今日まで北海道にいます。
小さい頃憧れた北海道ですが、北海道の大学出て、北海道に縁の深い会社に入り、今の会社でも北海道をしょっちゅう往復。嫁も北海道出身と来たらもう腐れ縁ですね。
まだ北海道に憧れていた頃の話。今はないローカル線にたくさん乗りましたが、日本一の赤字線として名を馳せたのは美幸線でしょう。
当時の真の日本一は、深名線だったか筑豊の添田線だった忘れましたが。
美幸線が赤字(実際には赤字額ではなく収支係数、100円の収益をあげるために要した経費額)日本一になったとき、地元美深町がキャンペーンを張ったため、日本一の赤字線と知られることになりました。
美幸線の美は起点の美深、歌登を経由して、幸なる終点北見枝幸に向けて建設が始まりました。
しかし工事は中断し美深町内から出ることなく仁宇布という山間の小盆地の集落まで達して、ここが終点のまま一転廃止が決定します。
昭和60年3月の仁宇布駅です。乗客は数人のファンだけだったように記憶しています。
その後、北海道在住時、廃止後の仁宇布に車でいきました。
北海道の山間は集落と言っても広大なエリアに農家が点在しているだけなので、人の気配は全くなし。
そんな中、歌登方面に向けて後はレールを敷くだけの状態まで工事が進んだ路盤が延びてました。
旧仁宇布駅前には、なぜか北海道に全くゆかりのないサシ581が置かれていたように思います。
写真を撮ったと思いますが、紛失してしまいました。
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小さい頃憧れた北海道ですが、北海道の大学出て、北海道に縁の深い会社に入り、今の会社でも北海道をしょっちゅう往復。嫁も北海道出身と来たらもう腐れ縁ですね。
まだ北海道に憧れていた頃の話。今はないローカル線にたくさん乗りましたが、日本一の赤字線として名を馳せたのは美幸線でしょう。
当時の真の日本一は、深名線だったか筑豊の添田線だった忘れましたが。
美幸線が赤字(実際には赤字額ではなく収支係数、100円の収益をあげるために要した経費額)日本一になったとき、地元美深町がキャンペーンを張ったため、日本一の赤字線と知られることになりました。
美幸線の美は起点の美深、歌登を経由して、幸なる終点北見枝幸に向けて建設が始まりました。
しかし工事は中断し美深町内から出ることなく仁宇布という山間の小盆地の集落まで達して、ここが終点のまま一転廃止が決定します。
昭和60年3月の仁宇布駅です。乗客は数人のファンだけだったように記憶しています。
その後、北海道在住時、廃止後の仁宇布に車でいきました。
北海道の山間は集落と言っても広大なエリアに農家が点在しているだけなので、人の気配は全くなし。
そんな中、歌登方面に向けて後はレールを敷くだけの状態まで工事が進んだ路盤が延びてました。
旧仁宇布駅前には、なぜか北海道に全くゆかりのないサシ581が置かれていたように思います。
写真を撮ったと思いますが、紛失してしまいました。
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