「左脳で歌をつくってる」「国民的ヒット曲はもう生まれない」…YouTube、TikTokでバズる「昭和歌謡」、立役者たちが呈していた“苦言”
文春オンライン より 220212 タブレット純
ぼくは毎日銭湯に通っているのですが、ここ数年、若い方々の姿をよく見かけるようになりました。
しかし彼らに「風呂なしアパートに住んでいるから」といったリアルな様子はなく、単純に「未知なる楽園を見つけた!」、いま風にいえば「やべえぞ、ここ」、そんな嬉々とした風情がうかがえます。若い世代にも広がる昭和歌謡のひそかなブームも、じつはこうした感覚だったり?
娯楽がどんどん複雑化して、おのおのが一人で楽しむツールが中心となったように見える世の中にあって、老若男女が集い、一庶民として人情をたんまり共有できる場所。昭和の流行歌にもそんな共通項が垣間見え、このアナログ感=“暖かみ”こそが、いま昭和歌謡が求められている源泉なのではないでしょうか。
⚫︎YouTube、TikTokでは、次世代による昭和歌謡のカバーが
ちなみに、ぼくは最近のいわゆるJポップをまったく聴いておりません。ただ、聞くところによれば、YouTube、TikTokでは、次世代による昭和歌謡のカバーが目立ち、さらにはツイッターやインスタグラムなどで紹介されることで拡散、共有されているそうです。
たとえば「レコチョク」におけるある日のランキングでも、一位に尾崎紀世彦「また逢う日まで」、二位に太田裕美「木綿のハンカチーフ」がランクインし、そこにジュディ・オング「魅せられて」、いしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」が食い込むという昭和戦国絵巻が……。と、ガラケーでちまちま打っているぼくは、比較論的なことなどをエラソーに語れる立場にないことを、あらかじめお詫びしておかなくてはなりません。
ただあくまで、お店の有線などで耳にする“イマドキらしい曲”の数々は、ぼくにとって詞もメロディも何だかこう「沁みない」、「入ってこない」というのが正直なところなのです。
⚫︎「全国民に歌われるようなヒット曲は、もはや生まれない」
奇しくも近年、昭和歌謡を牽引した偉大な音楽家の訃報が相次ぎましたが、その先生方は現代の若者たちの音楽を、すでにどこか冷徹に俯瞰なさっていました。そこで、その音楽家たちへのインタビューなどを引用しながら、私論を挟ませていただきます。
たとえば作曲家の筒美京平さんは、「今はシンガーソングライターの時代。作品よりもアーティストの個性、味が求められる時代なんじゃないかな」と語っています。
筒美さんの活躍された時代は、まさに分業制の時代。それぞれにその道のプロがいて、一緒になって作品を練り上げ、歌手と共に跳ねる。この“跳ねる”という表現も筒美さんの表現なのですが、そこには高度成長期の日本にあって、共に力を合わせてこの国を盛り上げていこうという気運が下地にあったのではないでしょうか。
かたや作詞家の観点から、なかにし礼さんは「全国民に歌われるようなヒット曲は、もはや生まれない」とした上で、「クラブで踊る音楽に芸術性は必要ありません。若者が自分たちと一体化できるような音楽を求めるわけですからかえってよくない」。
では、自分たちが築き上げた歌謡曲はというと「その作品には必ずや芸術性というのが備わっていたと思うのです。それはひらめきであったり、過去の歌を知る教養であったり、時代をすくいとって映し出す言語能力であったりしました」。
これには同時代のライバルとも言える阿久悠さんも、「かつてはその時代時代の中で生きる人の思いが形はどうあれ歌に反映していたものだが、いつのまにか聴きやすく歌いやすければいいという傾向になっていた」と、全く同義といえる見解を述べておられます。
お二人とも「いまの時代はそれでいい」という戦ったあとの風に吹かれた見地ながらも、なかにしさんは“作品自体に力がなくなった”とし、阿久さんは“歌がやせた”と表現しているところも似ています。
⚫︎現代人は大人に叱られたい?
つまり、音楽そのものが、じっくり吸い込んで生きるために深呼吸するものではなく、一夜かぎりのカラオケで吹き飛ばせばいいものに変化したということか……。
と、ここで寺内貫太郎のお叱りが。
「いまの歌には何の独創性もない! 右脳で歌をつくれ! 魂を使わず、左脳で理屈だけで歌をつくってもただの感心だけで感動がないんだ!」
思わず貫太郎口調になってしまいましたが、小林亜星さんもカラオケ文化を嘆きつつ、若者たちをやんわり叱咤激励しています。
そう、この駄文をどこに持っていこうかと思いあぐねつつよろよろペンを動かしていたせた手を、ぴしゃりと下町親父に叩かれた気がしました。結局、なぜいま昭和歌謡が見直されているのかといえば、現代人は本当は心の中でもっと大人たちに叱られたいと思っているのかもしれません。
叱るというのは、心を揺り動かし、包み込んでくれる何か。昔の歌はふくよかで、情にもろかった。現代の若者たちはそれを欲し、昭和を生きた者はそれを懐かしがる。歌の底にひそむ、みんなが一緒くたになった汗と涙のドタバタ悲喜劇とともに……。
このコロナ禍は厄介この上ないことに違いはないのですが、“不自由”や“不便”を与えられたことは、どこか神様の啓示なのかもしれません。
立川談志さんは落語を“人間の業の肯定”、歌謡曲を“人生の応援歌”と表現していますが、歌謡曲が生きた時代には、そう成り得た貧しさや暗がりが巷にも存在していたのでしょう。そんな街にぽっと灯をともすのは、やはり大衆歌。銭湯に響く鼻歌……。
中学一年の時の担任で、その年に学校を去った老教師が色紙に書いた言葉をさいごに―。
“もっと、唇に歌を”
◆このコラムは、政治、経済からスポーツや芸能まで、世の中の事象を幅広く網羅した『文藝春秋オピニオン 2022年の論点100』に掲載されています。
(タブレット純/ノンフィクション出版)