goo何気無い日々が心地よい安寧

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フランスが急激に「マンガ大国」になっている事情  202311

2023-11-09 23:32:00 | ¿ はて?さて?びっくり!

フランスが急激に「マンガ大国」になっている事情
 東洋経済Online より 231109  松崎 泰弘:大正大学 教授


 フランスで人気のマンガのサブスクアプリ「MANGAS.IO」は、双葉社や集英社など日本の出版社とも連携し、フランス人読者に読めるようにしている

 今春、フランスのインターンシッププログラムで来日し、食洗機メーカーの業務に携わるキャロル・トランさん(25)は日本のマンガの大ファンだ。特にBL(ボーイズラブ)作品がお気に入りで昨年、出張で訪日した際には『佐々木と宮野』など計13冊をまんだらけで購入して帰国した。手に入れたのはすべて日本語版だ。
 姉の影響で6歳から日本のマンガに魅せられ、一時はマンガ家を志したこともある。高校時代にはフランス語の先生との面接で「どんな本を読んだか」と聞かれ、「日本のマンガしか読まない」と答えたらひどく怒られた。

 フランスのマンガ、「バンド・デシネ(BD)」は左開きで、色使いもフルカラーが基本。一方、日本のマンガは右開きで、白黒印刷が多いが、「まったく気にならない」とトランさん。「日本のマンガはアート。マンガのおかげで日本の文化が好きになった」などと話す。

⚫︎日本に次ぐ世界第2位のマンガ大国
 フランスのマンガ市場は日本に次ぐ世界2位の規模。読者数は約700万人と全人口の10%超に相当する水準だ。牽引役は日本のマンガである。

 フランス政府は2021年、18歳の若者を対象に「カルチャーパス」を交付。スマートフォン、パソコン、タブレットの専用アプリをダウンロードすると300ユーロを使える仕組みで、書籍の購入や映画のチケット予約、音楽教室の受講などさまざまな文化活動への支出に充当できる施策だった。
 ところが、フタを開けてみれば、「カルチャーパス」は「マンガパス」と化した。『鬼滅の刃』『ワンピース』『僕のヒーローアカデミア』といった人気シリーズの全巻を購入する若者が相次いだのだ。

 日本のマンガは「フランス版新幹線」の車内でも読めるようになった。高速列車TGVの車内エンターテインメント用のポータルサイト「TGV inOui」を通じた電子マンガの無料配信が始動した。

⚫︎コロナ禍でマンガ・アニメ熱が一段と高まった
 コンテンツを提供するのは、マンガアプリのサブスクリプションサービスを手掛ける同国のMANGAS.IO。同社が2021年に立ち上げたプラットフォームのモバイルアプリは「アジアのマンガのネットフリックス」(仏『ル・フィガロ』紙)と称されるなど、注目のスタートアップ企業だ。
 コロナ禍でフランスにおけるマンガ・アニメ熱は一段と高まり、MANGAS.IOにも追い風が吹く。月間利用者数は現在、約15万人を数える。

 同社はフランスのKaNa、Ki-oonといった業界大手だけでなく、集英社、双葉社など日本も含む世界約30の出版社と連携、プラットフォーム上に約250の作品をそろえる。利用者は月額6.9ユーロ(約1090円)で全作品の購読が可能だ。

 TGVでの配信開始は、運行するフランス国鉄(SNCF)とのパートナーシップ締結に伴うもの。TGVのポータル経由で15の出版社の約50作品を提供する。MANGAS.IOの推計によれば、同ポータルへの毎月の来訪者は約200万人。

「フランスのマンガ読者の80%は30歳未満」(MANGAS.IOのロマン・レニエ社長)で、若年層の乗客の掘り起こしを図りたいSNCFと利用者増を目指すMANGAS.IOの思惑が一致した格好だ。

 今回の両社の提携も日本のマンガがフランスの社会に深く根付いていることを示す好例と言えそうだ。MANGAS.IOのユン・イナダ・コンテンツ部長は「SNCFが運行する列車の車内でマンガを読める状況など、かつては想像すらできなかった」と振り返る。

 1980年代後半には日本のアニメやマンガの暴力シーンの多さなどに対する批判的な見方がフランスで台頭。なかでも、その矛先が向けられたのは、同国のテレビ局TF1で1987年から1997年まで続いた「クラブ・ドロテ」という子ども向け番組だった。

 番組のラインナップに、フランスにおける日本のアニメ・マンガブームの火付け役とされる「UFOロボグレンダイザー(仏では「ゴルドラック」というタイトルで放映された)や「ドラゴンボール」など日本の多くのアニメ作品が盛り込まれていたからだ。

