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「宮崎駿」も「新海誠」も,主人公は少年や学生…日本人はなぜ「老い」を肯定できないのか【思想家・東浩紀が考える】202311

2023-11-16 22:53:00 | なるほど  ふぅ〜ん

「宮崎駿」も「新海誠」も、主人公は少年や学生…日本人はなぜ「老い」を肯定できないのか【思想家・東浩紀が考える】
  現代ビジネス より 231116  週刊現代,東 浩紀


 思想家・東浩紀(52歳)の著書『訂正可能性の哲学』(ゲンロン)、『訂正する力』(朝日新書)がいま注目を集めている。人文書が「冬の時代」と言われる中で、前者は2万部に達し、10月に発売されたばかりの後者はすでに4刷を重ねた。なぜいま訂正の重要性を訴えるハードな思想書が、多くの支持を集めているのか。

 前編記事『「ジャニーズのやることは何でも否定」という思考停止…「空気」に支配されてしまう日本人に必要な「ある力」の正体【思想家・東浩紀が考える】』より続く。

⚫︎一度も間違えずに生きていくことはできない
 アメリカ人の態度は開き直りともとれますが、その図太さこそが日本人にも必要なのだと思います。前編で挙げたジャニーズの問題について考えてみましょう。

 喜多川氏はプロデューサーとして、「エンターテインメントで世界を平和にすること」を理想に掲げたとされます。しかし実際にはその陰で、性加害というかたちで多くの若者を傷つけてきました。それは、なにより喜多川氏の理念そのものに反した行いです。

 つまり、これから事務所を再建するためには、「実は喜多川氏本人が、気づかないうちに彼自身の理想を裏切っていたのだ」というふうに、事務所のアイデンティティをさかのぼって訂正するほかに、うまい方法はないのではないか。あくまで思考実験ですが、こういった論理展開もありえます。このように「じつは……だった」と過去を解釈しなおすことこそが、訂正が持つ力です。

 それは何も特別なことではありません。何十年と続いている企業で、創業時と業務がまったく同じところはほとんどないと思いますが、多くの会社は「うちは昔からこうでした」という顔をしています。

 個人についても同じです。どんな人でも、一度も間違えずに生きていくことはできません。だから誰にとっても、訂正する力は重要なのです。

⚫︎「AI」は幸福を呼ばない
 最近では、そのような人間の本質を否定する人々も現れています。「そもそも人間に判断を任せるから間違いが起こるし、訂正する必要が生じるのだから、最初からすべてAIに任せてしまえばいい」―こういった主張に熱狂してしまう若者は少なくありません。

 たとえばメディアアーティストの落合陽一氏は、「AIとビッグデータを用いてすべての選択を最適化してしまえば、最終的に全人類が幸せになる」と述べています。しかしこのような未来像に対して、私は否定的です。というのもAIが扱えるのは、どこまでいっても「ただのデータ」に過ぎないからです。

 AIは逆立ちしても「その人本人」を直接分析できません。扱えるのは、あくまでも年齢や性別などの属性が似ている人々の集団を調べて、そのデータから導き出した「傾向」だけです。仮に「都内に住む50代男性」の傾向がわかったとしても、「東浩紀という個人」については何も言えない。

 しかしそうしてAIが出した結論に異議申し立てをしようにも、「あなた個人の意見はどうでもいいんです。データによれば、『あなたと似た人々』はこう考えているのですから」と返されるだけです。つまりそこには、「じつは東浩紀は……だった」というような、訂正を行う余地がない。待ち受けているのは、個性や内面がまったくの無価値になる、形を変えた全体主義の再来です。

⚫︎会社経営に行き詰まり…
 そのようなディストピアに陥らないためには、私たち一人ひとりが自分の生き方の中でも「訂正」を実践しなければなりません。私がそれに気づいたのは、自分自身が年を重ね、人として経験を積んだからだと思います。
 かつて閉鎖的な学界に嫌気が差した私は、大学を離れて、'10年にゲンロンという会社を立ち上げました。限られたインテリだけでなく、より広い人々に向けて発信したかったからです。しかし初めての会社経営に行き詰まってしまい、'18年には社長を降りました。

