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堀江貴文と茂木健一郎が語る「日本人がまだ知らないAIの真実」AIのミスを笑う人の盲点 2023/11

2023-11-03 23:41:16 | なるほど  ふぅ〜ん

堀江貴文と茂木健一郎が語る「日本人がまだ知らないAIの真実」AIのミスを笑う人の盲点
 ビジネス+IT より 231103  堀江貴文、茂木健一郎


 ChatGPTをはじめとする生成AIの躍進で、私たちの仕事や生活は大きく変わると予想される。さまざまな仕事がAIに代替されるといわれる今後、「人がやるべきこと」は何なのか。
 そもそも「人とAIの違い」はどこにあるのかについて、日本ではまだ広く知られていないAIの話を交えながら、堀江貴文氏と脳科学者の茂木健一郎氏が自身の見解を語った。


◆堀江貴文氏と茂木健一郎氏が語る「人とAIの違い」
※本記事は『 ChatGPT vs. 未来のない仕事をする人たち』を再構成したものです。

⚫︎AIと人間の脳は何が違うのか?
堀江貴文氏(以下,堀江氏):ChatGPTを触りながら私が思い起こすのは、自分が意識を持ちはじめた頃のことだ。なぜなら、しゃべること=自然言語を操ることは自意識と密接に関連しているからに他ならない。

 では、自然言語を操れるChatGPTとはどんな存在なのか、AIと人間の脳では、何が違うのか。
 学習するAIの仕組みと、私たち人間が持つ脳の仕組みそのものについて、最先端の脳科学をのぞいてみることにしよう。

 このテーマについて考えるために、脳科学者である茂木健一郎さんに登場してもらった。

 AIに関する日本の議論は遅れているといっていい。取り上げるメディアが少ないために、なかなか一般的に広がらない。

 そこで茂木さんには、今世界で議論されている内容の一部を披露してもらった。現時点で考えられるAIの今後の進化の話は、未来を考えるうえで参考になるだろう。

茂木健一郎氏(以下,茂木氏):2023年3月の GPT-4のリリースは、正直にいって、私たちにとって100年に1度の衝撃でした。
 日本語圏ではあまり良質な情報が出回っていないのですが、ChatGPTのような大規模言語モデル(LLM)は基本的に世界についてのすべての知識が入っていて、ありとあらゆることをシミュレーションできる存在と考えてよいのではないでしょうか。

 しかし、人間の脳のエネルギー効率のよさはどんなに強調してもしすぎることはありません。

  ディープマインド社が開発した「アルファゼロ」を覚えているでしょうか。チェス、将棋、囲碁でそれまでのAIを次々に撃破したディープラーニングAIアルゴリズムです。

 たしかにアルファゼロの能力は驚異的ではありますが、大量の計算リソースを必要とするため、エネルギー効率の観点では人間に軍配が上がります。加藤一二三名人であれば、うな重一つで一日中対局に臨めるでしょう。

 そう考えると、人間の脳と人工知能のどちらが優秀かを考えるよりも、両者で協働する可能性を模索したほうが建設的です。
 人間が人工知能を利用するアプローチに加えて、人工知能が人間の脳を使えれば、圧倒的に効率のよい計算手段となります。つまり、人工知能が完全に脳に置き換わるわけではないのです。

⚫︎「AIに心はない」と言い切れない事実
 改めて説明するまでもなく、ChatGPTはインターネット上の大量のテキストデータを学習したLLMであり、人間には想像できない膨大な知識を備えています。
 そんなAIに対して、皆さんはどんな印象を抱いているでしょうか。

 「AIがどれほど賢くなろうと、人間のような心は持っていない」──。もしかしたら、多くの人がいまだそのように考えているかもしれません。

 人間は、社会的な動物として、他者を理解し、コミュニケーションをとりながら、生活をしています。その際に必要な、他人のことを推論したり理解したりする能力のことを、心理学で「心の理論」と呼びます。

 心の理論は幼児期から獲得され発達していきますが、その発達を評価するための課題の一つに「誤信念課題(ごしんねんかだい)」というものがあります。
 この課題では、他人が特定の情報を知らない(誤った情報を持っている)状況を理解しているかどうかを測定します。

 たとえば、ある部屋に二人の人がいてボールで遊んでいたとします。それぞれAとBとします。
誤信念課題の例

 Aが外に出ていく時にボールをかごにしまい、その後、Bが改めてボールを箱の中にしまったとします。
 Aが部屋に戻ってきた時、Aはボールを見つけるためにどこを探すでしょうか?

 正解は、かごですね。Aは、Bがボールを箱の中にしまったことを知りません。

 これは誤信念課題の一つの例です。

 この課題に正しい答えを出すためには、事実として正しい正しくないではなく「相手が事実と違ったことを信じている」「一人ひとり持っている情報は違う」ことを理解できる必要があります。

 従来、「心の理論」を持っているかどうか(相手の心を推し量れるかどうか)は、この「誤信念課題」の問題を解けるかどうかで判断できるとされていました。
 ところがスタンフォード大学のミハル・コジンスキー氏は、最近のLLMが「心の理論」のテストを解けるようになった、との実験結果を発表しています。
 実際、GPT-3は心の理論のテストで正答率93%と人間の9歳児と同等のスコアを記録しているそうです。

 さらに驚きだったのが、長年にわたり人間とコンピューターを区別するために用いられてきた「チューリングテスト」にChatGPTが事実上合格したことです。

 このテストはイギリスの数学者、アラン・チューリングが考案したものです。
「コンピューターが本物の人間と区別のできない会話を行えるのであれば、そのコンピューターは思考すると考えていい」と彼は定義していました。

 ChatGPTが世界中に衝撃を与えて以降、チューリングテストは論点としてもういいかという雰囲気が研究者の間に広がっています。
チューリングがこのテストを考案したのは1950年頃です。つい最近まで、半世紀以上も用いられ続けてきたこのテストをChatGPTが軽々と乗り越えてしまった衝撃はあまりにも大きいものがあります。

 ChatGPTがなぜうまく機能しているのか、開発者もわからない
ー茂木氏:AIは賢さを増し、心の理論を獲得しているのに加え、どうやら因果律さえ理解するようになってきているようです。
 ただ、なぜここまでの知能を発揮しているのか、あるいはしているように見えるのか、その仕組みについては完全に解明されていないのが現状です。

 OpenAIの最高経営責任者であるサム・アルトマン氏にしろ、かつてグーグルでAI開発を主導した、チーフサイエンティストのイリヤ・サツキバー氏にしろ、ChatGPTがなぜこれほどうまくいっているのか決定的な要因はわからないといわれます。
「心の理論」についても、ネット上にある膨大な文章を読み、統計的に確率の高い内容をアウトプットしているのだと思いますが、それにしても、ここまで精度が高いというのは驚くべきことでしょう。

 GPT-4のような大規模言語モデルには「ネクスト・トークン・プレディクション(Next Token Prediction)」があります。要は「次に来るべき単語を予測する」という能力に基礎を置いています。

 私たちが会話をする時は、必ずそれまでの文脈を踏まえて会話をします。

 たとえば、それまで、

「ChatGPTは今までのAIとは違うらしい」

という話をしていたとして、次に、

「トマトは美味しいですね」

と言う確率は低く(というか、ほとんどない)、どちらかというと、

「ChatGPTといえば、GPT-3とGPT-4は何が違うんですか」

といった返答になる確率のほうが高い。

 こんなふうに、ChatGPTは「次にどんな言葉が来るのか」の確率が高いものを選んで返答しているだけ。統計的に確率が高い返答を瞬時に組み立て、出力しているだけなのです。
 ところが、それだけであれほど高度な会話ができるようになってきてしまっている。その精度のあまりの高さに世界中が驚嘆しています。
「人間にとってのAIはどんな存在?」に対する堀江氏の解
堀江氏:AIに関して、私は単純に人間の大脳の機能拡張ととらえている。

