、巫女さんにも神社で神職に仕え、支える役割を担ってもらうような政府統制が加えられてしまいました。
 現在の巫女さんの存在は、最初に紹介した「巫女の日」のように、広く親しまれる日本文化の担い手となっています。政府統制から離れた巫女さんたちは、かつて民衆の中に混ざって存在し続けた歴史に近い姿のようにも見え、文化は雑多な中から生まれてくるものだなと改めて感じさせられます。

 一方,文化に対する国家統制として,明らかな失敗をしているものがあります。「クールジャパン」です。

 平成19年(2007)、第一次安倍内閣は「感性価値創造イニシアティブ」を策定し、産業における日本特有の価値観を「作り手の感性やこだわりに由来し、生活者の感性に訴えかけるもの」と位置付けて、日本ブランドの価値を高めようという政策を始めます。

 これを背景に,平成22年(2010),民主党政権が経済産業省に「クールジャパン海外戦略室」を設置,これを拡大する形で本格的に始動したのは平成24四年(2012)のことです。内閣府の知的財産戦略推進事務局には,クールジャパン戦略の要点が次のように掲げられています。

◎クールジャパンとは、世界から「クール(かっこいい)」と捉えられる(その可能性のあるものを含む)日本の「魅力」。

◎「食」、「アニメ」、「ポップカルチャー」などに限らず、世界の関心の変化を反映して無限に拡大していく可能性を秘め、様々な分野が対象となり得る。

◎世界の「共感」を得ることを通じ、日本のブランド力を高めるとともに、日本への愛情を有する外国人(日本ファン)を増やすことで、日本のソフトパワーを強化する。


[内閣府 知的財産戦略推進事務局 クールジャパン戦略(令和元年9月)]
https://www.cao.go.jp/cool_japan/about/about.html
 簡単にいうと、クールジャパンは「外国人がクールととらえる日本の魅力」であり、クールジャパン戦略は「クールジャパンの発信、海外展開、インバウンド振興によって世界の成長を取り込み、日本の経済成長を実現する」ものです。

⚫︎税金に群がっただけの最悪の仕組みだった
 少し考えればすぐに分かることですが、この取組みは実際には役所の人がやって来て「我が国の文化は、これが面白いのです」と伝えれば、それを面白いと思わねばならない、という話です。

 政府が「これが我が国の素晴らしい文化だ」と認定して展開すれば、これまで知らなかった人に知ってもらうことはできるかも知れません。しかし、それは人々の中から自発的に出てきた文化が世界に向けて広がることとは別の話です。
 政府が音頭をとって事業を展開したクールジャパンがどのような経過をたどっているのか、政治・外交ジャーナリストの原野城治氏が次のように問題点を指摘しています。

 <日本の文化を海外に紹介し、マンガ・アニメ、食、ファッションなどの輸出を支援すると官民ファンドの産業革新機構が投資した事業が成果ゼロのまま次々に打ち切られ、その株式が民間企業に極めて廉価で売却されている。

 中には20億円以上の「全損」案件もあり、税金の無駄遣いがはなはだしい。特に、2013年11月に鳴り物入りで設立された「海外需要開拓支援機構」(クールジャパン機構、東京都港区)のいくつもの投資事業案件が苦戦続きとなっている。(中略)

 ブランド戦略である「クールジャパン」の戦略的コンセプトはイメージ先行で、コアが判然としない>

 漫画やアニメは、はっきりいえば今まで青少年の健全育成の問題などで、政府は問題視していたぐらいのものです。子供の頃に「漫画やアニメなんか見るな」と言われて育った人も多いでしょう。

 ところが、どうもお金になるらしいと目を付けて、政府が海外展開するための予算を付けたら、大失敗したという話です。
 投資主体となった産業革新機構は、平成21年(2009)に設立された投資ファンドです。政府出資が9割、残りは民間(企業26社・2個人)が少し出資しています。政府保証で借り入れが可能なので、最大で2兆円を超える投資能力があるとされています。

 そこに色々な人たちが群がってみんなでお金を使うという,最悪の仕組みです。今回は漫画やアニメなどのポップカルチャーが食い物にされたというのが,クールジャパンの顛末です。
 海外にこうしたコンテンツを持っていくとき、大抵は展示会ビジネスのような形をとります。当たり前の話ですが、漫画やアニメを見るときは、展示会で見るというよりも作品そのものを見ます。