 その失敗を経て、自分がやるべきことを見つめ直すことができたんです。失敗して訂正し、また失敗して訂正する。人生でも会社経営でも、それを繰り返して新しい可能性に気づくことができました。同時に、「年を重ねること」そのものの価値にも気づけたわけです。
 そうやって年月を経たことで、ものの見方も変化してきました。たとえば、私がかつて分析対象としていたエンタメ作品に関しても、最近では若いころとは異なる印象を抱いています。

 今年話題になった映画といえば、宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』でしょう。主人公はどう考えても宮崎氏本人がモデルなのですが、なぜか少年として描かれていました。また日本を代表するアニメーション監督の新海誠氏の作品も、一貫して学生が主人公です。引退を「卒業」と言い換えるアイドルを見ても、「青春」「学園生活」という枠組みにとらわれているように見えます。

⚫︎自分の「老い」と向き合う
 対してハリウッド映画では、たとえ子どもが見るような作品でも「中年」や「成熟した大人」が主人公であることが少なくありません。作中では、彼らが抱えている悩みを解決していく過程が描かれるわけです。

 ここには、日本人の深層心理が表れているのではないか。「若さ」や「変わらないこと」を至上の価値と捉えて、青春の記憶を何度も思い返しているように見えます。「老い」を肯定的に描く文化がないことは、日本人が「成熟」を拒んでいることと表裏一体です。

 年を重ねれば、外見はもちろん内面も変化していくのは当たり前です。「人も世の中も、絶えず変わり続ける」ということを理解し、誤りを認めて自分自身を訂正していかなければ、どこかで破綻してしまいます。

 いつでも自分自身を訂正する勇気と覚悟、そして粘り強さを身につける―そうすることが、うまく老いるためには欠かせないのではないか、と私は思います。そして、そういう人が増えてはじめて、日本もより成熟した国になれるのではないでしょうか。


▶︎あずま・ひろき/'71年、東京都生まれ。批評家、株式会社ゲンロン創業者。近著に『訂正可能性の哲学』『訂正する力』、共著に『日本の歪み』ほか
「週刊現代」2023年11月11・18日合併号より
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『ゴジラ-1.0』と『シン・ゴジラ』の“最後の表情”が正反対な理由 アメリカの隠喩でも環境破壊の警鐘でもなくなった怪獣の“正体”とは 202311

2023-11-16 22:10:00 | スカパー 放送予定控 & 映画 予定 &TV 予定

『ゴジラ-1.0』と『シン・ゴジラ』の“最後の表情”が正反対な理由 アメリカの隠喩でも環境破壊の警鐘でもなくなった怪獣の“正体”とは
  文春Online より 231116  河野 真太郎


 東京を絶望的な破壊に飲み込むゴジラを凍結する作戦が成功した瞬間、作戦にたずさわった人びとの緊張は解け、みながため息をつく。こういった場面にありがちな、喜びを爆発させたり、泣きながら抱き合ったりといったものは皆無で、みなが憔悴しきった様子でため息をつく。
 ……これは2016年公開、庵野秀明・樋口真嗣監督の『シン・ゴジラ』のクライマックスである。私はこの瞬間は、数あるゴジラ映画の中でも最高の瞬間の1つだと思っている。そして、この瞬間は、『シン・ゴジラ』と、大ヒット公開中の『ゴジラ-1.0』の歴史観の違いの本質を表現している。

 山崎貴監督『ゴジラ-1.0』は確実に、ゴジラ映画史に新たな1ページを開いた。ほんの7年前に『シン・ゴジラ』という怪物のような作品があったにもかかわらず、白組の手掛けるこの映画の視覚効果(VFX)は日本映画の視覚効果を一段上に引き上げたと感じられる。

 一方で、芝居や演出は、好みが分かれるかもしれない。筆者は正直に言って、山崎監督の『ALWAYS 三丁目の夕日』などの過去作と同様に、そのお涙頂戴のセンチメンタリズムはちょっと受けつけなかったが、それは個人的な好みの問題だと言われればそれまでかもしれない。世間の評判から考えると、私の感性は少数派のようだ。

