クローゼットが飽和状態・・・
30箱ほどある雑誌が詰め込まれた段ボールケースが癌でしょうか、かれこれ10年以上開いていない。
主に海外から船便で届いた雑誌類ですが引っ越し時にとにかく詰め込んだままの状態です。忙しくてじっくり見ることすら出来なかったことは送っていただいた方には申し訳なく思っていますし、このままでは今後も開かずの箱になることは間違いないので意を決して数箱ずつですが整理することにしました。
整理とは今の状態をどのようなカタチにして今後保存するのか、また不要なものを処分して荷物を軽くするかなど最初に考えないといけませんが、もう一つその前にもっと重要な「案件」が立ちはだかるんですね。
それはこれらの雑誌を前にするとどうしてもその中に引き込まれて読み出してしまい、幾日も雑誌に埋もれ面白そうなところにはタグを付け、夜毎それに没頭してしまうとやがて飛行機作りが出来なくなり、これじゃ行けない・・・・となって色々楽しませてもらったので今日のところはそのまま箱に戻して結局元の状態に戻ってしまう????
ハイ、過去に何度かございます。
そうならないように一度に大量の箱を開くことはしないで部屋に持ち込むのは数箱に限定、必要なもの、不要なもの、一応保留のもの、などに分類しながらコトを進めようと思います、出来るのか?
さすがに10年以上の時を隔てると当時は心ときめくネタではなかったものが今ではヤケに新鮮で、数冊の雑誌を寝る前に見る悪いパターンに入ってしまうんですが、心を鬼にして処分するものはゴミ袋に放り込む毎日でした。
タイムスリップする時間の中で、その時代に自分は何に興味を持っていたのかが分かってきますから面白くもあり、また不思議でもあります。1冊の雑誌の中でたかだか数ページの記事に釘付けになりそれ以外のページを開くこともなく、その雑誌の使命は終わってしまう・・・ そんな不運な部分もあるわけです。
そして、送られて来たのに開封すらされていないものもあるんですね、どーゆーこと!
このビニール袋の中は1982年3月の「雑誌」と「空気」が入ってるんですね、穴が空いてますから空気は・・・
初めて見るカナダのモデル・アビエーション誌。表紙の紙質はイマイチですがきっと大量印刷することはなかったように思います。
これはチェスター・マックさんから送られてきた中の一冊。「今、フェイセットモビル作ってるよ」という私の手紙に反応して送られて来たもののようです、懐かしい。今でもこの機体を作ってる人がいるのは「イロモン」「ゲテモノ」のジャンルを仕切ってる1機に違いありません。
こんな機体をピーナッツで1分近く飛ばしてたんですね。当時の機体重量が分からないので確かなことは言えませんが、今挑戦したらもっと性能の良い機体が誕生すると思います。
ちょっと片付いてきた? ようにも見える! ここまで20Lのゴミ袋3枚使用。
「空気エンジン」とか出てきましたが・・・・ 今日は触るの止めにします。ハードカバーの本は大切に保管することにして別の箱に移動。
そして次なる箱の中から出てきたのはこんな紙片の山。
当時海外から買い漁った商品の代金領収証かな?
こちらも郵便局から海外送金した控え? 模型雑誌、模型クラブの会報、模型飛行機部品、模型キット・・・健全といえば健全。
でも得体の知れない領収証だったらわざわざ保存なんかしないし、その場で処分するでしょうに。
記念にすべきMAX-FAXの会報、1989年7・8月号となっています、30年超えてますね・・・
こちらはフライングエーセスクラブの会報、これらの会報は模型雑誌では知り得ない多くの情報や図面を提供してくれました。
どんどんレアなブツが出てまいります。チェコのラピアー製ロケットエンジンですね!
何でこんなものが? これって海外郵送禁止の代物だったはずですが。
ですから知人にお願いして現地で購入してもらったものでしょうか、結局このエンジンを使って飛ばす機体は出来ていませんね、裏切り者です。使い捨てのエンジンですから10回飛ばしたら・・・
全く理解不能・・・・スキャンして翻訳ソフト使えば? 今はよしましょう。
ご丁寧に納品書まで入ってました。
そしてどうなったかと言うと、こうなりました。
「機は熟していない」・・・ということにします、いつ熟すんだ!なんて聞かない・・・ きっともうすぐ。
ユナイテッド航空サンフランシスコ発リノ行きの荷物タグ。
この間の飛行機に乗ったのは一度だけ、これ以外はすべてレンタカーですから貴重なんですね。
ま、最初に出かけたリノ・エアーショウのものですから、記念に保管してたのかも。それにしてもスモーキング・イエス・ノーがあるなんて時代ですね、普通にシートで吸えたんでしょうか?
ジャンボジェトでアメリカからの帰りに機体最後部のトイレに行ったら、スチュアーデスのオバチャンたちがたむろしてタバコふかしてました。
「ボク何処へ行ってきたの?」とか話かけられ、その場で1時間ほど立ち話。「そろそろ仕事だからまた後でここに来いや!」と言われ夕食が済んだらまた数時間・・・ あっという間に成田へ到着しました!
その後、私のスチュアーデスに対するイメージは大きく変わりました。
記憶にございません!