 車を例に考えてみてほしい。

本来、自動車の運転は運動能力の機能拡張に他ならない。車が人間の身体にコネクト(接続)されていないので、一般的にはサイボーグととらえられていないが、実際的にはサイボーグみたいなものだ。「今、俺は車を運転している」と意識している人はほとんどいなくて、みんな無意識に車を運転している。自動車にせよ自転車にせよ、身体に接続されていないだけで、身体拡張に他ならない。

 AIも同じことだ。人間にとっての大脳の機能拡張になっている。
「AIのミス」を嬉々として指摘する人に欠けている視点
堀江氏:「AIは間違うことがあるから」とバカにする人がいる。

 「AIは人間のまね事をしているだけ」などと、まるで鬼の首を取ったように、ChatGPTが返してきたとんちんかんな答をいじったりする。

 けれど、考えてみてほしい。私たち人間だって同程度、あるいはもっとひどいレベルで間違うことがあるだろう。時にはその程度が小さすぎて、長いこと自分が間違いを犯していることに気づかないことすらある。

 たとえば、私は長い間、高橋留美子さんの漫画『うる星やつら』のことを「うるせいやつら」ではなく「うるぼしやつら」だと勘違いしていた。『うる星やつら』はアニメでもオープニングから誰も一度も「うるせいやつら」だとは言わない。正しい読み方を知る機会すらなかったので、もしかしたら「うるぼしやつら」と思い込んでいたのは私だけではないかもしれない。

 ある機会にこの漫画のことを話していて、私が「うるぼしやつら」と言ったのをバカにされてはじめて、私は正しい読み方に気づいた。こんなことは日常茶飯事だろう。

 それなのになぜ,AIが犯すちょっとしたミスばかりを責めたり,笑ったりするのだろうか。

 人間の子どもで考えてみてほしい。子どもはよく嘘をつく。だが、本人は別に嘘をついているつもりはない。
 生半可に知識があるからこそ、一生懸命考えた末に嘘になってしまうこともある。こうした挙動はAIも同じだ。

茂木氏:堀江さんが言っているのは、要するに人工知能の分野でいわれる「ハルシネーション(Hallucination)」のことです。
 LLMがこちらの問いかけに対して、事実とは異なる内容や文脈とは無関係な内容を出力してくることを指します。
そもそもこの言葉の直訳は「幻覚」で、人間が現実の知覚とは別に脳内で想像する幻覚になぞらえています。
 ChatGPTはインターネットに存在するデータを読み込んでいるので、仮にそのデータのうち7割が「うるせいやつら」で3割が「うるぼしやつら」だとしたなら、ChatGPTはそっくりそのままそれを結果に反映します。
 先ほどLLMの仕組みを説明した時に、ネクスト・トークン・プレディクションについて触れましたが、実は人間の脳も似たような仕組みで、多くの場合、人間もしゃべりながら「次の単語はこうだ」と脳が予想していると考えられています。

 人間にせよChatGPTにせよ、こうしたプロセスがハルシネーションを起こす一因になっているはずです。

 人間社会で起こったハルシネーションとして、僕はネルソン・マンデラ氏の有名な話を思い出しました。彼は実際には95歳の時に病死したにもかかわらず、多くの人は獄中死したと勘違いしていました。つまり、集団でもハルシネーションは起きることがあるのです。

 一方、研究者の中にはハルシネーションをポジティブなノイズとしてとらえ、創造的な活用方法があるのではないかと唱える人もいます。堀江さんが間違えた「うるぼしやつら」も普通の発想からはまず生まれません。
 意図せず発生してしまった勘違いや誤りも、違う形のクリエイティビティに結びつけることができるかもしれないのです。発想を変えれば、ハルシネーションが創造の源泉となる可能性があります。
 僕の好きな例に、さくらももこさんの『ちびまる子ちゃん』に出てくる友蔵じいさんがいます。
 さくらさんによれば、元々、ご自身のおじいさんは、友蔵じいさんのキャラクターとは似ても似つかない性格の方だったそうです。それでも『ちびまる子ちゃん』の漫画を描く際には、「こういう人だったらよかったのに」と友蔵じいさんを自分の理想像に合わせて、のほほんとした存在として描きました。

 2024年の大河ドラマになる『源氏物語』に出てくる光源氏にしても同じです。あの物語で描かれるような人物は現実の世界にはそうそういない。
 創作の背景には、作家の想像力がハルシネーションとして存在しているわけです。
 そもそも、人間の脳には常にハルシネーションがつきまといます。

 よく人と人が「言った言わない」を争っていますが、本人としては絶対に自分が正しいと思い込んでいるわけです。
 客観的な事実としてはどちらも外れている可能性が高いにもかかわらず、です。

 願望や希望によって事実がねじ曲がってしまうことはよくあることです。ただ、こうした歪みや不完全性こそが人間らしさともとらえられます。

 人間の記憶が時間とともに不正確になっていくのに対し、今までのコンピューターの記憶は一定に保たれます。

 ChatGPTがハルシネーションを起こしている様子を見ていると、機械が人間に近づきつつあるのを感じます。
 逆にいえば、ChatGPTを今までのコンピューターと同じように扱うことはできない。今後、僕たちは人間と同じようにChatGPTと向き合っていかないといけないのかもしれません。


※本記事は『 ChatGPT vs. 未来のない仕事をする人たち』を再構成したものです。
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『ゴジラ-1.0』ネタバレ解説 ラストの意味とは? 反戦映画としてのゴジラ 感想&考察  202311

2023-11-03 23:30:00 | スカパー 放送予定控 & 映画 予定 &TV 予定

『ゴジラ-1.0』ネタバレ解説 ラストの意味とは? 反戦映画としてのゴジラ 感想&考察
  Virtul Goulla より 231103  鯨ヶ岬 勇士



2023年11月3日全国公開

「ゴジラ」シリーズ70周年記念作品として、第1作『ゴジラ』(1954)の公開日である11月3日(金)に合わせて公開された『ゴジラ-1.0』(2023)。
 時代設定は第1作『ゴジラ』が第二次世界大戦から9年後だったのに対し、『ゴジラ-1.0』は戦後間もない日本をゴジラが襲うという設定になっている。

 本記事では『ゴジラ-1.0』のラストの意味や作品設定に込められた想いなどの解説と考察をしていこう。なお本記事には『ゴジラ-1.0』のネタバレを含むため、本編視聴後に読んでいただけると幸いである。

★ネタバレ注意
 以下の内容は、映画『ゴジラ-1.0』の内容に関するネタバレを含みます。
災害、そして反戦映画としてのゴジラ
菊水作戦の生き残り
1945年、第二次世界大戦末期。神木隆之介演じる主人公の敷島浩一少尉は零式艦上戦闘機、俗に零戦と呼ばれる戦闘機のパイロットとして訓練で優秀な成績を収めるも、その成績が認められて神風特別攻撃隊、つまり特攻隊の任務に就いていた。彼の軍服に「六〇一」という刺繍がされていることから、敷島浩一が第六〇一海軍航空隊に所属していたと考察できる。

 零戦の故障を理由に大戸島の守備隊基地に着陸する敷島浩一。凸凹の滑走路に着陸できることからも、敷島浩一の操縦能力の高さがわかる。敷島浩一は零戦が故障したため、日本本土近海・沖縄での特攻に参加できなかったと言うが、筑波海軍航空隊整備部所属の整備班のリーダーである青木崇高演じる橘宗作は故障個所など無いと疑う。