 2007年の大統領選の候補者にもなった社会党のセゴレーヌ・ロワイヤル氏は、1989年に上梓した著書で「日本のアニメは善人や悪人などに関係なく、誰もが殴り合う」などと酷評。当時は「日本のアニメやマンガが(メインカルチャーでなく)サブカルチャーとみなされていた」(イナダ氏)。

⚫︎コレクション需要から「紙」が人気
 しかし、今では「マンガ(manga)」という言葉がフランス語として広く浸透。以前は「日本のマンガは子ども向け」というイメージが強かったが、今ではファンの裾野が広がる。「40代以下は日本のマンガを読みながら育った世代」(イナダ氏)である。

 マクロン大統領も若年層の有権者を意識してか、X(旧ツイッター)などでマンガ好きであることを折に触れてアピール。MANGAS.IOが扱う作品は現在、「全体の99%を日本のマンガが占めている」(レニエ氏)。

 全国出版協会・出版科学研究所のまとめによれば、2022年の日本のコミック市場の規模は6770億円。電子コミックは4479億円で全体の66%あまりを占める。

 一方、フランスでは依然として「紙」が電子マンガを圧倒。電子の売り上げ規模はわずか2%にすぎないという。コレクション目的で「紙」の日本マンガをどか買いする読者が多いからだ。

「フランスのBDにも日本のマンガの影響を受けた作品が多い」(アニメ制作会社のプロデューサー)。衰えを知らぬ日本のマンガ・アニメブーム。19世紀後半から20世紀前半にかけてクロード・モネやヴァン・ゴッホなど印象派の画家が浮世絵などに魅了され、団扇、扇子などのアイテムだけでなく技法まで自らの作品に取り入れるなどした「ジャポニスム」の熱狂を彷彿させる。
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日本企業はなぜ「強み」を捨てるのか…アマゾン急成長の理由は「トヨタのカイゼン」という不都合な真実 202311

2023-11-09 23:05:00 | なるほど  ふぅ〜ん

日本企業はなぜ「強み」を捨てるのか…アマゾン急成長の理由は「トヨタのカイゼン」という不都合な真実
 プレジデントOnline より 231109  岩尾 俊兵


 アマゾンはなぜ世界最大のECサイトになったのか。慶應義塾大学の岩尾俊兵准教授は「創業者のジェフ・ベゾスは物流の効率化だけでなく、ECサイトやアマゾン・ウェブ・サービス(AWS)の運営にもトヨタ生産方式を導入して成功した。日本では『カイゼン』の研究は下火だが、むしろ海外では年々注目が集まっている」という――。

※本稿は、岩尾俊兵『日本企業はなぜ「強み」を捨てるのか』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

⚫︎日本発の「Kaizen」で生産性が34%向上
 アマゾン創業者ジェフ・ベゾスは、2010年の株主総会において、「Kaizen」という言葉を使って、株主に対してプレゼンをおこなった。

 アマゾンが取り組んできた努力はカイゼンという言葉で表現できること、今後はそれを地球規模に適用して環境問題に焦点をあてたカイゼンをおこないたいと述べたのである。
 実際に、アマゾン米国本社にはKaizen プログラムという制度が現在でも設けられている。そこでは、QC七つ道具やQCストーリーなどカイゼンに利用できる手法が教育される。そして、実際に、従業員は継続的にサービス提供プロセスを合理化し、ムダを排除し、顧客満足と従業員満足を向上させるよう求められている。

 アマゾン米国本社の従業員向けブログ「The Amazon Blog: Day One」によれば、2014年には、カイゼンのために725チーム・小集団が組織され、2300人がKaizenプログラムに参加した。その結果、ラスベガスの配送センターでは、返品プロセスや歩行のカイゼンなどによって、生産性が34%向上し、仕掛品・中間在庫が46%削減されたという。

⚫︎トヨタ生産方式が生産管理に導入されている
 同じく2014年にラスベガスで開催された「AWS re: Invent conference」でベゾスが語った内容によれば、アマゾン・ウェブ・サービス(AWS)の本質はトヨタ生産方式・リーン生産方式と同一であるという。このカンファレンスは、クラウド型サーバなどを提供するアマゾン・ウェブ・サービス利用業者向けの講演会である。
 なお,2020年現在,アマゾン・ウェブ・サービスは,急速に成長しつつも長らく赤字続きだったアマゾンに莫大な利益をもたらしており,今ではアマゾンの基幹事業となっている。
 こうした事例を挙げるまでもなく、ベゾスが日本の経営技術、特にカイゼンから学んでいることは有名だ。この点は、アメリカの生産管理系のコンサルティング・ファームではよく取り上げられる。

