ジョーの日記

米国での日々の生活を写真と言葉で綴ります。

パリ滞在 7日目 パート2

2023-01-30 | 日記
週末に胃腸の具合が悪くなり、ぐだぐだと過ごしていて
パリの滞在記を書けずにいました。
今日は体調回復したようなので
パリ滞在7日目のパート2、いきます(笑)

ボランティアガイドのアランさんと次に向かったのは、
作家修行時代のヘミングウェイが最初に住んだというアパルトマン(4階)だった。





カルディナルルモワーヌ通りの74番地。
1921年の暮れ、新婚間もないヘミングウェイ夫妻はアメリカから作家になる夢を抱いてパリにやってきた。
暖房もトイレもない貧乏生活だったそう。
当時のこの街の様子は短編小説「キリマンジャロの雪」や
パリ青春時代を回想した晩年のエッセイ「移動祝祭日」に描かれているらしい。

道を歩いていたアランさんが開いていた青色の扉を見て突然自分の指にチューをして、
「ここは滅多に開いてないんだ!あなたたちはほんとうにラッキーだよ」と興奮気味に言った。




わたしたちはなんのことかわからないまま扉から中に入り、狭い通路を通り抜けて




(振り返り、入ってきた扉に向かって撮った写真)



石の壁の前に出るとアランさんが説明してくれた。
昔のパリにはかつて城壁が築かれていた時期が複数回あり、
これはフィリップ2世王(1180〜1223年在位)がイギリス軍の侵入からパリを守るために築いた壁の遺跡の一部なのだそう。
「フィリップオーギュストの城壁」と呼ばれ、
全長540メートル、高さ10メートル、幅3メートルの頑丈なもので、
見張り塔が60メートルごとに置かれていたと言われている。




ここもまた、近くの通りにあった、「フィリップオーギュストの城壁」の一部。




5区にあるパンテオン。
18世紀後半にサント ジュヌヴィエーヴ教会として建設され、後にフランスの偉人たちの遺体を祀る墓所となったそう。
思想家のルソー、作家のヴィクトル ユーゴーやサン テグジュペリも埋葬されている。




パリで一番狭い道!?

カフェでの休憩も入れて6時間ほど散策し、
アランさんと別れてからお腹が空いたのでラーメン屋へ。





「こだわりラーメン(横丁)」という6区のオデオン駅近くにあるラーメン屋さん。
店内は昭和の新宿をイメージしたのだとか。
いつもは大行列のラーメン屋さんらしいが、
平日の午後4時過ぎだったせいか並ばずにカウンター席に座れた。




これは地鶏醤油ラーメン(卵も入れて14.5ユーロ)。
外国で食べるラーメンは高い(泣)
しかし、日本でも十分通用する、いや、もしかしたらトップレベル!?と言えるかもしれないほどの美味しさ!
焼豚は今までで一番美味しかったかも。
店員さんが教えてくれたのだけど、オーナーは、フランス人男性で
日本でラーメンを食べてから虜になり、とにかく「ラーメンを極めたい」一心で修行し、
3人の師匠に恵まれてその才能と技術を惜しみなく教えてもらい、そこから自分の味を創り出したそう。
素晴らしい〜。

帰りに可愛い店構えのおにぎり屋さんを発見。
あとで小腹が空いた時のためにと思い、立ち寄った。
パリは最近おにぎりブームなのだそう。








オーナーはフランス人だったが、作っているのは函館出身の日本人女性。
厨房から出てきて気さくに話しかけてくれた。
おにぎりは新潟産のお米で作っており、新潟のお酒も売っていた。




おにぎりも美味しかったが、きんぴらや茶碗蒸しも少し濃いめの味付けで美味しい!
ただ、おにぎり一個4ユーロ(しかも小さめ)とかなり高め。
それでもお店をやっていけるのだからパリの日本食ブームは今かなり熱いのかもしれない。

おにぎり屋さんを出ると外はすっかり暗くなっていた。




セーヌ川と奥に見えるのがルーヴル美術館。



左奥に見えるのがエッフェル塔。



今日も長々とお付き合いありがとうございました。
次の「パリ滞在8日目」が旅日記の最後になります。
それでは、おやすみなさい。


コメント (2)
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