 第六〇一海軍航空隊は1945年4月6日の菊水一号作戦から6月22日の菊水十号作戦までの連合国への特攻攻撃の作戦に従事している。この菊水作戦により第六〇一海軍航空隊は稼働機を使い果たしたことで菊水作戦から離脱し、関東防衛に専念することになった。
 この稼働機を使い果たしたという点から、橘宗作は敷島浩一の乗っていた零戦をポンコツと呼んだと考えられる。また、零銭には徹底した軽量化により工数の多さや修理の複雑さがあり、そのことを差していたとも考察できる。

 海面に深海魚が浮かび上がってきたその日の晩、大戸島の守備隊基地はゴジラに襲撃される。その頃のゴジラはまだ全高15mであり、橘宗作は零戦の20mm機銃でゴジラを撃つように敷島浩一に頼むが、敷島浩一は零戦の操縦席に座っても引き金を引けず、整備班は全滅。
 「みんな死んだぞ!」と橘宗作に責め立てられた敷島浩一は以降、死にゆく整備班の悪夢にうなされるようになる。止めを刺すように橘宗作から整備班の持っていた家族の写真を渡されている。

⚫︎加害者性と被害者性
 日本に帰還した敷島浩一は焦土と化した東京を見ることになる。そして、隣人の安藤サクラ演じる太田澄子から、生きて帰って来なさいと手紙に綴っていたはずの母親が空襲で両親ともども死亡したことを知らされる。太田澄子の3人の子供も空襲で死亡しており、太田澄子から敷島浩一ら軍人による戦争のせいで皆死んだと責められる。

 ここで敷島浩一は純粋な戦争の被害者ではなく、徴兵されたのか、それとも志願したのかは明確では無いが、東京を焼け野原にし、第二次世界大戦という人的災害を市民にもたらした加害者である軍人の側面を持つことが語られる。
 これはその後の展開でも度々描写されることだが、戦地帰りの人々は死地に無理やり連れだされた被害者であるとともに敵兵を殺そうとした加害者でもあることが考察できる。

 戦争帰りの元兵士の敷島浩一たちはPTSDに加え、サバイバーズ・ギルト (Survivor’s guilt)に苛まれている描写が多い。サバイバーズ・ギルトは戦争や災害、事故の生存者が周囲の人物が亡くなったのに、生き残ってしまったことに罪悪感を覚えてしまうものであり、PTSDと結びつくことが多い。
 現実でも高齢者の方が第二次世界大戦について実体験を語る際に「その状況では見捨てるしかなかった」「救える命を救えなかった」とサバイバーズ・ギルトを引き起こすことが多い。

 敷島浩一は特攻から逃げ、ゴジラとの最初の戦いからも逃げて生き残ってしまったというサバイバーズ・ギルトとPTSDに苦しむ被害者の性質を持っている。一方で、自分も人を殺そうとした、東京大空襲などの戦禍を母国に呼び込んだ軍人という加害者性も有しており、この狭間で苦しんでいると考察できる。

 これはゴジラに襲われる日本を原爆などによる純粋な被害者ではなく、大日本帝国という加害者でもあったことを表象していると考察できる。この加害者性の象徴が軍国少年で、もう少し戦争が長引けば従軍できたと語り、敷島浩一に叱責される山田裕貴演じる水島四郎だろう。山田裕貴は「あそこ(巨大生物對策説明会)で水島は、『明日死んでもいい』と覚悟を決めていたと思います」と語り、水島四郎が従軍していない故に簡単に命を捨てる覚悟を決められたと考察できる。

⚫︎丁寧に描かれる戦後の日本
 荒れ果てた住居や闇市、そこに住む人々の心も荒れている様子が敷島浩一の目線を通して丁寧に描かれる。そこで出会うのが赤ん坊の明子を連れた浜辺美波演じる大石典子だ。大石典子は空襲で両親を失っている。
 大石典子との出会いにより、敷島浩一は生きていて良いのか、今の自分は大戸島で死んだ亡骸の見ている夢なのではないかといったPTSDやサバイバーズ・ギルトの症状が緩和されていくことになる。

 明子は大石典子が空襲から逃げる際に見知らぬ母親から託された子供で、大石典子の実の子ではない。敷島浩一は大石典子に対し、今のような生活では明子を育てる余裕がないと言い、大石典子はパンパンにでもなれというのかと返す。
 敷島浩一の返答は「ご時世だから仕方がない」というものだった。パンパンとは戦後の混乱期に在日米軍将兵を相手にした売春婦のことである。

「ご時世だから仕方がない」という言葉は、戦後混乱期の日本の全体の余裕の無さを象徴していると考察できる。それに対し、敷島浩一のことを責めながらも、明子に食べさせるために貴重な白米を分け与える太田澄子。
 この言動は余裕の無さの中にある復興の兆しを象徴しているとも考察できる。

 敷島浩一は二人を養うために復員省から紹介を受けて磁気式機雷の撤去の仕事を受ける。危険が伴う仕事を断るように言う大石典子だったが、敷島浩一は戦争のように必ず死ぬことが決まった仕事ではないと説得する。
 この復員省とは陸軍省や海軍省が廃止され、その後の機雷撤去などの作業を担当した省庁である。
 復員省は昭和天皇への訴追回避、旧海軍幹部への量刑減刑に秘密裏に奔走した極東国際軍事裁判対策でも有名だ。元第六〇一海軍航空隊所属の敷島浩一は海軍省を廃止し、誕生した第二復員省から仕事の依頼を受けたと考えられる。
 復員省は後に第一と第二が合併して復員庁になり、「引揚援護、戦傷病者、戦没者遺族、未帰還者留守家族等の援護及び旧陸海軍の残務の整理を行うこと」は厚労省、機雷の撤去は運輸省、海上保安庁、海上自衛隊へと引き継がれていった。

 ここで磁気式機雷に反応しない木製の特設掃海艇「新生丸」の乗組員である山田裕貴演じる若手の水島四郎、元技術士官の吉岡秀隆演じる野田健治、船長の佐々木蔵之介演じる秋津淸治と出会う。「新生丸」は別の特設掃海艇とペアを組み、両船舶を繋ぐワイヤーカッターで磁気式機雷を海底に留めている鎖を切り、浮かび上がってきた機雷を30mm機銃で撃って爆破処理する任務についていた。

 当初は「新生丸」の任務にも疑問を感じていた敷島浩一だったが、徐々に慣れ、賃金を溜めて家を改装するまでに至る。少しずつPTSDの症状も収まっていき、大石典子と明子との疑似家族を形成していくことで、もう一度生きても良いかと両親の位牌に向かって訪ねるまで安定する。
 街並みも徐々に復興していき、物語は1945年から1946年、1947年へと移っていく。その復興の過程を明子の成長と共に巧みに描いている。大石典子が銀座で事務員として働こうとして自立しようとするのも象徴的だ。

⚫︎クロスロード作戦
 人々が戦争から立ち直ろうとしていたのもつかの間、ビキニ諸島で21キロトン級原子爆弾を用いたエイブル実験とベーカー実験からなるクロスロード作戦がアメリカ合衆国によって行われる。クロスロード作戦は1945年7月に行われたニューメキシコ州ソコロのトリニティ実験、そして広島と長崎に落とされた原爆に続く史上4回目と5回目の核実験である。『ゴジラ-1.0』が反核であることは山崎貴監督自身が公言しており、原爆を思わせる表現や核の時代を感じさせる表現が多い。

 トリニティ実験をもって世界に核の時代が訪れたとされている。
『ゴジラ-1.0』ではクロスロード作戦で標的として接収された戦艦長門が21キロトン級原子爆弾で沈められる中、ゴジラも被爆してしまう。その傷からの再生を試みるも、ゴジラの再生力をもってしても放射能被爆の影響からは逃れられず、再生は細胞レベルのエラーの繰り返しとなる。それによって誕生したのが50.1mの巨体を誇るゴジラだった。