 ジェフ・ベゾス自身も、アメリカの生産管理系コンサルティング・ファームとの対談やインタビューなどに応じているほか、近年アメリカの研究者などが提唱し発達してきている「Kaizen event」や「Kaizen project」といったコンセプトを使用し始めているほどだ。
 アメリカの企業家、コンサルタント、学界が相互に影響しあいながら、カイゼンを取り入れ始めているのである。

⚫︎ヨタ生産方式はアマゾンの商品ページにも
 これ以外に、マッキンゼー・アンド・カンパニー社が発行する雑誌『McKinseyQuarterly』誌に寄せられた、元アマゾン社オペレーション管理責任者マーク・オネットーのインタビュー記事「When Toyota met e-commerce: Lean at Amazon(トヨタとeコマースが出会うとき:アマゾンにおけるリーン生産方式)」も参考になる。

 この記事によれば、アマゾンでは、倉庫作業や物流の効率化のためにカイゼンがおこなわれているほか、アマゾンのシステムの中にもカイゼンを支えるアンドン・システムを導入しているというのである。
 なお、アンドンとは、生産ラインに問題があった場合に、ランプ等で異常を周囲に伝える日本語由来(行灯、行燈)の経営技術である。場合によっては現場の作業リーダーがラインを止めて、その場で問題を解決することもある。アンドンは、トヨタ生産方式の構成要素の一つで、海外であれば工場長にしか認められない「ラインを止める権限」を現場に委譲しているという特徴がある。

 これをサイトに導入するというのは次のようなことだ。
まず、アマゾンのサイトの中にある商品ページを、いつでも切り離せるように適度な大きさで独立するように設計しコーディングしておく。そして、商品ページに何か不具合があるとエンジニアが気づくと、すぐにそのページを切り離して非公開にする。
 同時に、問題が生じたことをそのエンジニアが社内に向けて周知するのである。そして、チームでの問題解決を即座におこない、問題がなくなった時点で、切り離していたページを復活させる。

⚫︎この状況はとても矛盾していないか
 このように、GAFAMの一翼をになうアマゾンは、日本のカイゼンを取り入れながら着実に成果を生みだし続けている。
 その一方で、日本の産官学は、カイゼンという日本発の経営技術を急速に捨て去りつつある。日本企業はカイゼンに注力するよりも、アメリカからやってきた「○○イノベーション」や「デジタル○○」式のコンセプトを追い求める傾向にあるのだ。

 日本の政界・官界も、カイゼンといった古臭い言葉をいまさら白書などで取り上げずにアメリカ発コンセプトに追随している。そして、日本の学界でも、カイゼンの研究という分野は縮小する一方だ。カイゼンの研究も、今ではアメリカが主流になりつつあり、カイゼンをめぐるコンセプト化がおこなわれつつある。

 これは、ある種、非常に矛盾した状況である。
日本の産官学は、アメリカに追いつかんとして、積極的にアメリカ発の経営コンセプトを受け入れてきている。アメリカで良いとされたものを必死で取り入れてきたわけだ。また、「日本からなぜアマゾンやグーグル、フェイスブック、アップルといったイノベーターが生まれないのか」と問われることも多かった。

⚫︎日本は自らの強みを自らの手で捨てている
 その一方で、日本の産官学が目標にしているイノベーターであるアマゾンの創業者が注目するカイゼンは、見なかったことにしているのである。GAFAMを目指していて、GAFAMの取り組みを取り入れようとするのに、その中で日本由来のものは軽視する。 これが矛盾でなくて何だろうか。

 もちろん、カイゼンの有用性をきちんと把握した上で「わが社はすでに十分に取り組んでいる」と判断するならばよいだろう。
 だが,むしろその反対に,日本の産官学は自らの強みを自らの手で捨てている様子さえある。
 カイゼンについての研究は、2010年以降、世界中で爆発的に増加してきている。
バージニア工科大学のエイリーン・ファン・エイキン教授らによれば、アメリカに加えてイギリス、スウェーデン、インドといった国を中心にカイゼン活動の研究は盛り上がりを見せ続けているという。そして、カイゼンの研究はこれまでは事例を基にしたお手本の提示といったものが多かったが、統計的・実証的な手法を用いてカイゼンの成功要因を抽出する研究が、近年になってようやく学術誌に掲載されだしたとしている。

⚫︎経営学分野の論文で引用数が多い
 海外では、1990年代以降、カイゼンについての研究を発表するための専門誌まで登場している。

「アジャイル生産」の分野で世界最多の引用数を誇る生産管理研究の権威、カリフォルニア州立大学ベイカーズフィールド校のアンガッパ・グナセカラン教授が編集長を務める『Benchmarking』誌のほか、『The TQM Journal』誌、『International Journal of Lean Six Sigma』誌、『Total Quality Management & BusinessExcellence』誌などが、カイゼンそのものやカイゼン手法の応用などの研究を取り扱っている。