 それだけでもクールジャパンは無意味の代名詞のようになっていますし、逆に政府が「これが日本の漫画です」と認定するような話になってしまうと、そこに入る作品と入らない作品の基準や線引きが起こってきます。
 大勢の読者・視聴者が良いと思っても、政府に認定されていないものというレッテルが貼られる、それほど面白くはないけれども政府認定を受け予算が付く、こうした線引きは産業自体を腐らせる力となってしまいます。

これが民間なら、読まれない・見られないものなら市場から撤退します。失敗したらやめて、新しいものを作ります。色々な形で事業失敗の責任を取らされることもあるでしょう。政府のやっている事業は、市場なら失敗しているようなものにも予算が付き続けて責任を取る人がいなくなることが問題なのです。こういうことを続けていると新しいものも生まれないので、文化が潰れてしまいます。

⚫︎アニメ産業は2兆5000億円の市場規模
 政府がわざわざこんなことをしなくても,令和2年(2020)のアニメ産業は2兆5000億円もの市場規模を誇ります。政府が育ててきたのではなく,見た人が「面白い」と思うからです。

 筆者が国際会議に出席したとき、懇親会時にギターを持ったネパール人の参加者から「今から『NARUTO』の主題歌を歌うから、それが正しいかどうか判定しろ」と言われて、こちらが日本人だというだけで審査員役にされてしまう状況になったことがあります。

 正直いって正確さは分かりませんでしたが,彼は楽しそうでした。海外の人たちも,官制の展示会から取り入れたのではなく自分で作品を見て「面白い」と思うから,紹介が紹介を呼んで広がるのです。世界に広がっている日本のアニメ文化は「民」が作ってきたものなのです。

 政府が口を出さなくても、文化は勝手に広がっていきます。税金を使って予算を付けなくても、面白いものは市場で勝手に売れます。そして、何がこれから人気となって売れるのかは、誰も正確には予測できないのです。

 政府は不確かなものに予算を付けることができないので、昔から続いているシリーズもののようなコンテンツだけを海外に宣伝したりします。すると、今度は若いクリエイターがこれまでにないような作品を海外に打ち出すことができなくなったり、やりにくくなったりします。これでは逆効果です。

 では、政府による文化政策がまったく無意味なのかというと、そうではありません。政府にしかできない仕事があるのです。国家の意思として,「日本国がこうした価値観をもって海外に発信することで,国際社会でどのようなイメージになりたいか」を打ち出すことです。

 たとえば、諫山創さんの『進撃の巨人』は,電子版も含め約180か国・地域で1億部超えの累計発行部数となっている世界的な人気作品です。アニメシリーズもヨーロッパやアメリカを中心に人気を博し,シリーズの公開時にはアニメ視聴サイトがアクセス集中でダウンするほどの現象も起きています。ところが,中国のように作品の放送を禁止している国もあります。

 そういう規制を行う国々に対して、「我が国は表現の自由があり、全世界の表現の自由を促進するのだ」というメッセージを出すというのなら、まだ政府の文化政策として意味があるかも知れません。

 クールジャパンの失敗は、単に外国人受けしているからという理由でアニメやゲーム、ファッションなど、市場で評価されているものを何となく並べて、「ほら、日本はすごい国でしょう」と言っているに過ぎないこと、そういう無意味なことに税金を注ぎ込んでいることにあります。

 単に市場でウケているから海外に持っていきましょう、程度のことなら、民間でも十分できることなので政府が行う必要性はありません。すでに輸出されているコンテンツ、しかも市場で売れているものに対して「政府が認めてあげる」など、単なる便乗です。せっかく面白かったものも、陳腐にしてしまいかねません。

 表現方法はポップカルチャーでも、センスの良い作品には哲学や政治思想が背景にあるものです。そうした作品が海外に打ち出され、国や人種の枠を超えて世界に受け入れられていくことに対して政府が介入すること自体、自由な思想への介入そのものです。政府として何を扱うか、あるいは何を扱わないかが決められることになるからです。

 最近は、青少年を保護するためという名目で、政府は色々な規制もしようとします。自分の子供に何を見せ、何を見せないかは家庭の問題です。家庭生活の一部なのですから、政府が立ち入ることではありません。

 すでに市場で成功しているものに対して、政府が優劣を付けるような愚かな政策を行わない限り、新しい芽はどんどん出てきます。クールジャパンは、政府が手出し口出ししないことで、もっとクールになるのです。

渡瀬 裕哉  ;国際政治アナリスト ;早稲田大学招聘研究員
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