 連合国軍最高司令官(GHQ)のダグラス・マッカーサーはゴジラによって駆逐艦ランカスターが沈められ、その後潜水艦レッドフィッシュが大破と引き換えにゴジラの背びれの写真を撮り、ゴジラの存在を知る。
 しかし、当時はソビエト連邦との関係性が悪化していたため、軍事行動は起こせず、日本自身がゴジラに対処するようにと連絡した。

アメリカ合衆国は一部接収した戦艦や駆逐艦を返還するも、既に武装が外され、日本軍も解体されている日本はゴジラに太刀打ちする術がない。
 シンガポールで人員宿泊、他艦船の修理、通信などの担任母艦となっていた重巡洋艦「高雄」が到着するまで、掃海の際に回収した機雷を用いて時間稼ぎをする役として「新生丸」が指名される。ゴジラの悪夢を見る敷島浩一は深海魚が浮いてきた様子からゴジラの襲来を察知する。
 ゴジラには当然のことながら機雷は通じず、「新生丸」に装備された30mm機銃も通じない。しかし、野田健治の立案で口の中に機雷を入れて爆破することでゴジラの顔半分を吹き飛ばすことに成功した。
『ゴジラ-1.0』のゴジラは山崎貴監督が「原爆のダメージを完全再生できずにエラーを繰り返した結果、巨大化した」というだけあって、頑強さよりも再生力の高さが強調されている。ゴジラという無敵のような再生能力の持ち主でも、原爆のダメージを無くすことはできないというのが生々しい。

 機雷で爆破された顔面の半分が再生していくのがその良い例だろう。放射熱線も吐く度に顔が焼け、その都度再生している。そのため、放射熱線が連射できないのは体の再生能力が追い付かないためと解説されている。そのことから、重巡洋艦「高雄」を沈めた後に「新生丸」に放射熱線を吐かなかったのは再生能力が追い付かなかったためだと考察できる。
 また、銀座で放射熱線で大爆発を引き起こした際、焼けただれたゴジラの顔に加え、キノコ雲と広島や長崎で降ったものを想起させる黒い雨が降る点は『ゴジラ-1.0』のゴジラが持つメッセージ性を感じさせる。

⚫︎政府への信頼
 重巡洋艦「高雄」の沈没という事実を国民に告げず、政府は誰がゴジラ襲撃の混乱の責任を取るのかということで揉めている。
 この政府に対する不信感は『ゴジラ-1.0』全体の軸の一つである。山崎貴監督はコロナ禍での政府の機能不全が脚本にも影響していると語っており、大日本帝国の大本営発表など相まって、政府は信用できず、民間人たち市民が日本を支えていることを描写している。

 政府が責任を押し付け合っている間にゴジラは品川へと上陸し、銀座を蹂躙する。ここで第二次世界大戦の空襲でも被害を免れた日本劇場を破壊していることをアナウンサーが伝えているのが印象的だ。
 戦争が人々に与えた傷の象徴のゴジラが、戦争で破壊されなかった建物を破壊するというのは戦争の犠牲者たちの復讐劇だと考察できる。

 民間人によるゴジラを倒すための会議「巨大生物對策説明会」では戦争帰りの民間人に駆逐艦「雪風」と「響」の操船を頼む際、次々ともう死地に行きたくないと帰る中、留まった人々は政府による死にに行けという命令ではないと奮起するなど、死を命じた政府への不信感がにじみ出ている演出が多い。

 特に野田健治が大日本帝国時代の兵器開発の現場にいた技術士官だからこそわかる大日本帝国時代は脆弱な装甲の戦車の製造、精神論をもとに補給を怠り大量の餓死者と病死者を出す、戦闘機に脱出装置など取り付けないなど、命を軽視しすぎたという発言は重たい。
 国への忠義ではなく、家族のためにゴジラとの戦いに挑む民間人の姿が『ゴジラ-1.0』では印象的だ。

⚫︎「死ぬための戦いではない。未来を生きるための戦い」
 銀座の悲劇で大石典子を喪ったと考えた敷島浩一は、野田健治らの立案したフロンガスによって気泡を水の抵抗を激減させて相模湾の海底に沈めて急速な水圧変化でダメージを与え、それが失敗した場合はバルーンで海上に急速に浮上させて更なる水圧変化でゴジラを殺す「海神(わだつみ)作戦」とは別の作戦を立てる。
 それは誘導用に使用する第二次世界大戦末期に試作された局地戦闘機「震電」のパーツを可能な限り外し、そこに25番と50番の爆弾を搭載してゴジラ口内に特攻するというものだった。

 局地戦闘機「震電」は「異端の翼」と呼ばれる独特な姿をした戦闘機であり、山崎貴監督は開発者の息子にまで会いに行き、取材をしてまで映像化したかったと言う。
 その際、「震電」のテストパイロットに開発者自身がなるなど、危なすぎて誰も乗りたがらなかったのではないかと山崎貴監督は推測しているため、元々生きて帰るつもりが無いという敷島浩一の心情を表現していたのかもしれない。

 野田健治らの立案した「海神作戦」は浮上時にバルーンをゴジラが食い破り、「雪風」と「響」で無理やり引き上げようとするが失敗に終わる。そこで助けに来たのが未来のある若者を作戦に巻き込まないようにと船に乗せなかった水島四郎だった。水島四郎を含め、民間船が集まり、ゴジラを海上へと引き上げる。
 急激な水圧の変化によりゴジラの体は崩れ始め、目は白濁している。

『GODZILLA ゴジラ』(2014)を監督したギャレス・エドワーズ監督と山崎貴監督の対談で、ギャレス・エドワーズ監督が欧米の映画からの影響について訊ねていたのは、民間船の集合場面からだろう。民間船の集合場面は『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』(2019)を想起させる。

 最後、放射熱線を吐く直前のゴジラの口に特攻する敷島浩一が乗る「震電」。それの爆発によってゴジラの頭は吹き飛び、体内に溜めていたエネルギーが全身のひびから漏れ出して瓦解していく。その姿に敬礼する民間人たち。
 吉岡秀隆はこの場面が脚本で神殺しと書かれていたことに触れ、戦争で傷を負った人々がゴジラという神のような存在が自分を倒して未来を生きろと伝えているように感じたと述べている。
 この場面は銀座で戦争の被害を免れた建物を破壊するなど、戦争の犠牲者たちの復讐とも感じられるゴジラに対し、心が戦地に行ったまま帰ってこない傷ついた人々がゴジラの死によって犠牲者たちも故郷に帰ってきたことを感じて敬礼しているように思えた。
 敷島浩一も死んで戦争を終わらせるのではなく橘宗作が設置したパラシュートで脱出しおり、野田健治の語っていた命を軽視しすぎていた第二次世界大戦から抜け出している。

 最後、港へと帰ってきた敷島浩一のもとに明子を一方的に託した太田澄子が駆け寄り、大石典子が重傷を負ったが存命であることを知る。そして、明子を連れて病院に向かった敷島浩一は大石典子から「浩さんの戦争は終わりましたか」と訊ねられ、泣きながらそれに答えて敷島浩一の戦争は終わり、大戸島に置き去りにされた敷島浩一の心はようやく愛する人々のもとに帰ってきたのだった。

⚫︎本当に戦争は終わったのか
 敷島浩一の戦争はようやく終わった。しかし、無(ゼロ)からゴジラによって負(マイナス)になった日本の戦争は終わったのだろうか。
 映画のラストはゴジラの肉片が再生していく場面で終わる。他にもゴジラに関する情報で冒頭からゴジラが再生とそのエラーを繰り返して落としていく皮膚片から未知の物質が検出されていることが語られている。
 この演出は山崎貴監督が好きだと公言している『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001)のラストを想起させる。『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』のゴジラは太平洋戦争の怨念が乗り移った破壊神のような存在だった。

