「真夏の夜」の「怨念解散」という怪談話の結末や如何に?

2005年08月09日 16時00分40秒 | 政治
真夏の選挙戦に突入、与野党キーマン走り出す (読売新聞) - goo ニュース

 今回の衆議院解散をワン・フレーズで言い表すと「真夏の怨念解散」と言える。お盆を前にして、小泉首相が何十年も前に受けた「憾み」「辛み」が一気に吹き上げた感じである。「郵政民営化」は表向きの言い訳にすぎない。
 背中に立派な彫物のあった祖父・小泉又次郎は、浜口雄幸内閣の逓信大臣。孫の純一郎は、郵政大臣を務めた。
 父・純也(元防衛庁長官)が急死して、福田赳夫直系の小泉首相は佐藤栄作首相の下で行われた昭和44年12月27日の総選挙に初出馬して落選の憂き目を味わわされた。選挙戦では特定郵便局長たちが対抗馬の支援に回り、苦戦を強いられた。
 特定郵便局長を傘下に置いて「集票マシーン」として駆使していたのが、郵政相を経験していた田中角栄だったからである。特定郵便局長からは、父子二代にわたって苦しめられてきた。
 小泉首相は、政界入りに挑戦した当初から、「憎っくき郵便局」という怨念を抱き始めていたのである。福田赳夫の秘書を務めながら時節到来を待ち、雌伏3年、田中角栄首相の下で行われた昭和47年12月10日の総選挙で見事初当選を果たす。「田中角栄の天領地」とも言える「郵政省・特定郵便局」に対する「怨念」は、いつしか「郵政民営化論」を生み出す。
 その当人が、平成4年、宮沢内閣の郵政大臣に抜擢された。その「敵地」とも言うべき郵政省で「郵政民営化論」をぶち、郵政官僚から徹底的に敬遠・無視されたのである。郵政官僚たちは、建設官僚と同様、「田中派」を名乗って憚らなかったのである。郵政官僚は、小泉郵政相を完全に無視し、郵政族のドンであった竹下派(旧田中派)幹部の野中広務(元自民党幹事長)を訪れた。野中広務衆院逓信委員会委員長が「陰の郵政相」として、全国の「特定郵便局長」を手中に入れて、選挙も仕切っていた。
 当然、大臣への報告や相談にも来ず、国会答弁に必要な「想定問答集」さえ作成をさぼり、小泉郵政相を困らせた。
 自民党橋本派が中心の郵政族は、衆議院予算委員会や逓信委員会などで、郵政政策にシロウトの小泉郵政相に厳しい質問を長時間にわたって浴びせるなど、徹底的にイジメ尽くした。
 「いまに見ておれ、必ず郵政民営化を果してやる」
 小泉郵政相は、敵地にいて、「郵政族のドン・野中広務」への敵意を募らせると同時に「郵政民営化」への執念を燃やし、「郵政民営化論」をますます強固なものにしていったのである。
 小泉首相の「怨念」は、田中角栄元首相とその流れを汲む「旧田中派」(旧竹下派→旧橋本派→旧小渕派→旧橋本派)に向けられたばかりではなかった。「中曽根康弘元首相」にも向けられていた。 昭和47年6月17日、佐藤首相が引退を表明し、自民党は新総裁を選ぶ選挙戦に突入、田中角栄・福田赳夫・大平正芳・三木武夫が出馬し、「三角大福戦争」と呼ばれた。7月5日の自民党大会で決戦投票が行われ、福田を破って田中角栄が総裁に選出された。田中角栄の最大の勝因は、「三木武夫」ばかりか、福田と同じ群馬県人である「中曽根康弘」が田中に就いたことにあった。福田の秘書として側にいて、「無念さ」を味わわされ、「中曽根憎し」の「怨念」を植付けられのである。
 「いつか見ておれ、復讐してやる」
 この怨念が、平成15年11月の総選挙の直前に吹き出す。衆院比例代表候補に「73歳定年制」を導入することを決め、これを口実に「宮沢喜一元首相」とともに「中曽根元首相」を出馬断念に追い込み、強引に引退させた。中曽根元首相は、かつて「旧群馬3区」で戦った相手である小渕恵三元首相から「終身第1位」を保証されていたと思っていただけに、
 「これは、政治的テロだよ」
 と言い、悔しさを隠さなかった。復讐に成功した小泉首相は、満足げであった。
 だが、中曽根元首相は、長男・弘文元文相(亀井派)を通じて「意趣返し」を果たす。中曽根弘文元文相8日の参議院本会議で行われた、「郵政民営化関連法案」の採決で、「反対票(青票)」を投じた。亀井派参議院議員会長でもある中曽根元文相に他の参議院議員も従ったのである。
 議員バッチを外したとはいえ、中曽根元首相は、まだまだ生臭く「成仏」していない。親の因果は7代祟るとも言われているけれど「反対票」を投じた中曽根弘文元文相が、近い将来、小泉首相から「復讐」されないとう保証はない。
 小泉首相が、「怨念」を抱き、「いつか仕返しをしてやる」と心に固く決めていた政敵が、もう一人いた。「亀井静香」である。
 小泉首相は平成7年9月22日、平成10年、平成13年と3度自民党総裁選挙に挑戦した。
 平成7年9月22日の総裁選挙の結果は、「橋本龍太郎304票、小泉純一郎87票」で惨敗した。このときの選対本部長が、小泉首相と同じ「三塚派」(旧福田派→旧安倍派)に属していた亀井静香が、小泉首相を裏切り、対抗馬であった「橋本龍太郎」に就いたのが、最大の敗因となった。
 以来、小泉首相は、亀井静香元建設相に「不信感」を抱き、「いつか見ておれ、仕返ししてやる」と「怨念」を抱くようになる。平成13年4月24日の自民党総裁選挙で、亀井元建設相のは、「自分の政策を受け入れてくれるなら下りる」と申し入れ、言い、小泉首相は亀井元建設相に「幹事長ポスト」を口約束したため総裁レースから脱落した。
 総裁選挙の結果は「小泉純一郎298票、橋本龍太郎155票、麻生太郎31票」だった。
 だが、小泉首相は、この口約束をあっさりと反故にしたうえに、以後、一貫して「冷遇」し続けた。
 亀井静香元建設相は、小泉首相への「不満」を抱き、「郵政民営化関連法案」について、「反対」の態度を取り、亀井派の参議院議員の大半が、「否決」に回ったのであった。
 この結果、小泉首相は8日夜、衆議院の解散を断行し、「郵政民営化に反対した者は、公認しない」と断言して、自民党から「反対派」を一掃する決意を示した。野田聖子元郵政相、八代英太元郵政相ら自民党郵政族をはじめ、亀井静香および亀井派衆院議員らをまとめて、「自民党外」に放り出し、できれば政治家としての「息の根」を止めようとしているかにみえる。
 まさに、「真夏の夜」に「葛折りの箱」から「怨念」が、一斉に吹き出したとも言える。何ともしつこくて恐ろしいのは、「男の怨み」である。
 「怨念解散」という怪談話の結末は、果してどうなるやら?
その前に、小泉首相が「8月15日」の終戦(敗戦)記念日に「靖国神社」に「公式参拝」するかどうかが注目されているけれど、どうも「パスするらしい」という噂が流布されている。もし、参拝をパスすれば、戦死者たちや遺族たちから恨まれたりはしないのだろうか。いずれにしても、ともかく、
 「南無阿彌陀仏、南無阿彌陀仏、南無阿彌陀仏・・・」
 ついでに、
 「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経・・・」

コメント (1)
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