*以下、『ゴジラ-1.0』の結末に触れる部分があります。

🦖「シン・ゴジラ」は日本の戦後を「未解決なもの」として扱った
 それ以上に興味深いのは、そのようなセンチメンタリズムも含めて、『ゴジラ-1.0』は『シン・ゴジラ』への「返歌」かとも思えるほどに、この2つの作品が好対照をなしていたことである。その対照性は、先ほど記述したクライマックスの場面が雄弁に物語っている。『ゴジラ-1.0』では、なんの衒いもなく登場人物たちは歓喜する。

 この演技・演出の違いは、演劇性やリアリティに対する考え方の違いにとどまらないものであるように思われる。それは、日本の戦後をどう考え、それにどのような物語をほどこすかという、ほぼ歴史観の違いといっていいものを表現しているのであり、それを観る私たちはその違いに十分に意識的になるべきだろう。

『シン・ゴジラ』は戦後日本を、その国際関係ともども、終わりがなく未解決のものとして差し出し、ゴジラ出現以降の政府の動静とアメリカを中心とする国際関係をたっぷりと描いた。

 もちろん、東日本大震災が引きおこした原発メルトダウンに対する政府の対応を固唾を呑んで見守るという経験によって、私たちの中にそのような想像力が研ぎ澄まされていたことが大きい。

 そして、東京のゴジラに対するアメリカによる核攻撃が迫る中、ゴジラはぎりぎりのタイミングで凍結される。しかしそれはあくまで一時的な凍結である。アメリカによる覇権とその「傀儡」としての日本政府という関係──つまり戦後体制の残滓──は「未決」のままに繰り延べにされる。

 それに対して、『ゴジラ-1.0』は時代を戦後すぐというオリジナルの『ゴジラ』よりも前に設定したが、そこにある欲動は「戦後体制を越えていくこと」であった。

 だがそれは、『シン・ゴジラ』のように政治の物語そのものとしてではなく、主人公敷島(神木隆之介)の個人的物語として語られる。つまり、戦時中に特攻飛行隊員となるものの死への恐怖から逃げ出し、なかんずく遭遇したゴジラに攻撃することができずに同胞たちの死を招いたという「戦えなかったぼく」=「去勢」の経験の乗り越えである。

 ゴジラは環境破壊への警鐘でも、アメリカの隠喩でもない。それは、特攻で死ぬことで同朋を救えなかった敷島のもとに現れる亡霊だ。

『シン・ゴジラ』が解決できないものとして提示した戦後日本の去勢の経験を、『ゴジラ-1.0』は乗り越えようとする。だがそれは、「再軍備化」によるものではない。再軍備化による去勢の乗越えは、敷島の自爆死を意味しただろうし、それでは作品はあまりにも陰惨なものになっただろう。

🦖『プロジェクトX』的な「ものづくりジャパン」へのノスタルジー?
『ゴジラ-1.0』は日本の去勢を「民間」の強調によって乗り越えようとする。その結果、敷島は国家の命令の下での自爆死を再演することなく、去勢の象徴・亡霊としてのゴジラを祓うことに成功する。多分にご都合主義的な結末によってではあれ。

 結果的にこの作品は、特攻死を否定し、「生きる」ことを肯定する。かといって、この作品は戦後民主主義的な平和主義──つまり、55年体制的な護憲平和主義──なのかと言えば、それも違う。しかしやはり、述べたように、改憲・再軍備を指向するものでもない。それは、どう考えればいいのだろうか?

 この作品は「民間」(国家ではなく私企業)による「日本」の再興の物語である──このように言語化してみると、この作品がいかにも時代遅れに思えてしまうのは私だけだろうか。『下町ロケット』や『プロジェクトX』的な、「ものづくりジャパン」へのノスタルジー。そのような夢が破れてしまった、もしくは破れつつあるのが、経済停滞にあえぐ今の日本ではないのか?

