「宮崎駿」も「新海誠」も、主人公は少年や学生…日本人はなぜ「老い」を肯定できないのか【思想家・東浩紀が考える】
現代ビジネス より 231116 週刊現代,東 浩紀
思想家・東浩紀(52歳)の著書『訂正可能性の哲学』(ゲンロン)、『訂正する力』(朝日新書)がいま注目を集めている。人文書が「冬の時代」と言われる中で、前者は2万部に達し、10月に発売されたばかりの後者はすでに4刷を重ねた。なぜいま訂正の重要性を訴えるハードな思想書が、多くの支持を集めているのか。
前編記事『「ジャニーズのやることは何でも否定」という思考停止…「空気」に支配されてしまう日本人に必要な「ある力」の正体【思想家・東浩紀が考える】』より続く。
⚫︎一度も間違えずに生きていくことはできない
アメリカ人の態度は開き直りともとれますが、その図太さこそが日本人にも必要なのだと思います。前編で挙げたジャニーズの問題について考えてみましょう。
喜多川氏はプロデューサーとして、「エンターテインメントで世界を平和にすること」を理想に掲げたとされます。しかし実際にはその陰で、性加害というかたちで多くの若者を傷つけてきました。それは、なにより喜多川氏の理念そのものに反した行いです。
つまり、これから事務所を再建するためには、「実は喜多川氏本人が、気づかないうちに彼自身の理想を裏切っていたのだ」というふうに、事務所のアイデンティティをさかのぼって訂正するほかに、うまい方法はないのではないか。あくまで思考実験ですが、こういった論理展開もありえます。このように「じつは……だった」と過去を解釈しなおすことこそが、訂正が持つ力です。
それは何も特別なことではありません。何十年と続いている企業で、創業時と業務がまったく同じところはほとんどないと思いますが、多くの会社は「うちは昔からこうでした」という顔をしています。
個人についても同じです。どんな人でも、一度も間違えずに生きていくことはできません。だから誰にとっても、訂正する力は重要なのです。
⚫︎「AI」は幸福を呼ばない
最近では、そのような人間の本質を否定する人々も現れています。「そもそも人間に判断を任せるから間違いが起こるし、訂正する必要が生じるのだから、最初からすべてAIに任せてしまえばいい」―こういった主張に熱狂してしまう若者は少なくありません。
たとえばメディアアーティストの落合陽一氏は、「AIとビッグデータを用いてすべての選択を最適化してしまえば、最終的に全人類が幸せになる」と述べています。しかしこのような未来像に対して、私は否定的です。というのもAIが扱えるのは、どこまでいっても「ただのデータ」に過ぎないからです。
AIは逆立ちしても「その人本人」を直接分析できません。扱えるのは、あくまでも年齢や性別などの属性が似ている人々の集団を調べて、そのデータから導き出した「傾向」だけです。仮に「都内に住む50代男性」の傾向がわかったとしても、「東浩紀という個人」については何も言えない。
しかしそうしてAIが出した結論に異議申し立てをしようにも、「あなた個人の意見はどうでもいいんです。データによれば、『あなたと似た人々』はこう考えているのですから」と返されるだけです。つまりそこには、「じつは東浩紀は……だった」というような、訂正を行う余地がない。待ち受けているのは、個性や内面がまったくの無価値になる、形を変えた全体主義の再来です。
⚫︎会社経営に行き詰まり…
そのようなディストピアに陥らないためには、私たち一人ひとりが自分の生き方の中でも「訂正」を実践しなければなりません。私がそれに気づいたのは、自分自身が年を重ね、人として経験を積んだからだと思います。
かつて閉鎖的な学界に嫌気が差した私は、大学を離れて、'10年にゲンロンという会社を立ち上げました。限られたインテリだけでなく、より広い人々に向けて発信したかったからです。しかし初めての会社経営に行き詰まってしまい、'18年には社長を降りました。
その失敗を経て、自分がやるべきことを見つめ直すことができたんです。失敗して訂正し、また失敗して訂正する。人生でも会社経営でも、それを繰り返して新しい可能性に気づくことができました。同時に、「年を重ねること」そのものの価値にも気づけたわけです。
そうやって年月を経たことで、ものの見方も変化してきました。たとえば、私がかつて分析対象としていたエンタメ作品に関しても、最近では若いころとは異なる印象を抱いています。
今年話題になった映画といえば、宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』でしょう。主人公はどう考えても宮崎氏本人がモデルなのですが、なぜか少年として描かれていました。また日本を代表するアニメーション監督の新海誠氏の作品も、一貫して学生が主人公です。引退を「卒業」と言い換えるアイドルを見ても、「青春」「学園生活」という枠組みにとらわれているように見えます。
⚫︎自分の「老い」と向き合う
対してハリウッド映画では、たとえ子どもが見るような作品でも「中年」や「成熟した大人」が主人公であることが少なくありません。作中では、彼らが抱えている悩みを解決していく過程が描かれるわけです。
ここには、日本人の深層心理が表れているのではないか。「若さ」や「変わらないこと」を至上の価値と捉えて、青春の記憶を何度も思い返しているように見えます。「老い」を肯定的に描く文化がないことは、日本人が「成熟」を拒んでいることと表裏一体です。
年を重ねれば、外見はもちろん内面も変化していくのは当たり前です。「人も世の中も、絶えず変わり続ける」ということを理解し、誤りを認めて自分自身を訂正していかなければ、どこかで破綻してしまいます。
いつでも自分自身を訂正する勇気と覚悟、そして粘り強さを身につける―そうすることが、うまく老いるためには欠かせないのではないか、と私は思います。そして、そういう人が増えてはじめて、日本もより成熟した国になれるのではないでしょうか。
▶︎あずま・ひろき/'71年、東京都生まれ。批評家、株式会社ゲンロン創業者。近著に『訂正可能性の哲学』『訂正する力』、共著に『日本の歪み』ほか
「週刊現代」2023年11月11・18日合併号より