最近コロナ対策でも災害級とか、自分の身を自分で守るとか言われ出しています。
災害避難で言う自助、共助、公助の自助に相当する言い方です。
そして野党から嫌われる自助の話なのですが、この自助の話はどうも1990年以降に出てきたようです。
災害対策で先ず自分で身を守るような普段からの準備を意味していますよね。
それと避難経路の確認やハザードマップの確認等のでしょうか?
更には50年に一度のような災害で都市全体が避難対象になった場合の洪水などでの垂直避難等かと思われます。
だとしてもコロナ対策にまで自助を使う理由は違う点で危険なのかもしれません。
普通は感染しないようなマスク、うがい、手洗い、換気、密な場所は行かないなどなんです。
しかし、ここ最近の医療逼迫で自助と言われても流石に限界まで対応して貰えなかったら死にますよね。
それなのに依然として災害級で自分の身を自分で守れとなるとおかしいのです。
簡単に言うと災害が一度来ました、それで一度目は確かに想定外の規模の災害です。
しかしながら、線状降水帯がまた発生して同じような状況になった場合想定外では済みませんよね。
ただ、そんなに簡単に河川改修が進まないのは有りますけど。
コロナ対策だとデルタ株の脅威は初体験でそれまでの経験や蓄積された医療がない中での苦戦ではあります。
しかし、それとてアルファ株等での対策機会があった筈です。
そしてその場合に使ってはいけないのが、共助、公助に相当する医療逼迫なのですから、明確な感染対策としての自助は良くても災害級、ましてやレベル5相当の垂直避難のような身を守る行動の自助と一緒にしてはいけません。
結局、自宅療養を強いてしまうような状況はダメなんですから。
それで気になるのが自助共助公助を使用したがる菅総理の今の忙しさから来る相互理解の欠如なんです。
自助を想定する場合、それなりに感染防止くらいならまだ協力が得られるでしょう。
それが病状の悪化と共に対応不可能になっていきますよね。
その時点を思い遣る心遣いがない、相互理解不足で使ってはいけないのが自助なんでしょうね。
せめてもホテル療養なりの対策、それさえもないのですから。
特に急変への対応で失敗した事例がある以上説明は丁寧にして、更にフォローしないと不信感は大きくなります。
医療機関や保健所等がその余裕がない以上、それを庇うのが政治の仕事でしょう。
なのに自助を強調してしまうと本来の対策ですべきだった公務の皺寄せを無責任に表現しているように思われてしまいそうです。
政治的、役所的に言葉を選ぶなり、説明を上手くしないと忙しい時に疎かになる心遣いがもろに国民感情に壁を作るのかと思います。
普通なら自民党幹事長の二階さん辺りに行くような風当たりまでが菅総理に向かっているように見えます。
二階さんの特有の喋りも気になるのですが、それを凌駕する程の心無さと言うか浮いた感じの話し方なんです。
二階さんや麻生さんが相手を気にせずに発言したとしてもその立場からすればしょうがないと映ります。
ところが、菅総理の原稿読みのような話し方はそれをも受付ない政治家としての基本的な話し方を行なっていないと分かるような振る舞いが距離感があるのです。
それと集中していれば無いようなミスが増えるのも本人が頑張り過ぎているからでしょう。
周囲は止めているのに国民との齟齬を感じていないかのような強引な政策が裏目に出てきました。
特に野戦病院のような対応でもして欲しい人達にすればとても冷たい政策で押し切っているようにしか見えません。
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