 ここで私は、この作品における「民間」の人びとのプロジェクトを、『ゴジラ-1.0』という映画そのものへの自己言及とみなせると提案してみたい。つまりこの映画は、文化面における「戦後」を乗り越えようとする。文化面における戦後を映画に関して乗り越えるとは、すなわちハリウッドに伍することである。

 そのような映画であるなら、私が否定したセンチメンタリズムやご都合主義は、むしろハリウッドの劇作法に、日本の文脈で忠実に従ったものとみなすことができる。その懐古的でナショナリズム的に見える内容も、じつのところ世界市場にこの映画を売り出すにあたっては、「日本的なもの」としてパッケージ化されたアイテムとみなすべきものである。
(ついでながら、そう考えると、冒頭の大戸島のは虫類的ゴジラは、ハリウッド版ゴジラへの皮肉な言及にも見えてくる。ハリウッドがやったことくらいは簡単にできますよ、という宣言である。)

🦖「ゴジラ-1.0」はクールジャパンの夢を見る
 すでに廃れつつあるように思える言葉を使うなら、この映画は「クールジャパン」の夢を見る。この経済停滞の中、コンテンツ産業において一矢報いたいという夢である。

 グローバルな(ハリウッド的な)劇作法には背を向けて特殊日本的=庵野的な表現の濃度をひたすらに濃くした『シン・ゴジラ』に対して、『ゴジラ-1.0』は日本的な内容を、ハリウッド的劇作と表現でパッケージ化して世界に売り出している。

 北米ではすでに1500館での公開が決まっているというこの作品は、まずはそのミッションに成功しつつあるようだ。この映画は、私たちに「戦後が終わった後」の夢の空間を見せてくれるのだろうか。

(河野 真太郎)
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🚙定検⇄向島駅 🚶…宇治川高架橋…宇治橋🔂 231116

2023-11-16 16:43:30 | 📖 日記
🚙〜宇治橋高架橋〜24号線〜TC🚙点検
🚶…ベルファ👀…vDrag👀…24号線…🏦…🏣…向島中央公園…向島駅前…立木公園沿…槙島側…TC🚙点検済
🚙〜向島市営団地沿〜向島清水町北沿〜左岸堤防道〜隠元橋〜駐屯地沿〜京大沿〜>
🚶…右岸堤防道…Alp沿…宇治川高架橋…槙島(郡…幡貫…門口…北内…菌場)…ユニチカ中央研前…左岸堤防道/河川敷…宇治橋…パン屋🍞🍞🥪…右岸堤防道…>
🚶…Alp:百均🔋:🥮:マック🍔…>
🚶12315歩2kg14F

🌤️晴たり☁️まあまあの散歩日和
 ハロー出現, しかし紅葉遅く…

久々に🚁編隊5機&3機👀
🚙点検中は近隣散歩。

厚腹巻と秋冬👕に。

🌡️ベランダ21.2〜8.1℃ 風穏やか



向島中央公園より



ハロー👀




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【西洋文明の源流】 ギリシア文明が現代に与え続ける影響とは? 2023/11

2023-11-16 02:28:33 | なるほど  ふぅ〜ん

【西洋文明の源流】 ギリシア文明が現代に与え続ける影響とは?
 草の実堂 より 231116 村上俊樹


 古代ギリシア文明は、政治、学問、文化、芸術など、現代社会のあらゆる側面に決定的な影響を与え続けています。

 ギリシア神話のモチーフは文学や美術に受け継がれ、デモクラシーの起源は今なお存続する政治形態の源流となっています。

 今回の記事では、古代ギリシア文明を概観していきたいと思います。

⚫︎現代社会に決定的な影響を与え続けるギリシア文明
 古代ギリシアが西洋文明の基礎となった理由は以下の通りです。

ーギリシア神話がのちにヨーロッパ文学や芸術に大きな影響を与えた。
ーソクラテスやプラトン、アリストテレスらの哲学が西洋哲学の源流となった。
ードーリア式やイオニア式などの美術様式が確立し、西洋美術に引き継がれた。
ーデモクラシーの原型となる民主政がギリシアのポリスで誕生した。

