リビングライフのエッセイから感じたこと。
人の体には痛さを感じる「痛点」
というスポットがある。類似のものに、温かさを感じる「温点」
、冷たさを感じる「冷点」
、圧力を感じる「圧点」
があるそうだが、「痛点」が一番多いそうだ。痛みは確かに苦しみだが、この痛さによって体の不調や異常を知ることができる。つまり、「痛点」から発せられる痛みは、私たちが生きていくための大切な信号であるということ。
例えば、歯が痛くなる。
アメリカでは保険が複雑で、歯の治療は特に高額になりがちなので、歯医者さんに行きたくても行けないという友人知人は少なくない。そんな人は、仕方なく痛さを堪え続ける。辛抱の期間が短かったらよいが、時には年単位で我慢し続けると、痛くなかった時の状態を忘れてしまうという。苦しんでいる状態が「通常」になってしまうのだ。
第三者的にこれを聞くと、「何かヘン
」と思う。でも霊的な意味で、この世の多くの人は「痛点」を失くしている。自分勝手な言い訳で、罪の意識や罪悪感から出る「痛み」を無視し、「痛さ」を我慢して我慢して、実は非常に危険な状態にまで陥ってしまっている。
「痛み」は、私たちが生きていくための大切な信号なのだ。痛みを感じたら、深刻な事態を招く前に治してくださる方のところへ行こう。癒し主である、イエス様のところへ。
しかし、見よ、わたしはこの都に、いやしと治癒と回復とをもたらし、彼らをいやしてまことの平和を豊かに示す。(エレミヤ33:6)

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人の体には痛さを感じる「痛点」




例えば、歯が痛くなる。

第三者的にこれを聞くと、「何かヘン

「痛み」は、私たちが生きていくための大切な信号なのだ。痛みを感じたら、深刻な事態を招く前に治してくださる方のところへ行こう。癒し主である、イエス様のところへ。


