東大が19世紀の大学では,日本でIT革命が起こるはずはない コンピュータ科学は農学部の4分の1
現代ビジネス より 220213 野口 悠紀雄
日本で農業のでシェアでは0.9%でしかない。しかし、東大では農学部が全学の7~8%を占める。その半面で、コンピュータサイエンスの学部学生は、農学部の4分の1しかいない。 IT革命を生み出したスタンフォード大学とあまりに違う。
⚫︎異常に高い東大における農学部のウエイト
東京大学農学部の学生は257人だ。これは、後期課程学生3170人の8%にあたる。 大学院の学生だと、東大全体の1割近くになる。教授数で見ると、東大全体で1195人のうち農学部が85人であり、7%になる。このように、東大では、学生でみても教授数で見ても、農学部が大きな比率を占めている。
【日本の「高度教育力」はアメリカの7分の1、韓国の半分以下]
一方、日本の農業就業人口は、2019年には約168万人だ。これは、同年の就業者総数6724万人の2.5%でしかない。このうち基幹的農業従事者数は約140万人で、総就業者中の比率は、2.0%だ。また、国内総生産に占める農業の比率は、わずか0.9%でしかない。
これらの数字に比べると、東大における農学部の比率は、異常といってよいほど高い。付加価値でみて国全体のわずか0.9%の産業の人材育成のために、大学全体の7~8%の資源が費やされているのだ!
⚫︎農学部の権力は絶大
しかも、農学部には、狭い意味での農学だけでなく、農業経済学の講座などもあり、それ自体で完結した一大独立帝国を形成している。
(東京大学農学部 同学部HPより)
このような学部の存在を考えれば、東大はいまだに19世紀の大学であり、20世紀の大学にはなっていないといわざるをえない。
教授数が全学の7%ということは、それだけ大きな発言権を持っているということだ。だから、東大は、農学部の意向に反するような決定はできない。農学部の比重を大きく下げることなど、想像もできないことなのである。
これは、東大だけの特殊事情ではない。大阪大学を除く旧帝国大学に共通する事情だ。大学によって差があるとはいえ、農学部の比重は、東大の場合とあまり大きな違いはない。
つまり、日本の大学において、農学部はきわめて強力な存在なのだ。
⚫︎工学部はハード偏重から抜け出せず
東大で農学の勉強ができることは分かった。では、東大でコンピュータの勉強ができるだろうか?
大学院レベルでは、「情報理工学系研究科」がある。ここにコンピュータ科学専攻がある。学生定員は、881名だ(うち、コンピュータ科学専攻は143名)。一見すると多いのだが、教授は33名で、農学部の半分にもならない。コンピュータ科学専攻の教授は、わずか5名だ。
学部レベルでは、どこで勉強できるか? 理学部の「情報科学科」がコンピュータサイエンスを教えている。しかし、ここの学生定員は、3年31名、4年39名で、計70名でしかない。農学部の学生数257人に比べると、わずか 27% だ。あまりに少ない。
工学部にもコンピュータサイエンスに関係がありそうなところは、いくつかある。しかし、欧米の大学にはごく普通にある「コンピュータサイエンス学科」が、東大工学部には存在しないのだ。
日本の工学部では、「具体的なモノを作ることこそ真の工学であり、情報とかソフトウエアというものはいかがわしい」という思想が根強く存在する。したがって、ハードにかかわるエンジニアリングが中心だ。つまり、機械工学、建築工学、応用化学などに代表される学科が中心になっている。
コンピュータサイエンスに関係がありそうな学科でも、計数工学科は、もともとは、工場の自動制御が専門だ。その意味でモノづくりとかかわっている。電子情報工学科も、コンピュータのソフトウエアというよりは、エレクトロニクスだ。
コンピュータの発達に伴って、そのための基礎研究や人材育成の必要性がつとに指摘されている。しかし,東大工学部に関する限り,事態はこの数十年間で、あまり変わっていない。
