単に著者の思いを書かれてもどうにもならないのかと思います。
著者が言う程の需要があるのか疑問です。
綺麗事で書く前に周囲の人から意見を聞いてみたら良いのでしょう。
ネットの反応を見てもそこまでパラリンピックの需要はありません。
かつ、日テレの24時間テレビなどはシナリオ通りに作られた作品であり、かつ障害者のチャレンジなどその時に光を当てる事が目的でしょう。
そこである重要なポイントは障害者本人達の意思の方かと考えるに至りました。
パラリンピックに出ている人達はスポーツで活躍する事が第一でしょう。
一方、障害者として日常生活で理解して欲しい人達もいて、その人達からすれば「感動の押し売り」だろうと知って貰う事に意味があるのです。
それで子供達の観戦なのですが、本来はスポーツ観戦ではなく、教育の一環として福祉自体の話を理解しなければならないのでしょう。
そこを理解させると言う概念すら伝わない今の世の中の風潮なんですよ。
つまり、大会の表だけでなく、裏側まで説明してあげないと子供達に理解が出来るのか疑問です。
本来の重要な社会としての成り立ちを理解させないと結果としてDaiGoさんのような人になってしまうのかもしれません。
それで良くないと言うのではなく、社会を構成する事を理解しないとこのようなコロナ対策とか、また医療逼迫でも上手く世の中を回さないといけない世代なんです。
相互依存やコミュニケーションの大切さを同時に理解してその努力もしないと世の中に出て大変な違和感になるのかと思います。
学校教育は大半守られた環境です。
そこから社会に出て生活して行くうえで重要なのは意思疎通や参加意識なのです。
集団生活が出来ても尚且つ新人として飛び込む社会で上手く生きる術を身につけるのは大切です。
その営業スマイルみたいなものをツールとして勘違いしてしまうとそれもそれでダメなんです。
だから現場に連れて行って本当に大会を学習しないといけないのは福祉の勉強よりも身近な社会そのものの本質的な欠陥なんですけど理解出来ないでしょうね。
他人に構っていられない忙しさは現代社会の歪みなんでしょうから。
結局、こう言う仕事の仕方をされる方に幾ら説明してもそれこそスポンサーやテレビ制作サイド、芸能事務所、電通などのイメージ戦略の中で実質的な社会の歪みなんて興味ないのかと思われます。
特に日本の社会は欧米のような合理的な社会の模倣と伝統的な日本社会、また歴史的な周辺諸国からの影響で成り立っていますよね。
テレビのイメージやパラリンピックのような整った環境ではない日常生活での問題等を上手く解消出来るような役所なりであればまだいいのですが。
結果としてあるのは「感動の押し売り」でもいいから注目されないと改善されない経済優先な状況があるのですよね。
長々と書いてしまう事になったのですが、どうしてこう言う人が書く記事で埋めてしまうのかその時点でネットのレベルが見下されるのは確実ですよね。
簡単に言えば著者の気持ちは伝わるかもしれませんが、一方で世の中の関心事とは別物になってしまっています。
それとおそらくもう一段深い教育をしないといけないのにそこをクローズアップ出来ない点で語るのが相応しいのか読む人によると思います。
大半の人はスルーで、読む人ですらそこまでの教育現場の努力を求めないのでしょう。
ただ、東京都自体もこんなに急になってから企画するのでなく、バリアフリーなどの施設などを整備した説明と共に学校側へもそう言う点他の対応とかも含めて資料を事前に渡すなどしないと高度な現場教育にはならないのでしょうけど。
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