『ゴジラ-1.0』は第二次世界大戦直後の話のため、『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』のゴジラのような戦争の悲惨さを忘れた人々への復讐のために暴れまわる設定とは違うように思われる。
 だが、戦後直後だからこそ、生き残った者への想いが強く反映されたのが『ゴジラ-1.0』のゴジラなのかもしれない。また、再生とエラーを繰り返し苦しみながら変化する怪獣というゴジラ像は『シン・ゴジラ』からの要素も感じられる。

 そして、この映画ではゴジラに襲われた日本の被害者性と大日本帝国時代の加害者性が描かれている。もしかすれば、日本が加害者性を持っていたことを忘れたとき、戦禍としてゴジラがよみがえってくるのかもしれない。
 また、野田健治がゴジラの縄張りに言及していたことや、音響式地雷用スピーカーで同種族が縄張りを侵してきたと考えるはずと語り、そのスピーカーにゴジラが引き寄せられたことから、別個体のゴジラの可能性も考えられる。

『ゴジラ-1.0』にはある意味で復活の余白が残されていたと考えられる。戦時下から戦後へと移り行く日本を描いた『ゴジラ-1.0』。再生能力の異常な高さを誇るゴジラの今後にも注目していきたい。

『ゴジラ-1.0』は2023年11月3日(金)より全国公開。

『ゴジラ-1.0』公式サイト

山崎貴監督が手がけた『ゴジラ-1.0』の小説版は、11月8日(水)発売で予約受付中。




💋新映像体験ばかり喧伝されてて興味が薄れかけたが… 小説と映画を比べてみたいかも
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「なぜ言語はこんなにもたくさんあるのか…」編集工学者・松岡正剛と数学者・津田一郎が語り合う「言語の起源の謎」 2023/11

2023-11-03 22:24:38 | 気になる モノ・コト

「なぜ言語はこんなにもたくさんあるのか…」編集工学者・松岡正剛と数学者・津田一郎が語り合う「言語の起源の謎」
  文春Online より 231103  松岡 正剛,津田 一郎


 話者のひとりはカオス理論の確立者であり、複雑系科学の第一人者の数学者、物理学者の津田一郎。またもうひとりは、「編集工学」を掲げ、情報を生む世界観を追究してきた博覧強記の松岡正剛。1980年代初頭、新しい生命科学と数学が生まれつつある胎動に胸躍らせていた松岡氏は、津田氏と出会い、科学に物語性を接続するその才に触れ、心打たれたという。

 ここでは、両名の初となる対話集『初めて語られた科学と生命と言語の秘密』(文春新書)を一部抜粋して紹介する。

◆◆◆

「言語の起源」の謎
松岡 世界中の言語はバベルの塔が崩れて以降、各地各様のローカルな言葉が派生してきたわけですが、今日地球上に残っているものでも3000以上の言語があって、数世紀前は1万以上もの言語が林立していたわけです。
 メインになる言語と「消滅していく言語」との攻防がたえず局地的に繰り返される中で、ではなぜ言語はこんなにもたくさんあるのかということは、あいかわらず謎なんですね。もともとヒトの群れの中で言葉が交わされるようになったころからの謎でしょう。
 それでも「言語の起源」をめぐっては、ルソーをはじめ、グリム兄弟やフンボルト兄弟のような言語文化の研究者が出てきて、いくつかの仮説が並列してきました。
     松岡正剛氏

 地球上にはたくさんの言語があるけれども,もとの起源は一つの言語であったという説。
 人類学的な見方で、アフリカ大陸からルーシー(アウストラロピテクス)たちが分散移動していくにつれて、農耕や遊牧などの生活形態やさまざまな風土や気候条件によって身体の発音機構も変わったので、皮膚や目の色が変わるように言語も変化していったのではないかという説。
 大きくはチョムスキーの生得説とピアジェの獲得説に分かれるんですが、言語は髪や皮膚以前の問題、すなわち脳や進化の奥にあるものが出てきて言語になったと考える説、あらゆる言語に対して普遍的な文法があると考える説。
 いろいろの主張があった。そこに、言語以前の「認知」に焦点を当てる見方が加わってきた。認知科学や認知言語学です。
 ここでは、「脳」と「心」と「言語」を同時に内包するシステムが機能していると見立てて、コンピュータの中でモデル化する試みも出てきた。フォーダーやミンスキーのような人気のある仮説も出てきました。
 一言でいえば「脳」と「心」と「言語」にはこれらを構成したり代理したりする、ユニットやフレームやエージェントがあるんじゃないかというものです。

 しかし、こうした主要な説を破るような言語観もある。ぼくはわりに若い時期に、空海の「声字実相義」という考え方に出会いました。それは、声になっているものと文字になっているものは分けられなくて、われわれの頭や身体の中には「内声の文字」がすでにひそんでいて、それが躍動しているという考えです。
 空海の言う「内声の文字」はプシュケーとかプラーナみたいもので、ふだんは蕾(スポータ)の状態になっている。そういういまにもはち切れようとしているものが「内声の文字」としてあって、それが弾けて外に出ていくんだけれど、もともとその奥には蕾に秘められたマントラや言霊のようなものがあって、それはのちのちの変化の可能性をもちながらも分節化されていない基体としてあるというんですね。

 空海は真言宗を興したので、マントラや言霊はのちに「真言」というふうにまとめられてしまうんですが、なかなか刺激的でした。

 ぼくが若いときに影響を受けた言語観は、そのほか、ライプニッツとフレーゲと三浦梅園と本居宣長と白川静ですね。
 ライプニッツの考え方は、世界の現象をあらわすためにはせいぜいアルファベットと同じ程度の数の、20から30の構成要素的言語があればすべてあらわせるというもので、フレーゲの言語観は1879年の『概念記法』で示されたものですが、知識を測る思考ツールとしての「式言語」であらわしている。論理式とも共鳴するものですが、最初にこれを見たときは仰天しました。

 津田さんも興味をもたれている三浦梅園の言語観は、『玄語』などの三部作として発表されていて、その考え方は「反観合一の条理学」として示されていますね。
 梅園はそのことを「分かれて相反し、合して一になる」と説明しています。どんな概念もその奥では二つのプレ概念が向かいあうか、表裏一体になっていて、その対置しあうものがメタな言語性を統合した姿なんだと言っているんですね。
 宣長の言語観は「からごころ」を排して、古代日本語を読むという方法にあらわれます。歴史は「タダの詞」で説明してもいいが、本質は「アヤの詞」でしか示せないという、すこぶる日本的な言語思想です。

 これから話しあってみたいのは、こうしたいろいろな言語観を、ではどのように科学的な世界観や世界モデルとの照応関係のなかで持ち出せばいいかということですね。

 それでは、このへんで津田さんの見方を伺いたいのですが、世界観と言語観を結ぶ見方は、たとえばタンパク質とアミノ酸の関係、タンパク質と核酸の関係、ネットワークとシナプスと神経伝達物質の関係、あるいは遺伝子と進化の関係などに、けっこう交差できると考えますか。
 そのためには、言語の謎をもっと解くべきなのか、それともそういうものを科学が取り込んでしまうのがいいのかどうか、そのへんも含めてお聞きしたい。

⚫︎タンパク質をめぐるパラドックス
津田 ずっと聞いてるだけでもいいような大きな問題がずらりと提示されましたが、ひとまず私の問題意識を示すためにタンパク質の話をしてみたいと思います。タンパク質をめぐっては、昔からあるパラドックスがあります。「レヴィンタールのパラドックス」です。