 学術研究の価値を引用数で判断すべきではないが、一例としてこれらの雑誌からの平均引用数(インパクト・ファクターやサイト・スコアなどと呼ばれる)は2~3、多数引用される論文がどれだけあるかを示すhインデックスは55を超える(55回以上引用される論文が55本以上ある)。経営学分野では比較的高い数値である。

 これに対して、日本におけるカイゼンの研究は少なくとも社会科学的な視点からはかなり少ない。
たとえば、組織学会が発行する『組織科学』誌に収録された「改善活動」がタイトルまたはキーワードに入っている論文の数をみてみる。なお、組織学会は、日本経営学会と並んで、経営学分野で最大規模の学術団体である。

 結果は、国立情報学研究所のデータベースに収録されている1968年から現在までの半世紀以上の間に、カイゼンに関する論文は3本しか掲載されていない。同じく『日本経営学会誌』においても、同データベースに収録されている1997年から現在までのすべての論文のうち、同じく3本のみがカイゼンに関するものである。

⚫︎カイゼンの研究は日本で軽んじられてきた
 それどころか、諸外国において研究の隆盛がみられる2010年以降となると、2誌を合わせても、筆者による論文1本だけしか掲載されていない。比較として「オープン・イノベーション」についてみてみると、2010年以降、6本の論文が『組織科学』誌に、2本が『日本経営学会誌』に掲載されている。

 もちろん、これだけをもって、日本においてカイゼン研究が下火になっていると断言はできない。なぜならば、学術誌への掲載が少ないというのは、その領域の研究が衰退しているという原因以外に、「論文掲載におけるバイアス(これに近い概念として出版バイアスというものもある)」もあるからだ。これは、研究者の数や研究活動の活発度自体は変わらないが、論文を掲載してくれなくなっている可能性を指す。

 だが、研究自体が下火にせよ、カイゼン研究にこうしたバイアスがかかっているにせよ、日本において「カイゼンは、日本の経営学界的には、それほど重要な研究対象ではない」と思われていることは確かである。

 ここからは多分に筆者の主観にもとづいた議論であるが、日本においてカイゼンの研究をしているというと「本流ではない」という扱いを受けることが多い。

⚫︎日本の産官学にもまだ挽回のチャンスはある
 再度アメリカの話に戻ると、アメリカではカイゼン研究の専門誌が立て続けに刊行されるようになったほか、総合雑誌においてもカイゼン研究が存在感を増しつつある。
 たとえば、エイキン教授にくわえて、最近では、マサチューセッツ工科大学のウィルジアーナ・グローバー准教授やテキサス工科大学のジェニファー・ファリス准教授などが『International Journal of Operations & Production Management』誌や『International Journal of Production Economics』誌などでカイゼンをコンセプトにまとめながら、この分野をけん引している。

 彼女らはカイゼンを「Kaizen event」や「Kaizen project」「Continuous improvement project」などといった概念でとらえなおしている。
 その上で、彼女らは、カイゼンを製造業だけでなくサービス業などさまざまな業種に応用し、そこには共通の成功法則があるとした。もちろん、日本においてはサービス業などの分野でもカイゼンがおこなわれているというのは当然のことだ。当然すぎてそれをコンセプトにしようとした人がいなかったともいえる。
 ただし彼女らは、カイゼンに対して、いまだに前述の三つ以上の呼称をバラバラに用いている。ここからも分かるように、彼女らにしても、統一的な確固たるコンセプトにまとめられてはいない状況なのである。

だからこそ、今ならばまだ日本の産官学にも挽回のチャンスはある。



▶︎岩尾 俊兵(いわお・しゅんぺい)慶應義塾大学商学部准教授 1989年佐賀県有田町生まれ。
父の事業失敗のあおりを受け高校進学を断念、中卒で単身上京、陸上自衛隊、肉体労働等に従事した後、高卒認定試験(旧・大検)を経て、慶應義塾大学商学部を卒業。東京大学大学院経済学研究科マネジメント専攻博士課程を修了し、東京大学史上初の博士(経営学)を授与される。大学在学中に医療用ITおよび経営学習ボードゲーム分野で起業、明治学院大学経済学部専任講師、東京大学大学院情報理工学系研究科客員研究員、慶應義塾大学商学部専任講師を経て現職。専門はビジネスモデル・イノベーション、オペレーションズ・マネジメント、経営科学。著書に『 イノベーションを生む“改善”』(有斐閣)、『 日本“式”経営の逆襲』(日本経済新聞出版)、『 13歳からの経営の教科書』(KADOKAWA)がある。
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🚶…JR宇治〜玉水駅前サクラ,木津川市役所,奈良観光C,奈良町,城陽市役所〜 231109

