ごじゃっぺ日記(旧、看悶日記)

京都生まれのにわか茨城県民による雑多な日記です。内容に一貫性はありませんが、どうかひとつ長~い目で見てください。

絶滅危惧種?急行きたぐに

2011-09-11 20:02:07 | 鉄道
昨晩は今朝未明0時3分京都発の「急行きたぐに」で長岡へ、長岡から上越新幹線で群馬に帰ってきました。
急行きたぐには、日本唯一の3段式(電車)B寝台を使用した列車です。
現在、寝台列車は、
定期列車:特急北斗星、特急日本海、特急あけぼの、特急サンライズ出雲/瀬戸、急行はまなす、そして急行きたぐに
不定期列車:特急カシオペア、特急トワイライトエクスプレス。
不定期列車を含めても、9列車のみ。
そして、急行は昼行は全廃、夜行が上記のはまなす/きたぐにの2本のみ。
3段式寝台を連結した「急行きたぐに」はとにかく希少、もはや生きた化石のような列車なのです。
その「きたぐに」も2014年予定の北陸新幹線開業後は存続するのか予断は許さない状況です。
 ・金沢~直江津が並行在来線として第3セクター鉄道として分社化されること、
 ・使用車両が昭和42・43年製で、製造後43年を経て老朽化していること。
という理由があるからです。
そんな絶滅危惧種というべき583系急行きたぐに。廃止が発表されたりすると一種の「おわかれフィーバー」となるので、
普段の姿のうちに乗っておきたいものです。

さて583系の3段式B寝台。下段寝台はかろうじて居住性を保っているので、下段希望。

残念ながら禁煙車両の下段は満席でした。やむなく喫煙車を購入。
583系B寝台。寝台内は禁煙、構造上デッキか洗面所でしか喫煙できないので、意外に車内は煙たくないのです。
さて車内に乗り込みます…

583系独特の高い天井の通路を挟んで、3段式のベッドがずらり。
カーテンは閉まっていても、通路に靴がないということは客が乗っていないということ。
朝、長岡で下車する前に確認したところ、通路の靴は自分を含めて3足。即ち客は3名だけでした。
実際に、全くタバコの煙の臭いせず。快適な車内でした。

客がほとんどいないので、寝台の様子を撮影します。

下段は、天井が低いものの寝台幅が大きく、横になってしまえばA寝台同様の居住性です。
当たり前ですが大きな窓があります。そして…

中段。下段より料金は安いものの明らかに狭い!窓がない!(小さなのぞき窓が枕元にあるだけ)
極めつきは…

上段!天井が湾曲し、まさに屋根裏部屋の趣き。
狭いだけでなく、この上段に収まるにはちょっとした体力と身体の柔軟さが要求されます。
はっきり言って高所恐怖症の方には絶対にお勧めできません。

何せこの高さですから!!

もう少し寝ていたい朝7時過ぎに長岡に到着。

先頭には佐渡おけさのイラストのヘッドマークが。

40年以上走り続けた車体は波打ちデコボコですね。

急行きたぐに、後継車両もない現状では、おそらくあと3年で廃止は避けられないでしょう。
今のうちに乗っておきましょう。

廃線跡めぐり東武熊谷線、妻沼町内を行く

2011-09-09 18:33:33 | 鉄道
東武熊谷線の跡地をめぐっています。前回は群馬県側の利根川堤防(地図F地点)まで来ました。

今回は利根川の先、埼玉県熊谷市旧妻沼町内です。
妻沼から先は実際に営業していた区間であるものの廃止後28年、どの程度痕跡は残っているのでしょうか。

【地図G地点】

利根川渡河地点の埼玉県寄り河川敷はゴルフ場です。群馬側はサッカー場でした。

この先、南にむけて市道が伸びています。

【地図H地点】
このあたりに妻沼駅があったと思われます。これより南は実際に列車が走った区間になります。

熊谷市に合併された旧妻沼町の資料館があり、実際に妻沼~熊谷を走ったキハ2000が展示されています。
こういった展示車両、屋外で朽ちるに任せているものが多い中、ここは屋根の下で保存状態良好なのが嬉しいです。

