オリンピック女子マラソンが日本時間8時半にスタートということで、
同じ時間帯に走りたいので、8時過ぎにジョギングに出かけた。
空と空気は確実に夏の終わりを表してくれている。
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この日は、いつも聞いているFMラジオもマラソンの実況だ。
ガンバレ、土佐!ガンバレ、中村!と心で叫びながら、走った。
2時間半走ってもいいのだが、やっぱりテレビを見たいので、
1時間で切りやめて、テレビ観戦をした。(ビール片手に。)
結果は残念なこととなったが、フルマラソンは本当に過酷で、走ってみないとわからないところがある。
私は走り出して、15年近くになる。ゴルフの飛距離アップのために、
足腰を鍛えようと始めたジョギング。
初めは、家から700メートルほど離れたところにある公園まで走って行って、
帰ってくるというものだった。
そんなんでも、息はゼエゼエ、ハアハアで、ジョギングと言えるものでは無かった。
それでも何で続いたのかというと、週に1回でもええか、というイージーさだった。
少しずつ、距離が伸びていった。週1回が2回になった。
始めて3ヶ月ぐらい経って、10キロ近く走れるようになった時、
公園で、近くの顔見知りのおじさんが、「京都のハーフマラソンに知り合いが出て、良かったらしいよ。出たらどう?」と言われた。
ええ!ハーフ? 21キロなんてそんなん無理。と、出場なんて考えてもみなかった。
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それから、3年後、フルマラソンに挑戦するぐらいになった。
すでに、ハーフマラソンを1時間42,3分で走れるようになっていたので、
3時間台でゴールできるやろうと、簡単に考えていた。
武庫川の河川敷を何回か折り返す、小さな大会だった。
快調に走り続け、半分の21キロを過ぎてもペースは落ちない。
それが、30数キロを過ぎたところから、異変が。
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大会に出て、初めて歩いてしまった。歩いていても気分が悪い。
病人のような状態になった。係員を探した。
いたら、棄権を告げようと思った。
小さな大会が幸いして、係員は見当たらない。
その時、ふと考えた。エネルギーが無くなってんねやと。
何か口に入れよう、と何分か歩いていたら、
パン切れが置いてあるテーブルがあった。
食欲は皆無だが、無理やりそれを口に含んだ。
それから、徐々に徐々に、力が沸いてきて、ゆっくり走れるようになった。
完全になめていた。もっと早く、元気なうちに何か食べなくてはいけなかった。
5時間近くもかかって、何とか完走できたが、にがい初フルマラソンとなった。
フルマラソンはあまりにもしんどいので、次は、大会を選ぼうと決めていた。
そして6年後、アメリカ好きの私は、知り合いが居てるシカゴ市、シカゴマラソンを選んだ。
初マラソンの教訓で、歩くことなく感動のゴールを迎えることができた。
そして、走った距離は裏切らない。と。
こんな事、言わせてもらってええのん?
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。。
これは、私にとっては、金メダル。
その時は、自分で自分を褒めたい。と思った。