2023-11-09 22:15:00 | 📖 日記
🚶…右岸堤防道…宇治橋…宇治淀線〜JR宇治〜玉水;玉水駅前サクラ🪪↩️〜木津…木津川市役所/4F🪪↩️…木津〜奈良…奈良総合観光Cx…木津横田線…三条町…ならまち大通り…元興寺西沿…奈良町にぎわいの家x↩️…ならまち大通り…木津横田線…JR奈良〜城陽…城陽市役所西館2F🪪…JR城陽〜宇治…宇治淀線…宇治橋…太閤堤跡公園茶づな🪪…右岸堤防道…>
🚶14295歩2kg20F
 
つい奈良カード収集目指して…今頃に⁈

☀️:スッキリ晴れて

JR宇治:最初に微妙に乗り遅れ…予定コースをじっくり再考,予定増やす。
 奈良以外に残が有るのが成る程,意味深。
玉水:駅前直ぐで愛想良い店員さんで🙆
木津市役所:丁寧に応対頂く🙆
奈良観光C:大忙しの中、やはり地の利で残大昔に無しと残念感の返事🙆
奈良町:こちらも人出多く,丁寧に残念頂く🙆
城陽市役所:こちらも丁寧に対応頂く🙆
太閤堤跡茶づな:閉館間際に丁寧対応頂く🙆
 奈良は観光地ど真ん中で💳早々に無いとの事。さすがに予想通りでした。
 ありがたい事にどこでも丁寧親切な対応頂く


🌡️ベランダ29.8〜13.6℃













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これができないと孤独な老後が待ち受ける…87歳医師が「老年になったら徹底すべし」と説く生活態度 202311

2023-11-09 21:10:00 | 生活編

これができないと孤独な老後が待ち受ける…87歳医師が「老年になったら徹底すべし」と説く生活態度
  プレジデントOnline より 231109  高田 明和


 老後を幸せに生きるにはどうすればいいか。浜松医科大学名誉教授の高田明和さんは
「年を取り,何もせずにいると孤独を感じるようになる。そのため時間を埋めるために何かをしようとするが,貪欲に陥らないように注意すべきだ。
 かつて孔子が『満ちて覆らないものはない』と述べたように、『満ちた』『できあがった』と思ったらダメになるし、得たものも失うことになる」という――。

※本稿は,高田明和『孤独にならない老い方』(成美堂出版)の一部を再編集したものです。

⚫︎下界と遮断された空間に長くはいられない
  天国に一人でいたら、これより大きな苦痛はあるまい。
   小説家 ゲーテ

 死ぬということはどういうことなのでしょうか。
誰にもわかりません。ただ、人々にもう会えなくなることだけは確かです。
 それについて、私は次のように考えることがあります。
絶海の孤島に、豪華クルーズ船も顔負けの施設が完備した巨大ビルがあります。世界中の料理と美酒が食べ飲み放題です。ショーや音楽などを楽しめ、ジムやプールで運動ができ、邸宅のような居室でくつろげます。
 ただし、外界とは遮断(しゃだん)されています。出ることはできず、外の情報を得たり、情報を発信したりはできません。
 死が近づいた時、神様から、「このビルに入れば少し長生きできるが、行くか? ただし、ビルから出て現世に戻れば、これまでの記憶を失い、現世で築いた人間関係から財産や業績まで、すべてゼロになる」と聞かれたら、どう答えるでしょう。

「行く」を選んだ場合、最初はビルの生活を大いに楽しむでしょう。しかし、時がたつにつれ、毎日会う人もやることも同じという生活に退屈してきます。
 ついには神様に、「財産も業績もいらないし、他人が私のことを一切知らなくてもよいです。長生きも求めません。現世に帰してください」と願うに違いありません。

⚫︎介護施設に一人で入っても孤独ではない
 つまり,人々と交流できることは,幸せの一大条件といえるのです。自由にコンビニに行ける,外に出て公園を散歩できるといったことは,財産や業績などよりも,はるかに大切なのです。
 生きることはそれだけですばらしいのですが,たった一人の世界では意味がありません。
私たちは一人でいても、いつでも誰かに連絡でき、行きたいところに行けるなら、孤独ではないのです。誰にも連絡できず、外に出られず、会いたい人に会える望みも断たれているというのなら、それが孤独です。

 そう考えると,介護施設で介護士から手厚い扱いを受けている人は,孤独ではないでしょう。
介護施設に入ると、家族はあまり見舞いに来なくなります。まったく面会に来ない家族もいます。しかし、だから孤独だということはないのです。