 上記のように「政治、思想、文化、芸術」など多方面で、西洋文明に大きな影響を与えたためです。

 ギリシア語由来の言葉は今も多く残されています。

「ニケ」はギリシア神話における勝利の女神の名前で、スニーカーブランド「Nike(ナイキ)」のロゴマークはこの女神の翼をモチーフにしたものです。
ローマ神話では「ウィクトーリア」と呼ばれ、英語の「victory」の語源になっています。
:勝利の女神ニーケー。ローマ神話ではウィクトーリアと呼ばれる 

「ナルシシズム」は自分自身に夢中になる自己愛的な性格を指し、ギリシア神話に登場する自分の姿に恋をした「ナルキッソス」に由来しています。ナルシシズムという言葉は、自分を過度に愛するという意味で心理学の用語として定着しています。

 それ以外にも「エディプス・コンプレックス」「レズビアン」など、様々な固有名詞が古代ギリシアに由来しています。
 スポーツや学問などの分野で一般名詞としても用いられていることから、ギリシア語が欧米文化に深く浸透していることがうかがえます。

⚫︎地中海を中心に拡大したギリシア文化
 古代のギリシア文化圏が東地中海全域に広がったのは、ギリシア人による盛んな植民活動が影響しています。
 ギリシア人にとって食料事情の改善が、海外進出の動機の一つであったと言えます。

 ギリシア本土は山がちな地形であり、小麦栽培に適した広大な平野が少なかったため、主要な生産物はオリーブやブドウでした。
 当時の主食だった小麦を大量に生産するには条件が悪かったため、ギリシア人は小麦の豊富な生産が可能な土地を求めて、地中海沿岸地方への植民を活発化させます。

 イタリア南部にネアポリス(現在のナポリ)、フランス南部にマッサリア(現在のマルセイユ)といった都市が建設されています。これらの植民都市では小麦生産が盛んになり、ギリシア本国への食料供給の拠点となりました。

 このように本土の地形的制約から小麦の安定供給を確保する必要性から、地中海沿岸地方へのギリシア植民都市の建設を促進することになったのです。

 ギリシア本土からイタリア、シチリア、北アフリカに至る、地中海沿岸に数多くの植民都市が建設され、これらの都市はギリシアと同様の文化、政治制度、建築様式を共有することになります。

 さらにギリシア神話やギリシア語が地中海交易を通じて広まった結果、政治・思想・文化・芸術の多方面でギリシアの影響が広がり、東地中海全域がギリシア文化圏となったのです。

⚫︎ギリシアで民主政が生まれた背景
 メソポタミアのチグリス・ユーフラテス川や、エジプトのナイル川のような大運河が、ギリシアには存在しませんでした。

 大運河を管理・利用する強力な中央集権的な権力が育たなかったため、小高い丘を中心とした都市国家ポリスが各地に発展しました。

 ポリスでは市民が自治的に運営に関与する、民主主義的な制度が育ちました。

 中央集権的な権力に頼らない分権的な社会の特徴をギリシアは持っていました。

 ギリシアの地理的な特徴が中央集権化しにくい社会環境を作り出し、結果としてポリスという自治的な都市国家の発展を促したのです。

⚫︎アルファベットの発明

(画像:ギリシア文字が刻まれた容器。古代ギリシアから使われてきた文字体系であるギリシア文字は西洋で用いられた多くの文字体(アルファベット)の基礎となった 

 ギリシアは貿易を積極的に行いましたが、交易をする上で、商品の記録や通信が必要不可欠です。当時のエジプトが使用していたヒエログリフや楔形文字は習得が難しく、ギリシア人には扱いにくい文字でした。
 そこで彼らは、1文字を1音に対応させる表音文字のアルファベットを考案します。

 アルファベットは習得が容易で、交易の記録や通信に適していただけでなく、ギリシア人の教育水準や知的水準の向上にも役立ちました。つまり商業上の必要性から、ギリシア人は自分たちの言語に合わせた効率的な文字システムを発明したのです。交易がギリシア文化の発展を促す原動力となったことが分かります。