昭和29年製ということなので、無煙化は早かったようです。当時流行の湘南電車タイプのデザインです。
10kmで途中わずかに1駅という路線で、17分かかったということはかなり鈍足。
この遅さと、車両デザインからか「カメ」と呼ばれたそうな。

さて資料館の向かいには、真ん中にドラッグストアが出来ていますが、幅30m×長さ300mほどの空き地が残ります。

おそらくここが妻沼駅だったのでしょう。そして線路跡を活用した市道が真っすぐ南に伸びています。

【地図I地点】
線路跡は完全に市道と化して、妻沼駅付近でも保存車両と駅跡らしき空き地以外に何も見つけることはできず…
ならば、渡河地点には橋脚など橋梁の痕跡が残るのではないかと、福川の渡河地点まで来ました。

市道の橋の下も覗いたものの全く痕跡なし。線路跡を完全に撤去した後、市道の橋が架けられたようで堤防も新しい。
全く、手掛かりがないのかと思えば…

この橋の名前がズバリ「東武橋」でした。

旧妻沼町内は完全に道路に転用されて痕跡はあまり残されていません。
この先の熊谷市内に期待ですが、まだ取材できていません。続きは9月下旬予定です。

東武熊谷線、大泉町内未成区間を行く(後編)

2011-09-08 18:21:28 | 鉄道
東武熊谷線、群馬県大泉町内未成区間の後編です。


前編は、C地点の体育館脇の緩やかなカーブ地点まででした。

この先も、公園/緑道として整備されていますが、ジョギングコースなのか路面はクッション性のある構造です。

【地図D地点】
県道314号との交差部分は、緑道は立体交差に。

最初のうちは、立体交差で線路も引かれていた?とも考えていたのですが…

どうにも、取り付け部分の勾配は少々急ですね。貨物線でこのような急勾配は考えられないので、
緑道整備の際に、立体交差にしたと考えるべきですね。

【地図E地点】

この先、運動公園のサッカー場にぶつかり線路跡は消失します。

サッカー場、野球場の中を線路は通っていたようです。

【地図E地点】
野球場裏側の利根川堤防に向かいます。
こちらに回り込めば、野球場裏に橋脚が残されています。

完全に公園として再整備された大泉町内で発見できた唯一の熊谷線構造物です。
利根川堤防外側の用水路をまたぎ、堤防に取り付けるためのものでしょうか。

堤防上から反対に向けば、結局架橋できなかった利根川が悠然と流れています。
河口から約160km溯ったこのあたりでも、さすがに坂東太郎…対岸まで1km近くあるのです。

次回、埼玉県熊谷市編です。

夕張にこもっております

2011-09-07 13:12:39 | お仕事でお出かけ
一昨日、月曜日の夜に夕張入り。金曜日までこちらにいます。

ホテルの8階から見た、夕張の夜景。

ゴーストタウンといえば怒られてしまいますが、夜になれば人通りどころか車もまばら。
街のナトリウム灯だけが寂しげに光っているような街です。
電波塔が乗った建物は警察署、白く照らされた建物は市役所。
まだ、この街が人口10万人超を誇った栄華の時代に建ったのでしょうか。
まさに、人口1万人を切ろうとしている現状では共に分不相応の規模です。

昨日は、大雨の予報でしたが…

朝5時に目覚めると、こんな早朝から大きな虹が出ていました。でも結局雨…

今朝は一転、気持ちいい朝。

写真は本町商店街、街一番の目抜き通りですが…シャッター通りどころか廃屋も多数の通りです。
今朝は、金曜日の新幹線チケット手配のために、街の南端にあるJR駅まで車を走らせます。
走ること20分、南北に長い町です。途中いくつも集落を抜けますが、どこも寂れています。

ちょうど中間地点に、炭鉱があった名残の巨大なズリの山が出現。

さて指定券購入。

金曜日はこちらでの仕事終了後、新千歳18時の飛行機で羽田に飛び、最終ののぞみで京都に向かいます。

朝は気持ちい晴天ですが、お昼からまた雨です。