介護施設に入っている元大学教授の知り合いが数多くいます。
介護施設では、入居者を「さん」づけで呼びます。
私たち医師、とくに大学教授や病院長などをやった人は、常に「先生」と呼ばれてきましたから、「さん」と呼ばれるのは少し屈辱的なのです。
 それでも不満を言うことなく施設にいるのは、孤独でないからなのです。

⚫︎老年になれば、孤独にならない生き方が重要
 私は、晩年の幸福はどれだけ孤独でない生き方ができるかによって決まると考えています。孤独を避けたいと思うなら、最後の日々を過ごす場所で自分が親切にされる方法を考えることが大切です。
 若い時は、孤独に耐えて大事をなしとげるといった生き方もあるでしょう。しかし、老年になれば、孤独にならない生き方が重要になります。

「家族といつも一緒でなくては孤独だ」といった狭い考え方をしないほうがいいのです。
人といつでも交流できることは、幸福の一大条件。
自分を発信できていれば孤独ではないのです。

⚫︎「お一人さま→孤独→不幸」は短絡的すぎる
 人間は、孤独な存在であると同時に、社会的な存在なのです。
   物理学者 アインシュタイン

 お盆や年末年始に、帰省や旅行のニュースが流れます。駅や空港で、「どこに行くのですか」と聞かれて、「おじいちゃんのところ」などと子供が答えます。帰ってきた子供に「面白かった?」と聞くと、「魚を取ったりして楽しかった」などと笑顔を見せます。
 毎年恒例の光景ですが、「子供」は常に幼児か、小学校低学年です。

 つまり、中高校生が盆暮れに親と旅行することはまずないのです。部活や受験で忙しかったり、親と一緒に行動するのを面倒くさがるようになるからです。
 人は結婚していても、していなくても、子供がいても、いなくても、いつかは一人になります。「結婚して子供がいれば、一人にはならないだろう」というのは希望的観測です。

 現代では、子供がいても親のもとに寄りつかないようになっています。子供は、面倒くさい親との関係を避けるようになっているのです。

「子供が訪ねてこない」と嘆く親が非常に多くなっています。
ただし、お一人さま→孤独→不幸という図式は、あまりに短絡(たんらく)的です。そんな図式で老後を考えてしまうのは、不幸の要因になります。

⚫︎たわいない雑談にも大きな価値を見い出す
 私は、一人になったら小さなことに喜びを持つようにするのがいいと考えています。
たとえば、私の経験では、かなり高齢になっても、自分で料理はできるものです。何を買い、どう調理して食べるかも重要な喜びになります。

 あるいは、趣味を喜びにする人がいます。デイサービスに通う知人女性は、趣味のトランプや麻雀で楽しんでいるようです。よいことだと思います。
 しかし、高齢になるにつれて、仲間と一緒に遊ぶことができにくくなります。目が悪くなったり、耳が遠くなったり、足が痛み出したりするのが避けられないからです。

 そうなると、もう喜びはなくなるのでしょうか。そんなことはありません。
友人や知人が、「最近どうですか」と電話してきて、「ありがとうございます。目がだいぶ悪くなっていますが、なんとかがんばっています」と答えるようなことだけで、十分な喜びになります。

 定期的に連絡できる相手がいれば、最高です。たわいない雑談でいいのです。
「今日はこんなことがあった。明日はこんなことをする」などと話し合える人がいるだけで、心豊かに生きていけます。
「子供さえ電話をくれないのに、そんな相手ができるとは思えない」と言う人がいるでしょうが、そんなこともないのです。
 これからは,非常に多くの人が一人暮らしをするようになり,孤独を恐れるようになります。

 ですから、心を開いて話しかければ、昔の友人、同級生、同僚から、最近知り合った人まで、男女を問わず、必ず喜んで応えてくれるのです。連絡したりされたりすることが、お互いの支えになるのです。

⚫︎「晩年になっても孤独にならない人生」は自分で選べる
 くり返しますが、孤独とは一人でいるということではないのです。最近の社会では、誰もが一人になりがちです。
 しかし、連絡すれば話せる人がいるなら、孤独ではありません。
監獄の独房に入っている人は孤独です。しかし、一人で自分の部屋にいる人は、誰かに連絡しようと思えばできますし、会いに行きたければ出かけられます。つまり、孤独ではないのです。
 遺産の問題でもめて口もきかなくなった兄弟姉妹とか、離婚話がもつれて相手をののしり合うかつての夫婦なども、孤独ではないのです。
 ただし、ものすごく不幸です。
孤独ではないが不幸であるという状態なのです。

