立候補者は官僚たちの「血税ガブ飲み体質」をどう解消するかの具体的な方策を示せ

2005年08月31日 23時35分25秒 | 政治
主要省庁概算要求のポイント (時事通信) - goo ニュース

 本格的な景気回復はこれからという時に、官僚たちの身勝手な振る舞いを許すわけにはいかない。小泉首相は、官僚たちのこんな陋習を許していて平気なのであろうか。これでは、政治家が官僚を統御できるとは、到底思えない。無理である。ならば、何か一言あって然るべきではないか。
 2006年度政府予算の各省庁が財務省に要求する一般会計の概算要求が30日、ほぼ出揃い、総額が約85兆2700億円(今年度比3兆800億円増)に上っていることがわかった。
 国土交通省や経済産業省の要求額が今年度予算に比べて15%前後増え、今年度に続いて空港や新幹線などの「大型の公共事業」の要求、農水予算やODA(政府援助)の増額などが、要求額を押し上げている。
 財務省は、今年度予算の82兆1829億円以下に削減する方針というけれど、それにしても、総選挙の真っ最中に、各省庁の官僚たちは、一体何を考えているのであろうか。疑問になる以前に呆れ果ててしまう。
 小泉首相をはじめ民主党の岡田克也代表、そして候補者たちが巷で言っていることと、官僚たちがつくった概算要求の増額分との間に、大きな隔たりがある。
 巷では、候補者たちが、「郵政民営化賛成」「反対」、「年金制度の一本化」、「消費税3%アップ」などと叫んでいるというのに官僚たちは、丸で「ノー天気」である。概算要求が膨らんでも「知ったこっちゃない」といった手前勝手な政策を立てては、財政ピンチなどどこ吹く風といった無責任ぶりである。
 各省庁の官僚たちは、「省あって国なし」、「局あって省なし」という感覚は、いまだに変わっていない。「国益」にはおよそ無関心、「省益」よりも「局益」にしか関心がないといった感じで、自分のテリトリーと権益の拡大に全精力を傾けている。
 小泉首相は、「構造改革」の名の下で、「借金財政」からの脱却を図ろうとしているはずである。それに抵抗するかの如き「増額要求」は、およそ「小泉改革」に反する。
 国・地方を合わせての借金は、「500兆→600兆→700兆」へと膨らみ続けており、このまま放置しておくと、「1000兆円」を突破し、国民の個人金融資産1400兆円を超えてしまうのは時間の問題という事態に陥る。
 ところが、官僚たちは、国民の血税を丸で「自分のカネ」くらいにしか考えてないのであろう。ガブ飲みを続けているのである。
 小泉首相は、郵政民営化により「340兆円」が市中に流通するようになれば、景気がよくなると断言している。そうなれば、本当に喜ばしい限りである。
 だが、この論理では、いまの日本の景気が悪いのはいかにも「郵便局のせいだ」と言わんばかりに聞こえてくる。これは全くの屁理屈であり、郵便局に失礼と言うものである。郵便局に預けられる預金が多かろうと少なかろうと関係はない。財政投融資という形で郵便局に集められた資金が、大蔵省の資金運用部によって、機関産業や公共事業に投入され、この御陰で日本経済が高度成長を果たすことができたのは、歴然たる事実ではあるが、この郵政公社が自主運用できるようになったのが原因で日本経済が停滞しているわけではない。
 根本原因は、日本がアメリカとの「日米金融大戦争」に敗北したのが最大の原因だったはずである。バブル経済発生のときから、日本は、アメリカから攻勢をかけられ、約1000兆円とも言われる資金を失い、不良債権を抱えて、その処理に苦しみ、日本長期信用銀行まで失い、その最中に再び、金融大戦争を仕掛けられ、大敗北してしまったのである。この終戦処理に当たったのが、小泉首相であったことを忘れてはならない。