 ギリシアではオリーブ油が重要な生産物で、オリーブオイルは陶器の容器に保存されていました。しかし当時の紙(パピルス)は高価だったため、使用済みの陶器は割って平らにし、文字を書く用途として再利用されました。
 記録などに利用できる紙の制約を、陶器の活用が補うことで、ギリシアの教育や知的発展を大きく支えていたと考えられます。
 資源の制約から生まれたアイデアが、ギリシアの進歩に貢献したといえるでしょう。

⚫︎哲学の誕生
:哲学の礎を築いたソクラテス 

 そしてヨーロッパ学問に決定的な影響を与えた、三人の哲学者が生まれました。
ソクラテスは「無知の知」を説き、衆愚政治に陥った当時のポリス政治に疑問を呈しました。
 弟子のプラトンは理想の政治形態を追求し、対話篇「国家」で哲学者による王政を説いたほか、超越論的な理論形式としての「イデア」を提唱しました。
 また,アリストテレスは多方面の知識を集大成して「政治学」などの分野を確立しました。
この3人のギリシア哲学者は,それぞれ独自の思想を展開し,西洋思想に大きな影響を与えます。

自由な知的探究を支持したギリシアの土壌が、哲学思想の発展を促したと言えるでしょう。

(参考文献)ゆげ塾ほか(2018)『ゆげ塾の構造がわかる世界史【増補改訂版】』ゆげ塾出版


投稿 【西洋文明の源流】 ギリシア文明が現代に与え続ける影響とは? は 草の実堂 に最初に表示されました。
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知能も運もはじめから決まっている? 遺伝学の新常識 2023/11

2023-11-16 01:47:23 | 📗 この本

知能も運もはじめから決まっている? 遺伝学の新常識
 Bookウオッチ より 231116 


 人間の知能や性格、運までもが遺伝する――そう聞いたら、あなたは「優生思想」につながる危険な考え方だと思うだろうか。

 ベストセラー『言ってはいけない 残酷すぎる真実』📗新潮社)で「努力しても遺伝には勝てない」と書いた橘玲(あきら)さんと、行動遺伝学を専門とする慶應義塾大学名誉教授の安藤寿康(じゅこう)さんが、遺伝にまつわる新常識を紹介する本を出した。『運は遺伝する 行動遺伝学が教える「成功法則」』(NHK出版)だ。

 行動遺伝学は、人の性質の個人差に遺伝子がどれだけ影響しているかを研究する学問。2人は行動遺伝学の知見を通して、人以外の生物については当たり前のように遺伝で説明するのに、対象が人になった途端に「優生思想だ」と批判する風潮に疑問を投げかけている。

📗『運は遺伝する』橘玲、安藤寿康 著(NHK出版)

⚫︎「偶然」も遺伝が背後に
 親に顔が似たり、特定の地域にお酒に強い人が多かったりと、明らかに遺伝していることがわかる人の特徴はたくさんある。脳も、顔や肝臓と同じ体の一部だ。だから、知能も遺伝する。

 遺伝子からその人の知能がわかることを裏づける研究が、心理学者キャスリン・ペイジ・ハーデンさん著『遺伝と平等』(新潮社)で紹介されている。
 子どもたちの遺伝子の情報のみで「将来大学を卒業するかどうか」を予測し、実際に大学を卒業した割合を出した。すると、スコア上位4分の1と下位4分の1の差が、アメリカの世帯収入上位4分の1と下位4分の1の子どもの大学卒業率の差とほとんど同じになった(この時、遺伝子スコア上位・下位の子どもたちと、世帯収入上位・下位の子どもたちが一致するわけではない)。

 豊かな家庭の子どもほど学歴が高くなりやすいという事実は、経済格差問題の一つとしてよく知られている。遺伝子の情報も、この格差と同程度の予測力を持つのだ。

 また、本のタイトルの通り、運にも遺伝子が影響しているという。安藤さんが紹介する研究では、ある出来事を遺伝子で説明できる割合は、離婚や解雇など本人にも責任がある出来事では30%なのに対して、強盗に遭う・近しい人が亡くなるなど、本人に責任がなく「運が悪かった」とされる出来事の場合は26%。4%しか違わない。