「晩年に一人暮らしになりたくない」と思っても、それは自分では決められません。
しかし、「晩年になっても孤独にならない人生」は、自分で選ぶことができると思っています。
 人とつながる小さな努力は、年配者にこそ重要である。
自分のまわりに壁を築かないようにしましょう。

⚫︎「もう」を増やし、「もっと」を減らしていく
 老人が落ち込むその病気は、貪欲(どんよく)である。
   詩人 ミルトン

 若い頃は、何もせずに時間を過ごすことに苦痛を感じるものです。年を取ると、さらに、何もせずにいると孤独を感じるようになります。
 そこで、時間を埋めるために何かをしようとしますが、その時、「もっと、もっと」という貪欲に陥らないように注意すべきです。
 人間は年を取ると、体力、気力が衰えて、欲望のおもむくままに動けなくなります。「もうこのへんでよしとしよう」と思い始めます。年齢が私たちを中庸(ちゅうよう)に落ち着かせてくれるとも考えられるのです。

 一方、年を取っても、欲はなかなか衰えません。
そのため、まだ儲ける力があれば「もっと儲けたい」、社会的地位があれば「もっと不動にしたい」、権力があれば「もっと制覇したい」と思うものです。
「もうこのへんで」と思う一方で、「もっと、もっと」と欲するのが人間なのです。

⚫︎孔子「満ちて覆らないものはない」
 中国の修養書『菜根譚(さいこんたん)』に、欹器(いき)という銅器の記述があります。中が空(から)だと傾き、水を半分くらい入れるとまっすぐに立ち、水が満杯になるとひっくり返るようになったうつわです。
 孔子が魯(ろ)の国の廟(びょう)でこの欹器に目を止め、弟子に水を注がせてみました。すると確かに、満杯になったとたんひっくり返って、水は全部こぼれてしまったのです。
孔子は、「満ちて覆(くつがえ)らないものはない」と慨嘆(がいたん)したといいます。
 つまり、「満ちた」「できあがった」と思ったらダメになるし、得たものも失うことになる、というのです。

 古来、中国は争いが絶えない社会でした。国内部の叛乱(はんらん)、隣国からの攻撃、異民族の侵入などにさらされ、安定した時代は短かったともいえます。
 さらに、自分の所属社会でも、出世競争や家の間の争いが激しく、いつ足をすくわれるかわからないのが普通でした。
 このため、中国には「満ちれば欠ける」「目立つな」「油断は禁物」といった戒めの言葉が数多くあります。欹器の話も、無欲と強欲のどちらにも偏(かたよ)らない中庸の大切さを教えているのでしょう。
 欲望には際限がありません。欲に任せて、年寄りの冷や水的な行動をするのは、危険だと思います。欹器のようにひっくり返りかねません。
無欲と強欲の、どちらにも偏らない。
何事も六〜七分をよしとしましょう。

⚫︎成功者ほどリタイア後の孤独感は強い
 人はいくつになっても,どれほど成功していても,他人に認めてもらうことに飢えている。
   人生コーチ ステファン・ポーラン

 私たちは、人々に忘れられていくのを悲しく思います。
たとえば、年を取って社会の第一線から遠ざかると、「自分はもう忘れられたのだ。誰からも相手にされないのだ」という思いが急に強まり、非常な孤独を感じます。
 皮肉なことに、業績をあげた人、業界や社会で名が通るようになった人ほど、リタイア後の孤独感は強くなります。

 映画『アバウト・シュミット』に、ジャック・ニコルソンの定年パーティの場面があります。ニコルソンの後任者は「彼がいたから、わが社は発展した。私も見習います」などと賞賛します。
 ところが、ニコルソンはうっかり翌日も出社してしまいます。すると、後任者は当惑した感じです。
「わからないことはない?」と聞いても、「大丈夫です」とけんもほろろで、ニコルソンは、もう自分の出る幕はないことを痛感して引き下がるのです。

⚫︎年をとると賞賛を求める理由
 私は最近、年を取ると、批判や悪口に耐えられなくなるということがわかってきました。とにかく悪く言われたくないのです。
 私は、世の中は嫉妬で動いていると考えているので、批判や悪口も嫉妬の感情が大半を占めており、必ずしも正しいとはいえないと思っています。
 しかし、批判や悪口にも、三分(さんぶ)の理があるのは事実です。つまり、痛いところは衝(つ)いているのです。

 そこで、若い時は、批判されないように必死に努力します。
しかし、年を取ると、昔なら無視できたようなちょっとした批判に対しても、「自分はやはりダメなのではないか」と弱気になってしまうのです。

 批判に耐えられなくなることの逆作用として、とにかく賞賛を求めるようになります。
ところが、そうなると今度は、少しでも認められなかったり、無視されたりするだけで、「お前はもうおしまいだよ」と言われている気がしてくるのです。