 タンパク質というのは、100個以上のアミノ酸がペプチド結合によってつながれています。細胞内で一定の秩序構造に正確に折りたたまれることで、アミノ酸配列に固有の機能を付与するのですが、100個のアミノ酸残基のタンパク質にはおよそ3の200乗(およそ10の100乗)通りの立体構造が可能であり、そうするとタンパク質が網羅的に安定状態を探すことは現実的に不可能であるというパラドックスです。詳しい計算は以下のようにして導かれます。

 100残基のポリペプチドがあるとすると、99のペプチド結合があるわけですけれども、それぞれのペプチド結合には二つの角度があるので、立体構造には全部で198通りの組み合わせがあることになる。
 発現するタンパク質にも三つの安定な状態がありえて、そのうちどれか一つをとってタンパク質の機能が発現するのだとすると、組み合わせの数は3の198乗、つまりおよそ10の96乗くらいになるわけですよね。
 そうすると、たとえば1ピコ秒(10の-12乗)に一回の速いペースで折りたたみが起きて、最安定構造を探っていくのだとしても、トータルで10の84乗くらいの秒数がかかる。

 しかし、宇宙年齢は10の18乗秒しかないんですよ。だから猛烈な速さですべての可能な状態を通過して安定状態に落ち着くなんてことは、とてもじゃないけれどできない。
 つまり、全探索はしていない。となると、どうやってタンパク質はベストな対応をつけていくのか、そこが謎としてのこるんです。

松岡 うん、勘定が合わない。

⚫︎生体の中には「マントラ」に近い仕組みがある
津田 というか、全探索ではない最良の方法とは何かという問題です。一方で、タンパク質には正しく折りたたまれるための回路があって、三次構造としての立体構造をもつタンパク質の折りたたみは、実際にはアミノ酸の一次構造で全部決まっているという仮説が出たりしました。
「アミノ酸配列さえ決まれば、タンパク質の立体構造は一義に決定する」とするものです。固有の構造を獲得するためのシナリオはあらかじめ決まっているのだとする見方。

 しかし実際には、細胞内のタンパク質はかなり混み合っているので、しばしば他の分子との相互作用によって“変性”が起きてしまう。
 タンパクが劣化していく変性のプロセスというのは、疎水性のものが表に出たときに、疎水性のもの同士が結合していってモルテングロビュールという糸玉状のものになって機能が発現しなくなる、というものですね。
 ヘタしたらそれがアルツハイマー病でたまると言われているアミロイドβとか、狂牛病のプリオンというものになる。
 これはタンパク質の三次構造の折りたたみの段階で失敗が起きることが原因です。それはまずいんだけれども、じゃあ折りたたみの失敗を元に戻せるかというと、ゆで卵を生卵に戻せないようにムリである。不可逆過程だからムリだというんですね。
 ただ最近は、小さいタンパク質であれば可逆的で、ある程度は再生できると言われるようになってきた。変性する要因になっている阻害剤を徐々に取っ払っていくと、元に戻せるようです。

 実際にもそうした再生プロセスは生体の中でもおきているらしく、それを可能にするのが「シャペロン」(chaperone)というタンパク質です。シャペロンはタンパクの疎水性の部分に蓋をする性質を持っているので、先にシャペロンが疎水性の部分にくっついてしまうと、他のものがくっつくのを防ぐんですね。
 するとタンパクがおかしな変性をすることなく、きちんと機能を発揮するよう折りたたんでいくことができる。あるいは、いったん変性してしまっても、そうやってシャペロン風のものをうまく使えば、もう一回、機能を持ったものに戻れる。

 もともと「タンパク質が変性する」とは、ポテンシャルを移行させることなんだけれども、そのポテンシャル自体はものすごく小さいので、実際には移行といってもほとんど平坦な変化です。深い谷があって変性するわけではなくて、あるのはものすごく浅い谷なので、物理の知識からすれば戻せるだろうと思えます。
 そして、実際に小さいタンパクならこれまでは戻らなかったものを戻せることがわかったんですね。

 だから生体の中には、さしずめ「マントラ」に近い仕組みが、遺伝子レベルではないにせよ、タンパク質レベルではあるということなんですよ。

松岡 おおっと、シャペロンが一挙にマントラになった(笑)。シャペロンって、もともとの意味はヨーロッパの貴族社会で若い女性が社交界にデビューするときに付き添う年上の女性のことでしょう。誘導者みたいな役割です。
 そんな雰囲気がある用語を、折りたたまれていない変性状態のタンパク質に近づいて折りたたまれるものにフォールディング(折りたたむ)する機能のネーミングに使ったというのは、洒落てるよね。
 それがどうやら酵素や神経伝達物質やホルモンの機能が発揮される秘密を握っているらしいわけだから、さらにおもしろい。
 津田さんは、そこに言語とアナロジーできるしくみがあるだろうというんですね。もう少し、説明を続けてください。

津田 正しく折りたたまれず変性した状態はエントロピーが高くなっている。孤立系なら、熱力学第二法則があるから元に戻らない非可逆過程だけど、この場合は開放系で、シャペロンなんかが相互作用してくる。
 そうするとエントロピーを減少させるような若返りの過程がおこってまた正しい折り畳みの道を探ることができる。むろんシャペロンのエネルギーが使われているわけですが、この過程は、文章をある場所で書きまちがえて意味がまったく通らなくなってもいったんそこを削って、周りの意味から文脈がわかり、それで文章の一部を書き換えることができる過程に似ています。

松岡 なるほど、その見方につながっていく。シャペロンって正しい相手があらわれるまでは、新生ポリペプチドの疎水性部分を水分子から隠したりもしますね。「いない、いない、ばあ」をする(笑)。

津田 そうかもしれない。

⚫︎言語とタンパク質の「選択原理」
松岡 少しぼくの拙いアイデアを添えると、タンパク質と同じように、言語において似たようなことを考えてみると、言葉をすべてコーディングするのではあまりに膨大になります。
 途中に矛盾もおきるし、絡みもおこる、重ね合わせや折りたたみや折り合わせということもおこる。
 したがって言語が確立していく過程では、何かの理由によって「集団符号化」(ポピュレーションコーディング)ではなくて、むしろ「スパースコーディング」(まばらにコード化すること)がおこるようになったのではないかということが考えられるんです。
 つまり、情報の重複をできるだけ抑えるような言語セットに向かったのではないかということです。

 というのも、幼児は18ヶ月で言葉を喋り始めるわけだけれども、模倣言語にしてもマンマとかワンワンとか、身近なところから入っていくでしょう。
 2歳で操れる言葉の数は50語くらいになる。それでもまだまだ少なくて、3歳で一気に1000語くらいになりますね。
 しかし、この言葉の幅の増加は50が1000に一気にふえてポピュレートしたのではなくて、スパースされたものをうまく組み合わせる余地がどこかに潜んでいて、その組み合わせ機能の発現によって一気にふえるんじゃないかと思うんですね。

 その後、6歳では1万3000語くらい、15歳過ぎると6万語くらいに増加幅はどんどん大きくなっていく。
 それはトークン(交換可能なもの)の数からするとものすごい数だけれども、タイプからするとそんなにべらぼうではない。
 物理や生物学や脳科学における知見が、この言語獲得の過程のメカニズムをうまく援助してくれると、数理言語学のようなものも、もうちょっと説明がつくんじゃないのかな。

津田 そうですね。どんなものであれ、組み合わせの数はものすごく多いわけですが、実際にそれをすべてやるわけではない。その中でどういう選択原理がはたらくのかはわからないけれど、でもたしかに選択をしているはずです。
 タンパク質の場合にはあきらかに酵素によって反応がバラエティに富んでいくし、意味づけられるわけですね。酵素がない普通の化学反応だとトークンになるんだけれども、酵素が入ることでちゃんと意味が出てタイプになる。