 大東亜戦争に敗れて半世紀、日本は、金融大戦争にも敗れて、「2度目」の敗戦を味わわされた。この戦争の最中、細川政権から森政権にかけての歴代首相が、失政を続けた結果、国民が、大変な目にあわされ、挙げ句の果てに、毎年3万2000人に上る自殺者や2万4000人ものホームレスを生み出してしまったのである。
 この間、政治家も官僚たちも、平成大不況がバブル崩壊の後遺症とは言っても、「日米金融大戦争」の結果でもあるという説明をしたことは、まったくなかった。
 それは、昭和12年7月7日、中国の蘆溝橋で日中両軍が衝突して、日中戦争が始まっていたにもかかわらず、国民に「戦争状態」を説明せず、ズルズルと戦線を拡大し、昭和16年12月8日に真珠湾を攻撃して、大東亜戦争を突入した当時の歴代政府や政治家たちの振る舞いによく似ている。
 日本の敗戦を軍閥のせいにしたり、A級戦犯の軍人たちの責任に帰してしまうのは、簡単ではあるが、日本の進路を間違えさせた本当の責任者は、政治家をはじめ東京帝国大学出身の高級官僚、そして財閥や財界人だったことを忘れてはならない。政党政治が衆愚政治に陥り、高級官僚や財閥、財界人たちが私利私欲にとらわれ、判断力も決断力も発揮してこなかったため、軍人たちの蜂起を許してしまったのである。戦争責任を追及するなら、軍人ではなく、統治能力を失った政治家や高級官僚、財閥、財界人の罪を問うべきなのである。
 これと同じような図式は、日米金融大戦争においても言える。歴代政権、政治家、高級官僚、そして経団連はじめ財界首脳陣は、一体何をしていたのかを厳しく追及しなくてはならないのである。とくに、旧大蔵官僚の罪は、最も重い。その大先輩である宮沢喜一元首相は、「A級戦犯」と断じてもよい。分裂するまでの自民党38年の最後の総裁だった。不良債権が増え続けていたにもかかわらず、これを放置した「不作為犯」でもある。これに次ぐ「A級戦犯」は橋本龍太郎元首相である。景気を押し上げる政策を果敢に打つべきところ、反対にブレーキをかけてしまった。22省庁を1府12省庁に減らしたとはいえ、2、3の省庁を合併させただけで、中身はむしろ「焼け太り」にしてしまった。国民を「数のマジック」で誤魔化したのである。この結果、景気はますます落ち込んで行ったのである。
 このように日本経済が落ち込み、国民が途端の苦しみを味わわされているというのに、官僚たちは、「我が世の春」を謳歌し続けてきた。無責任の謗りは免れない。
 小泉首相になって初めて、終戦処理が始まった。あれから4年5か月を経て、不良債権の最終処理を終えて、日本経済は、ようやく自立回復の基調に乗り、平成大不況からようやく脱してきた。それでも地方経済は、まだまだ疲弊したままである。
 景気がよくなれば、法人税、所得税などの税収が増え、国家財政も借金解消に向けて歩み出すことができる。
 だが、小泉首相は、「構造改革にくして景気回復なし」と称し、「郵政民営化」を「改革の本丸」と見て、小泉政権最後の決戦に臨んでいる。
 だから、景気が悪いのを、郵便局のせいにするのは、こじつけに聞こえるとは言え、ともかく「郵政民営化」をキッカケにして、景気回復への弾みをつけたいという小泉首相の気持ちが、分からないでもない。
 ならば、ともかく本当に景気がよくなるかも知れないと信じて、国民も小泉首相のレトリックに付き合うしかなさそうである。「景気上昇」のための「特効薬」を民主党ほかの野党が示せない以上、ともかく、「景気政策らしき方策」を示している方に賭けるしかないからである。
 その場合、いかに優秀であるからとは言え、無責任極まりなく、国民の「血税」をガブ飲みし続けて憚らない官僚たちの跳梁跋扈をいつまでも許していてはいけないのである。
 候補者たちは当面、自らの当選だけを考えるであろうが、「官僚支配の弊害」をどう解消するか、具体的な方策について、国民に向けて明快な方策を提示すべきである。


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