⚫︎何もしないことも自己を磨く修行
 人生100歳時代になると、いつまでも社会に貢献をしたいと、多くの人が思うようになります。そして、ある程度は認められたいと願います。

 しかし、それは「自分では若いつもりでいても、今の社会に受け入れられないのではないか」という不安と表裏一体なのです。
だから批判に非常に敏感になりますし「認められたい」と強く思うのです。

高田明和『孤独にならない老い方』(成美堂出版)

 ある人が、忘れられたくないために何かをせずにいられないことに苦しみ、静岡県三島の龍沢寺(りゅうたくじ)の中川宋淵(そうえん)老師に相談したそうです。
 老師は黙って聞いていましたが、「何もしなければ本当に誰も相手にしなくなるか、試されたらどうですか」と言われたということです。

 仏教では、何もしないことも自己を磨く修行とされます。そういう「無為(むい)の修行」で徳を積んだらどうか、それだけの報いはある、と老師は諭(さと)されたのだと思います。
 誰もが、いずれ死んで忘れられるのです。生きているうちに少しずつ忘れられるのは苦しいものですが、自分で解決するしか方法はないのです。

 批判が嫌なら、賞賛を求めないことだ。
「ホメラレモセズ苦ニモサレズ/ソウイウモノニ私ハナリタイ」と宮沢賢治が詠った境地は、年配者にこそ当てはまるのです。


▶︎高田 明和(たかだ・あきかず) 浜松医科大学名誉教授 医学博士 1935年静岡県生まれ。
慶應義塾大学医学部卒業、同大学院修了。米国ロズウェルパーク記念研究所、ニューヨーク州立大学助教授、浜松医科大学教授を経て、同大学名誉教授。専門は生理学、血液学、脳科学。また、禅の分野にも造詣が深い。主な著書に『 HSPと家族関係 「一人にして!」と叫ぶ心、「一人にしないで!」と叫ぶ心』(廣済堂出版)、『 魂をゆさぶる禅の名言』(双葉社)、『 自己肯定感をとりもどす!』『 敏感すぎて苦しい・HSPがたちまち解決』(ともに三笠書房≪知的生きかた文庫≫)など多数ある。

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伏見で秋のイベント 伏見港フェスタやスタンプラリー「知ってる?家康」も 23/11/11〜12

2023-11-09 00:44:00 | 〽️ 行事・新案内等 控え

伏見で秋のイベント 伏見港フェスタやスタンプラリー「知ってる?家康」も
 みんなの経済新聞より 231109  伏見経済新聞


 「ふしみなーとフェスタ2023」が11月11日・12日、
 伏見港公園(伏見区葭島金井戸町)で行われる。
主催は官民の関係団体で構成する「川のみなとオアシス 水のまち 京都・伏見」運営・まちづくり協議会。

 伏見港は、豊臣秀吉の伏見城築城によって開港された河川港。江戸期には京都と大坂を結ぶ河川水運の要として発展し、幕末には坂本龍馬も淀川三十石舟を利用して京阪間を行き来していた。
 現在も観光船の十石舟が行き来するなど、貴重な水辺空間となっている。

 11日のステージでは「ちびっ子たちのダンス発表会」(11時〜),
京都すばる高校、京都橘高校の吹奏楽部による演奏「ふしみなーとハッピーコンサート」(14時〜)を行うほか、
 和太鼓や合唱などを両日、披露する。
 17時〜19時には,水辺の夜に和ろうそくの明かりを楽しむイベント「伏見みなとあかり」を行う。
 13時〜16時には、あんどんの絵描きワークショップも行う。

 12日11時から、まき割り体験やたき火によるコーヒー豆の焙煎(ばいせん)体験など、間伐材を使ったイベント「てぶら de たき火」を行う。

 日中は両日、「ふしみ五四市」と題して、伏見の特産品販売やキッチンカーの出店、地域団体のワークショップやPRブースを出すマルシェを行うほか、伏見や宇治、京都市内のパン店」12店舗が出店するイベント「伏見港公園パン屋さん大集合!」も行う。
 水辺ではカヤック・ラフトボート体験も楽しめる。

 12日には龍馬通り商店街で「龍馬祭」が、18日には大手筋商店街で「伏見の清酒まつり」を行うほか、
 11月26日まで大河ドラマ「どうする?家康」にちなんだデジタルスタンプラリー「知ってる?家康」、
 12月3日まで十石舟運行など、伏見区内で秋のイベントも数多く行われる。

 開催時間は、11日=11時〜19時、12日=11時〜16時。小雨決行、荒天中止。
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