きょうの教会ごはん 

神様との食卓で、一緒にご飯を食べましょう!

続・信仰のテスト

2012年01月17日 | 羊、朝の一声
月曜日、「抜き打ちテスト」がありました。何せ事前通告済み&問題のヒント有なので、ひねくれやMUさんとしては、疑ってかかります。

 「ひょっとして、全然違う内容では?」
 「暗唱聖句させられたり?」
 「実技になっちゃったり?」

とんでもない!ひねくれているのは私だけで、テストはきちんと予定通り予告通りでした。疑心暗鬼の私は、「実技になっちゃったり?」なんてことも考えたのですが、これが当たらずとも遠からず。このテストの後、神様のテストがあったのです。

テストの後はお買い物にでかけました。クリスチャン本屋さんへ行き、店内を見ていると、突然おばさんが目の前に立ち、悲しそうな顔で「神様にどう祈ればいいか、わからない。教えてくれ」と言うのです。何故、私に

ホームレスのようなそのおばさんは、見た感じも体調が悪そうで、手足は汚れて、目は暗く翳っていました。「泣いて神様に頼むけど、状況は変わらない。私の祈りがどうして聞かれないのか。これ以上、どう祈ればよいか教えてくれ。必要なものはたくさんあるのに、どれも手に入らない。」まったくもって何故、私に

彼女のためにその場で癒しの祈りをしました。でも、私はその汚れた手を握ることに戸惑ったのです。心から喜びを持って彼女の手を取ることはできませんでした。その時、イエス様の愛を思いました。イエス様は、私がもっともっともっと汚れていても、私の手を取ることを喜び、溢れる愛をもって抱きしめ、癒してくださったのです。私は、クリスチャンとして当然すべきこととわかっていても、イエス様に倣う者とはとても言えませんでした。祈りはしても不潔な手が気になる、祈りはしても実質的に彼女にこれ以上関われないことを心のどこかで安堵する、そんな思いに押しつぶされそうに感じました。まさに、信仰の実践テスト。神様が与えられたのです。

結局のところ、おばさんはお金を必要としていたようで、祈っている間につと離れて別の人のところへ行ってしまいました。私は彼女の必要を満たしてあげることができませんでした。お金も、癒しも、祈りによる平安も。そして私は「神様がこの時を“私に”くださったのだ」ということを、確かに感じました。

神様の抜き打ちテストの結果は、赤点です。0点かもしれません。朝の抜き打ちテストに「OK、OK!結構イケてる。」なんて思っていた私は、神様による「真のテスト」結果を見ることになりました。神様はすべてご存知です。私の高慢も、私の弱さも、私の勘違いも。そして私の0点の答案を見て、こう励ましてくださるのです。「まだまだ覚えることがたくさんあるね。」

少しずつ、少しずつ、主に倣う者になって行きたいと願います。