30箱ほどある雑誌が詰め込まれた段ボールケースが癌でしょうか、かれこれ10年以上開いていない。
主に海外から船便で届いた雑誌類ですが引っ越し時にとにかく詰め込んだままの状態です。忙しくてじっくり見ることすら出来なかったことは送っていただいた方には申し訳なく思っていますし、このままでは今後も開かずの箱になることは間違いないので意を決して数箱ずつですが整理することにしました。
整理とは今の状態をどのようなカタチにして今後保存するのか、また不要なものを処分して荷物を軽くするかなど最初に考えないといけませんが、もう一つその前にもっと重要な「案件」が立ちはだかるんですね。
それはこれらの雑誌を前にするとどうしてもその中に引き込まれて読み出してしまい、幾日も雑誌に埋もれ面白そうなところにはタグを付け、夜毎それに没頭してしまうとやがて飛行機作りが出来なくなり、これじゃ行けない・・・・となって色々楽しませてもらったので今日のところはそのまま箱に戻して結局元の状態に戻ってしまう????
ハイ、過去に何度かございます。
そうならないように一度に大量の箱を開くことはしないで部屋に持ち込むのは数箱に限定、必要なもの、不要なもの、一応保留のもの、などに分類しながらコトを進めようと思います、出来るのか?
さすがに10年以上の時を隔てると当時は心ときめくネタではなかったものが今ではヤケに新鮮で、数冊の雑誌を寝る前に見る悪いパターンに入ってしまうんですが、心を鬼にして処分するものはゴミ袋に放り込む毎日でした。
タイムスリップする時間の中で、その時代に自分は何に興味を持っていたのかが分かってきますから面白くもあり、また不思議でもあります。1冊の雑誌の中でたかだか数ページの記事に釘付けになりそれ以外のページを開くこともなく、その雑誌の使命は終わってしまう・・・ そんな不運な部分もあるわけです。
そして、送られて来たのに開封すらされていないものもあるんですね、どーゆーこと!
このビニール袋の中は1982年3月の「雑誌」と「空気」が入ってるんですね、穴が空いてますから空気は・・・
初めて見るカナダのモデル・アビエーション誌。表紙の紙質はイマイチですがきっと大量印刷することはなかったように思います。
これはチェスター・マックさんから送られてきた中の一冊。「今、フェイセットモビル作ってるよ」という私の手紙に反応して送られて来たもののようです、懐かしい。今でもこの機体を作ってる人がいるのは「イロモン」「ゲテモノ」のジャンルを仕切ってる1機に違いありません。
こんな機体をピーナッツで1分近く飛ばしてたんですね。当時の機体重量が分からないので確かなことは言えませんが、今挑戦したらもっと性能の良い機体が誕生すると思います。
ちょっと片付いてきた? ようにも見える! ここまで20Lのゴミ袋3枚使用。
「空気エンジン」とか出てきましたが・・・・ 今日は触るの止めにします。ハードカバーの本は大切に保管することにして別の箱に移動。
そして次なる箱の中から出てきたのはこんな紙片の山。
当時海外から買い漁った商品の代金領収証かな?
こちらも郵便局から海外送金した控え? 模型雑誌、模型クラブの会報、模型飛行機部品、模型キット・・・健全といえば健全。
でも得体の知れない領収証だったらわざわざ保存なんかしないし、その場で処分するでしょうに。
記念にすべきMAX-FAXの会報、1989年7・8月号となっています、30年超えてますね・・・
こちらはフライングエーセスクラブの会報、これらの会報は模型雑誌では知り得ない多くの情報や図面を提供してくれました。
どんどんレアなブツが出てまいります。チェコのラピアー製ロケットエンジンですね!
何でこんなものが? これって海外郵送禁止の代物だったはずですが。
ですから知人にお願いして現地で購入してもらったものでしょうか、結局このエンジンを使って飛ばす機体は出来ていませんね、裏切り者です。使い捨てのエンジンですから10回飛ばしたら・・・
全く理解不能・・・・スキャンして翻訳ソフト使えば? 今はよしましょう。
ご丁寧に納品書まで入ってました。
そしてどうなったかと言うと、こうなりました。
「機は熟していない」・・・ということにします、いつ熟すんだ!なんて聞かない・・・ きっともうすぐ。
ユナイテッド航空サンフランシスコ発リノ行きの荷物タグ。
この間の飛行機に乗ったのは一度だけ、これ以外はすべてレンタカーですから貴重なんですね。
ま、最初に出かけたリノ・エアーショウのものですから、記念に保管してたのかも。それにしてもスモーキング・イエス・ノーがあるなんて時代ですね、普通にシートで吸えたんでしょうか?
ジャンボジェトでアメリカからの帰りに機体最後部のトイレに行ったら、スチュアーデスのオバチャンたちがたむろしてタバコふかしてました。
「ボク何処へ行ってきたの?」とか話かけられ、その場で1時間ほど立ち話。「そろそろ仕事だからまた後でここに来いや!」と言われ夕食が済んだらまた数時間・・・ あっという間に成田へ到着しました!
その後、私のスチュアーデスに対するイメージは大きく変わりました。
記憶にございません!