東大工学部は20世紀になっているとは言えるが、21世紀とはとても言えない。
⚫︎スタンフォード大学工学部は21世紀の工学部
世界では、コンピュータサイエンスの専攻科は、著しい勢いで成長している。
スタンフォード大学工学部のコンピュータサイエンス学科を見ると、学生数は、学部739名、大学院665名、合わせて1404名だ(2018−19年度)。これは、工学部全体5173名の27%にもなる。これに、計算及び数理工学の148名を加えると、1552名となり、工学部全体の30.0%になる。
21世紀の工学部の姿とは、こうしたものだ。
IT革命は,スタンフォード大学のコンピュータサイエンス学科から生まれたといっても良い。
グーグルは、ここで勉強していた2人の大学院生が作った企業だ。
ヤフーも同じだ。シスコもそうだ。 そして,
サンマイクロシステムズは,スタンフォード大学の卒業生のグループが作った。
インターネットを広げる基礎となったブラウザ・ネットスケープも、ここで教えていたジム・クラークと、イリノイ大学の学生だったマーク・アンドリーセンの共同作品だ。
東大からは、こうした企業は生まれなかった。
⚫︎農学は実学のはず
私は、大学が社会の要求に受動的に応えるべきだと言っているのではない。
大学の重要な役目の一つは、産業活動に直接の関連を持たない学問の研究と教育だ。目先の実用性だけに振り回されては、長期的な成長は望めない。
大学には、社会の変化からは隔絶された存在があってもよい。文学、哲学、歴史学などがそれに当たる。
しかし、農学はこのジャンルの学問ではない。実社会での応用を目的とした実学だ。そうであれば、現実の世界から遊離して存在することはできない。
アメリカでも、かつては農学部が大きな比重を占めていたが、いまでは比率はごく低い。スタンフォード大学にも、農学部は存在しない。農学研究や教育がまったく消滅したわけではないが、Earth System Scienceという部門の一部として存在するだけだ。
スタンフォード大学は、山手線の内側の半分くらいという広大な敷地を持っていることから、学生や卒業生から「ザ・ファーム」(農場)という愛称で呼ばれている。それにもかかわらず、教育や研究は、21世紀そのものなのだ。
東大農学部は、他の学部とは独立した広いキャンパスを持っている。大都会の真っ只中なので、キャンパスの地価の総額は、大変な額になるだろう。そこで、広大な土地を必要とする19世紀的産業のための研究と教育が行なわれている。
その半面で、私立大学の多くが三多摩丘陵の不便な場所に追いやられ、多くの学生と教員が不便な通勤・通学を強いられている。
これを見ていると、なんと表現して良いのか分からない複雑な気持ちにとらわれる。
⚫︎社会の変化に合わせた変革ができない
日本の大学も、かつてはその構成を現実社会の要請にあわせて変えた。まず、明治時代に工学部を作ったことがそうだ。
ヨーロッパの伝統的な大学には工学部はなかった。アメリカでも、東部の伝統的な大学ではそうだった。そして、エンジニアの教育は、「技術高等学校」で行なわれていた。大学に工学部があるのは、遅れて産業化した日本の特殊事情である。
また、高度成長期には、学部・学科の新設が相次ぎ、工学部関係の学科を増やした、それによって、学部・学科の構成比率を変えることができた。
ところがいまは、経済全体が成長しないので、スクラップをしない限り、比率を変えることができない。
日本の大学で新しい学部や学科を作れないのは、古い学部や学科の「スクラップ」ができないためだ。現存する学部は強い発言権をもっている。だから、外から相当の圧力が加わらないと、古い学部や学科のスクラップができない。
アメリカの大学でかつて大きかった農学部が縮小したのは、日本の文部科学省に相当するところから固定的な運営費を得ることができないからだ。だから、社会の要請に応じて、学部や学科の構成を変えざるをえない。
日本で必要とされるのは、大学ファンドを作って大学に資金援助することではない。全く逆に、大学に対する硬直的運営費を打ち切ることだ。