これまでに大先輩方の方々が苦労して取り纏められた資料は本当に素晴らしいと思います。CJ3Bの車台番号の分析もまさにそれのひとつです。メーカーが作成した『三菱ジープのあゆみ』を読み返しても分からなかったところが一部クリアになりました。1955年1月1日より新しい打刻方式西暦年式が採用されました。私がこれまでに収集したもの、ご提供頂いた車両銘版画像をもとに諸先輩達が解明されてきた内容をほんの少しですが、この機会にご披露したいと思います。
《これまでに入手或いは寄贈頂いた車両銘版》
① 車台番号にMやJが末尾に打刻されているもの
左上の画像には〇の中にMが刻まれています。4枚の画像全て生産者名がReorganizedという文字が含まれていますので、新三菱重工業株式會社製となります。
時期的には昭和27年5月(1952年)から昭和39年5月(1964年)の間になります。実に12年間にわたる生産期間になります。この左上の画像の車両が1958年製で、
その頃はまだ完全に新三菱重工業株式會社製の部品で組み立てられた車両とウイルス社から部品供給を受けて組み立てていた車両が混在していたため、この識別
マークが〇の中にMやJであったようです。もう少し厳密にいうと、CJ3B-J4研究ⅡにおいてP31に詳細が記載されています。この〇の中にM又はJの打刻は
1958年までの車両にはあるも1959年以降の車両にはないとのこと。〇の中にMやJ付きの車台番号の車両は、そのフレームが新三菱重工業株式會社で生産された
ものであり、ウイルス社から輸入供給されたフレームではないことを示しているそうです。このあたりの背景確認が素晴らしいです。
② 車台型式の前後にある『-』ハイフォン
同じくCJ3B-J4研究ⅢのP5以降に、これまで誰もその意味が分からなかったことについて分析された結果が記載されています。
1955年、1956年頃までは車台型式の前後には『-』ハイフォンはなく、1957年以降から『-』ハイフォンが追加されたようです。
これも素晴らしい調査力です。
★三菱ジープ互助会★
代表発起人J57改@日野市
当方へのアクセスは、jeep-gojyokai@crux.ocn.ne.jp
塩井まで。