 では、なぜ酵素のようなものが生み出されたのかというのはまだ謎なんですが、おそらく言語にもそのような、「てにをは」のようにすべてを紡いでいけるような仕組みがあって、それが言語を紡ぐだけでなく、さらにセレクションをしていくんだと思うんですね。
 体内の細胞の中で起きている生物学的な化学反応と、実際に操っている言語とのあいだには、創造性において密接な関連性があるんじゃないかと思う。だからそこをベースにした新たな言語学ができるとおもしろいですよね。

松岡 それがなかなか出てこなくてね。ウンベルト・エーコの『完全言語の探求』(平凡社ライブラリー)がそういうユニバーサル・ランゲージを探していましたが、新しい試みはまったく不発でしたね。

(松岡 正剛,津田 一郎/文春新書)
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🚶…巨椋池埋立向島農地…観月橋〜  231103‘

2023-11-03 18:00:00 | 🚶 歩く
🚶…右岸堤防道…隠元橋…伏見区向島渡シ場…向島清水町🚏🚌〜センター前🚏…向島中央公園沿…近鉄向島…第三承水溝沿…東定講橋…向島新上林…向島大河原…宇治川左岸堤防道43.4km標…宇治川運動公園沿左岸堤防道…近鉄鉄橋下…観月橋南詰…観月橋…観月橋〜🚉…H六原↩️…右岸堤防道…>
🚶11757歩2kg

☀️:隠元橋24℃,観月橋25℃ 風穏やか心地よく散歩日和

 今日も巨椋池埋立農地を👀眺望よく堪能
宇治川運動公園では球児が野球を。

なんか腰痛に,とは言えしっかり歩ける…


向島中央公園

左岸堤防道(43.5km付近より)巨椋池埋立農地

同上 河川敷と北側方面

伏見桃山丘陵方面






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世界最大の高校生科学コンテストISEFで日本人ら受賞 バイオリン奏法の数理研究など 2023/11

2023-11-03 02:44:51 | 気になる モノ・コト

世界最大の高校生科学コンテストISEFで日本人ら受賞 バイオリン奏法の数理研究など
 GLOBE+ より 23110  小林誠


広大なISEF会場でポーズを決める日本代表=2023年5月、アメリカ・ダラス

 各国の高校生らが科学・技術・数学の自由研究を競う「世界最大の科学コンテスト」といわれる大会がある。毎年5月にアメリカで開かれる「国際学生科学技術フェア(International Science and Engineering Fair、ISEF=アイセフ)」だ。
 コロナ禍で日本からの渡米は3年間できなかったが、2023年は4年ぶりに実現した。
大舞台に挑む日本代表に密着した。(小林誠)

⚫︎提出資料は膨大かつオール英語
 ISEFは一流研究者の登竜門と位置づけられ、各国の大学入試(特にアメリカ)では、出場歴は高く評価されているが、その分、出場への道のりは険しい。
 まず、アメリカの各州や各国のコンテストを勝ち抜く必要がある。

 全コンテストをあわせると数百万人が参加するとされるが、今年、ISEFの舞台に立ったのは64の国・地域から選ばれた1638人だった。

 日本からISEFを目指すには、二つのルートがある。「JSEC(高校生・高専生科学技術チャレンジ)」(朝日新聞社・テレビ朝日主催)と「日本学生科学賞」(読売新聞社主催)だ。いずれかの大会で高い評価を受ければ、日本代表に選ばれる。

 2022年12月にあったJSECの表彰式=東京・お台場の日本科学未来館
今年のISEFは、テキサス州ダラスで5月14日から19日にかけて開かれた。
JSECからは8研究14名、日本学生科学賞からは3研究4名、合計18人が挑んだ。

 筆者はJSECの担当者として、日本代表の準備を支援し、アメリカ派遣に同行した。
コロナ禍の2020年~2022年は、残念ながらオンライン参加を強いられていたため、渡米は4年ぶりだ。

 JSECをへて派遣されたのは14人(男子3人、女子11人)。彼らが高校生活をかけて取り組んできた研究のテーマは以下の通りで,幅広い分野に及ぶ(学校名は2022年のJSEC参加当時)。

バイオリンのハーモニクス奏法における倍音の持続現象に関する数理的研究(物理学・天文学)
田中翔大さん(市立札幌開成中等教育学校)

光により誘導される根の緑化の発見(植物科学)
河野百羽さん(東京大学教育学部附属中等教育学校)

空気の微細な気泡と海水の鉄電解を用いたアンモニア製造法(エネルギー)
安藤優花さん、石垣美月さん、相原瑛莉星さん(静岡理工科大学静岡北高)

植物乳液の防虫効果と利用法(植物科学)
坂手遥さん、横山麗乃さん、渉結名さん(島根県立浜田高)

忍具「些音聞金」の解明と応用~忍具の謎を解き明かし、現代に役立てる~(機械工学)
鶴丸倫琉さん、柴崎湧人さん(山口県立徳山高)

炎光光度法を用いたエアロゾル粒子の濃度測定と可視化手法の開発(環境工学)
水谷紗更さん(東京都立小石川中等教育学校)

心地良い「音楽」を「数学」で奏でる(行動・社会科学)
小笠原優海さん(大妻多摩高)

赤い紅の『見える緑』『見えない緑』『光る緑』~墨を用いて紅の緑色光沢を生み出す伝統的な手法の解析~(材料科学)
箕浦祐璃さん、光吉音葉さん(文京学院大学女子高)

⚫︎ISEFのウェブサイトに掲載された8研究の一覧
 毎年12月に開かれるJSECの最終審査会で評価され、日本代表に選ばれると、最初は喜んでやる気にあふれるメンバーが多いが、実際は、すぐに大変な作業に直面することになる。今年のメンバーも、例外ではなかった。

 苦労する原因は、準備の膨大さだ。整える資料は、主なものだけでも、アブストラクト(研究の概要)、リサーチペーパー(研究計画書)、ポスター、スライド、複数の事務書類など数多く、すべて慣れない英語で書く必要がある。

 ISEFのルールは日本の多くのコンテストより厳格で、書類の記載ミスや論理の矛盾があると事前のチェックを通らない。

 また,動物や危険性のある物質を使った実験では,高い研究倫理や安全対策も求められる。山口県立徳山高の鶴丸倫琉さんは「書式や慣例など,どれもが日本で行われる大会とは勝手が違い,何を指摘されるのかが全くよめず,承認を得るまで安心できなかった」と振り返る。
過去のISEF出場者のアドバイスや,専門家の指摘を受けて,推敲を重ねる日々が続いた。

 ISEFのために作る発表資料の例。書式や大きさなども細かく定められている

 アメリカでの審査は、ブースにポスターを展示したうえで、大学教員などの審査員に対面でプレゼンし、質問を受ける形式だ。考えられる限りの想定質問をつくり、どう答えるかを練っていく。

 12月から5月まで、英語との格闘の日々が5カ月間続く。自動翻訳が発達して楽になった面はあるが、それでも英語圏の高校生に比べるとハンデは重い。

 また、この間に実験を重ねて、研究内容を発展させることも重要だ。場合によっては重要な結論が変わり、資料を書き直すこともある。文京学院大女子高の箕浦祐璃さんは「準備期間中、自分の未熟さに嫌気が差すこともあった。他のチームは研究の準備を着実に進めているのにと思うと、辛くて辛くてたまらなかった」という。

 高校生には、当然ながら、それぞれ学校の授業や行事、大学受験の準備もある。例年、春先にかけて、学校生活と並行した準備に疲れ、やる気がなえかけるチームも出てくる。

 その対策としてJSECでは、4月に研修会を開いている。今年は協賛企業のソニーの協力を得て、東京・品川の同社本社で2日間実施。JSECの審査を担う大学教員や同社社員らと英語で質疑応答する。

