きょうの教会ごはん 

神様との食卓で、一緒にご飯を食べましょう!

救いの確信

2012年01月30日 | 羊、朝の一声
今日のリビングライフの黙想エッセイから。

救いは、正確なものなので、確信がなければなりません。それならば、自分の救いを確信することは、霊的な高ぶりでしょうか。いいえ、そうではありません。まことに救われて、自分の救いを確信することは、救われたものの義務です。
救いの確信があるあなたがすべきことは、はっきりしています。救いに至る信仰をくださった神の恵み感謝することです。なぜなら、信仰自体も私たちのものではないからです。信仰は神がくださったものです。



このエッセイからいろいろと考えました。「救いの確信」については、えんぢぇる師からも幾度も語られ、おかげでその意味の自己アイデンティティはかなりしっかりしていると思っています。そんな私がひっかかったのが、「それでは霊的高ぶりなのか」というところ。ちょっとグサッと来て、違うんだ!とホッとしたと同時に、そうか、その後の「感謝」が足りないんだ、とあらためて思い知らされました。

今日の学びの小テスト(三回目にして、ほんとうに抜き打ちでした。)で、「御霊の賜物9つを、聖書の順番通りに書きなさい。」という設問がありました。信仰は御霊の賜物です。(因みに3番目)これについても、深く考えるといろいろあるのですが、とにかく神様がくださっているものであることは間違いありません。今、神様を信じて祈ることができる、これは信仰ゆえです。意識していないかもしれないけど、大きな大きな恵みです。そのことを感謝すること。恵みの主を賛美すること。そして私の「救いの確信」をますます強めていこうと思いました。


キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。
 知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。(コロサイ3:16)