 偶然に見える出来事でも、たとえば、強盗に遭いやすい危険な場所に行った、早死にしやすい体質の人とよく付き合う傾向があるというように、本人の選択が背景にある可能性がある。この選択に遺伝的素質がかかわってくるのだ。

⚫︎育て方の影響は小さい
 また、知能に関しては、20歳頃までは年齢とともに遺伝子の影響が大きくなっていくそう。幼児期は親の育て方の影響を大きく受けるものの、思春期頃からは本人の性質や能力に合わせて、自ら環境を選んだり周りが接したりするようになるため、遺伝的素質が前面に出るようになる。

 安藤さんの研究では、学業成績への影響が、遺伝は50%なのに対して、しつけは5%しかないことがわかった。これは、ある親にとっては無力さを感じさせる話かもしれないが、一方である親にとっては、「育て方のせいではないんだ」と肩の荷を軽くしてくれる情報だろう。

 「遺伝で知能が決まるだなんて、かわいそうで差別的だ。努力すれば誰でも変われる」という主張は、「できないのは本人の努力不足」「育て方が悪い」という考え方に結びついてしまう。橘さんと安藤さんは、こうした「環境決定論」の危険性を語り合っている。

(安藤さん)「能力が遺伝するなんて優生学だ!」という批判に対しても、「そういうあなたが優生思想に加担しているんですよ」ときちんと論駁(ろんばく)できると思っています。

(橘さん)心強いお言葉です。この社会には遺伝的な多様性があるけれど、誰もが平等な権利をもっているという当たり前のことを前提として議論ができる世の中になるといいですよね。
 橘さんが『言ってはいけない』で行動遺伝学を紹介した時も、編集者からは難色を示された一方で、読者からは「救われた」という反応があったという。

 また、知能が遺伝すると言っても、「この遺伝子を持っていれば必ず頭がよくなる」というような単純なものではない。いくつもの遺伝子が複雑に影響し合って効果が決まるうえに、両親から受け継がれる遺伝子はランダムだ。
 だからこそきょうだいでも知能や性格が違ってくるし、「トンビがタカを生む」ということもあり得る。「親の頭が悪いせいで......」などと思う必要もない。

 橘さんと安藤さんは、このような行動遺伝学の知見を踏まえ、よりよい社会を作っていくにはどうしたらよいかを語り合っている。今はまだ一般的な考え方ではないが、数年後には、本書のように常識が変わっているかもしれない。

【目次】
まえがき――誰も「遺伝」から逃れることはできない
第1章 運すら遺伝している――DNA革命とゲノムワイド関連解析
第2章 知能はいかに遺伝するのか
第3章 遺伝と環境のあいだ
第4章 パーソナリティの正体
第5章 遺伝的な適性の見つけ方
第6章 遺伝と日本人――どこから来て、どこへ行くのか
あとがき――遺伝を取り巻く「闇」と「光」

■橘 玲さんプロフィール
たちばな・あきら/1959年生まれ。作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。同年、『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』が30万部超のベストセラーに。『永遠の旅行者』は第19回山本周五郎賞候補となり、『言ってはいけない――残酷すぎる真実』で2017新書大賞を受賞。著書多数。

■安藤寿康さんプロフィール
あんどう・じゅこう/1958年生まれ。慶應義塾大学名誉教授。慶應義塾大学文学部卒業後、同大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。博士(教育学)。専門は行動遺伝学、教育心理学、進化教育学。『能力はどのように遺伝するのか』『教育は遺伝に勝てるか?』『「心は遺伝する」とどうして言えるのか』など、著書多数。

( BOOKウォッチ編集部 Hariki)
📗書名: 運は遺伝する
サブタイトル: 行動遺伝学が教える「成功法則」
監修・編集・著者名: 橘 玲、安藤 寿康 著
出版社名: NHK出版
定価: 1,078円(税込)
判型・ページ数: 新書判・288ページ
ISBN: 9784140887103
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