 全チームがそろって研修をすることで,お互いにできばえや不足点がわかり,学び合えるのもメリットだ。日本代表は,この研修で一気に真剣モードになり,本番に向けて火がつく。

 その後も、みんなで作ったLINEのグループなどを活用し、各チームの状況をケアしつつ励まし、常に楽しい雰囲気、「どんなことを言ってもこのメンバーとなら大丈夫」という場づくりに努めた。徐々に、14人が苦労を共有する一つの「チームJSEC」という意識が芽生え始めていった。

⚫︎フェスのような交流会も
 長い準備期間を経て、いよいよ本番。5月14日朝、全員が無事、羽田空港にそろった。ISEFが開かれる都市は毎年変わり、今年はテキサス州のダラスだ。
 日本航空の直行便がフォートワース空港に着くと、機内アナウンスが流れた。「ISEFにご参加される日本代表の皆様のご健闘を乗務員一同、心よりお祈り申し上げます」。いよいよ、高校生活をかけてきた研究を、世界で発表するときが来たのだ。
 エールに励まされた14人は、すぐに会場であるコンベンションセンターへ向かい、準備がスタートした。

ISEFでは、各チームに一つ、発表用のブースが与えられる。
指定されたサイズでポスターパネルを展示し、プレゼンテーションと質疑に備える。
 準備を終えるとチェックを受けるが、例年この段階で複数のチームが失格となるため、ホール内には緊張感が漂う。幸い日本代表は、再検査が1件あったものの、全員無事にクリアした。

 各国からの出場者が集まるISEF会場。地元のアメリカの高校生が多く、日本のメンバーは圧倒的なマイノリティーだ=2023年5月、アメリカ・ダラス
 一方、楽しいイベントも多い。初日の夜は、生徒だけが参加できるピンバッジ交換会で盛り上がり、2日目の夜は華やかな開会式。3日目の夜は、ミキサーイベントと称する交流会がある。

 日本のコンテストの多くは、厳粛な雰囲気のなかで式次第に従うケースが多いが、このあたりはいかにもアメリカらしい。DJが入ってクラブ風の音楽がガンガンかかり、まるで大きなフェスの会場に来たような賑やかさで、世界各国からの出場者は大声で騒ぎっぱなしだ。

 チームJSECのメンバーも、すぐに雰囲気になじみ、侍などの仮装をしたメンバーが人気者となったり、一緒に踊り騒いだりして、各国の代表らと打ち解けていった。

 つかの間の休息、談笑するメンバーら=2023年5月、アメリカ・ダラス

 それでも審査日の前の夜になると、否応なく緊張感が高まりはじめる。「最後のプレゼン練習をやろう」とメンバー間で自然に練習が始まり、お互いにほめたり、突っ込み合いをしたりと、全員の気持ちが高まっていく。
 なかには、ここまでの努力を振り返り、感極まって涙するメンバーもいて、チームとしての結束はさらに強くなった。

審査が行われるホール。水準の高い研究ポスターが並ぶ様子は壮観だ=

 ついに審査日を迎えた。それぞれが、自分のブースへと向かう。大人は、通訳支援者を除いて、審査が終了するまで会場には入れない。
 審査は、数人の審査員が順番にブースを訪れる形式で行われる。

 昼食をはさみ夕刻となった頃、大きなホーンが鳴り響き、全ての審査が終了したことが告げられた。会場から出てくるメンバーの表情からは、充実感、興奮、安堵など様々な思いがあふれている。

 翌日は一般公開日で、地元の学生らが来場する。この日はお祭りのような雰囲気で、チームJSECのブースも人だかりになった。

 同日夜から、表彰式が始まる。ISEFの賞は、大きくわけて二つある。
一つはスペシャルアワード(特別賞)で、協賛団体や企業・大学などからの表彰だ。
もう一つはグランドアワード(優秀賞)で、研究分野ごとに一定の割合で1等~4等が選ばれるとともに、大会全体を通して優秀な研究はさらに大きな賞が授与される。
 例年、何らかの賞を獲得するのは、出場者の2、3割程度と狭き門だ。

 先に発表されるのはスペシャルアワード。全員が結果発表をドキドキと待つ瞬間が近づいてきた。発表はアルファベット順で、最初は「アメリカ音響学会賞」だ。

「The recipient of 1st award is :from Sapporo Japan Shodai Tanaka」
(1等受賞者は、日本の札幌市からの田中翔大さん)
 バイオリンの奏法を数理的に研究した独創的な成果は、音響の専門家から最高の評価を受けることができた。アナウンスされた瞬間、日本代表から歓声があがり、私たちスタッフからも声にならない声が出た。

 さらに、アンモニア製造法を研究した静岡理工科大学静岡北高の3人も「上海青少年科学教育社賞」を受賞した。

 翌日、最終日に発表されたグランドアワードでも、チームJSECは三つの賞を獲得。最終的な受賞結果は以下の通りとなった。

ー市立札幌開成中等教育学校の田中翔大さん
物理学・天文学部門で優秀賞3等、特別賞(アメリカ音響学会1等)
ー文京学院大学女子高の箕浦祐璃さん、光吉音葉さん
材料科学部門で優秀賞4等
ー静岡理工科大学静岡北高の安藤優花さん、石垣美月さん、相原瑛莉星さん
上海青少年科学教育社賞

表彰される田中翔大さん。優秀賞と特別賞のダブル受賞を果たした=

⚫︎垣間見た、各国の育成熱
 ダラスを去る最後の夜、メンバーそれぞれが食材を持ち寄り、即席の「メシパ」(ご飯パーティー)が開催された。全てが終わって解き放たれ、大騒ぎで過ごしている。
 帰国したら、再び会う機会はなかなか訪れない、そういった寂しさを紛らわすかのように、思い出話で爆笑が繰り返された。

 一方、あとから聞いたところでは、受賞を逃したチームの中には、部屋に戻ってから、悔し泣きで眠れなかったメンバーもいたという。世界最高の舞台で味わった悔しさをばねに、成長して欲しいと願っている。

 私は初めてISEFの会場を訪れたが、現場で強く感じたのは、中国やASEAN諸国、中東諸国などが国をあげて指導、支援していることだった。どの国も、科学技術人材の育成に力を注いでいることがよく理解できた。

 出場者の多くは「人生を変えた経験だった」「仲間の大切さを実感した」という。帰国後に感想を書いてもらったところ、島根県立浜田高の横山麗乃さんはこう記した。
「ISEFは、高い志を持った世界中の同世代が一堂に会する、まさに夢のような場所でした。たった1週間でしたが、間違いなく私の人生を変えてくれた」

また、静岡北高の石垣美月さんの感想はこうだった。
「世界大会に出場したという確かな自信が、私に勇気を与えてくれる」

 大妻多摩高の小笠原優海さんは「チーム JSECのみんなは本当に優しく、面白く、一丸となってISEFに臨むことができた」、河野百羽さんは「私は誰かと関わることに消極的な性格だったが、今は『気持ちがあるなら何にでも積極的になれ』と言いたいです」と書いてくれた。

 田中翔大さんは「みんなが異なる国に住み、異なる言葉を使っているけれど、プレゼンする時のまなざしや情熱は変わらなかった。こんなに多くの人をつなぐ『科学』の素晴らしさを感じ、今まで認識してきた世界がいかに小さかったか実感した。ISEFは新しい世界への扉を開いてくれた」と振り返った。

 2024年のISEFは、ロサンゼルスで開かれる。JSECからは来年も、8チーム以上の研究を派遣する予定だ。
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