『秋』
1. 今は季節の変わり目だ。
⇒ 季節の変わり目とは、一つの季節から別の季節へと移り変わる節目である。
日本語にとらわれ過ぎると英語は出てこなくなる。日本生まれの日本育ち。周りの人も日本人。そんな日本語の環境にどっぷりつかりながら、果たして我々は、本当に英語が話せるようになるのだろうか。
日本人でありながら、日本語を話しつつ、練習だけで英語に熟達する。非常な困難が予想される。練習法にかかっている。よき練習、よき習慣にかかっている。習慣は第二の天性という。
Habit is a second nature.
言葉にとれわれないようにする。言葉尻にとらわれないようにする。日本語においても。どういうことだろうか。
言葉は便利である。しかし便利であるがゆえに、言葉は人を活かしもするし殺しもする。活殺自在である。
法律関係のテレビを見ていても、言った言わないが争点となる。ある国では、I love you. と1日1回言わないと、妻から訴えられる、ということを聞いたこともある。ほんまかいな。
言葉は便利である。しかし、本当の想いは言葉には表れない。言った言わないを超えて、想いは存在する。言葉の向こうにある想いとは何か。
日本で英語に熟達する。従来の方法では、ほぼ奇跡を期待するに等しい難事である。しかし、その奇跡を可能にする方法がある。それは『言葉を超える』ことである。言葉という形にとらわれず、言葉の向こうにある本当の想いに目を向ける。
私は生来、記憶力が絶望的に乏しい。考えることも苦手であった。英語が好きなのに、英語ができない。英語が、英単語が頭に入らない。普通は好きこそものの上手なれである。私の場合、英語への想いは募(つの)れど英語の女神は全く振り向いてくれなかった。
今でも、私の英語はヘボである。でも、曲りなりにでも、くちゃくちゃでも言いたいことは英語にできる、という妙な自信はある。
読むことも同じである。タイムだって、ペーパーバックだって、何だって読む。知らない単語やイディオム、専門用語だらけでも読む。戦争と平和(トルストイ)といった古典でも読む。強引に読む。読み進む。同じ人間が書いているものだから。わからないはずがない。その信念で読む。わからない箇所を見るのではなく、わかるところを見る。分かるところだけピックアップしていけば、全体像は見える。
言葉にとらわれない。言葉の向こうにある想いを見つめる。
英語を話す(アウトプット)。英語を読む(インプット)。私にすれば同じことである。
日本語において、言葉尻にとらわれる人は、英語においても、同じように言葉にとらわれる。
英語に熟達せんとする者、先ず自らの日本語を改めるべし。そして言葉の陰に隠れた本当の想いを見る。私自身の自戒である。
『季節の変わり目だ』
言語とはメッセージである。メッセージとは、何らかの情報である。『季節の変わり目』とは、どんな情報なのか。
今の季節(秋)に関して言うと、『季節の変わり目』=『もうすぐ冬ですね』ということ。よって、
・Winter is coming. 冬が来る。
もうすぐ(soon) をつけて
・Winter is coming soon. もうすぐ冬。
もっと簡単に、
・Winter is soon here. (冬がもうすぐ、ここに)
季節の変わり目、ということは、『寒くなってきた』ということ。
・It's getting colder. (寒くなってきた)
・It's getting cooler.(涼しくなってきた)
・It's getting colder and colder. (どんどん寒くなってきた)
・It's getting cooler and cooler.(どんどん涼しくなってきた)
言葉にとらわれなかったら、思考は自由になる。自由な考えから、簡単な英語は出てくる。
ちなみに、『季節の変わり目』は、通常 a change of season と言う。結構日本語そのままな感じ。以下海外のネットで調べた表現。
・A change of season causes a lot of problems. 季節の変わり目は様々な問題が起きる。
・ a change-of-season cold 季節の変わり目にかかる風邪
(例)I got a change-of-season cold. 季節の変わり目の風邪にかかった
a change of season を文にして、
Why do I get sick every time the seasons change? どうしていつも季節の変わり目に体調を崩すの? (Yahoo Answer アメリカ版より)というのもあった。
以上。
1. 今は季節の変わり目だ。
⇒ 季節の変わり目とは、一つの季節から別の季節へと移り変わる節目である。
日本語にとらわれ過ぎると英語は出てこなくなる。日本生まれの日本育ち。周りの人も日本人。そんな日本語の環境にどっぷりつかりながら、果たして我々は、本当に英語が話せるようになるのだろうか。
日本人でありながら、日本語を話しつつ、練習だけで英語に熟達する。非常な困難が予想される。練習法にかかっている。よき練習、よき習慣にかかっている。習慣は第二の天性という。
Habit is a second nature.
言葉にとれわれないようにする。言葉尻にとらわれないようにする。日本語においても。どういうことだろうか。
言葉は便利である。しかし便利であるがゆえに、言葉は人を活かしもするし殺しもする。活殺自在である。
法律関係のテレビを見ていても、言った言わないが争点となる。ある国では、I love you. と1日1回言わないと、妻から訴えられる、ということを聞いたこともある。ほんまかいな。
言葉は便利である。しかし、本当の想いは言葉には表れない。言った言わないを超えて、想いは存在する。言葉の向こうにある想いとは何か。
日本で英語に熟達する。従来の方法では、ほぼ奇跡を期待するに等しい難事である。しかし、その奇跡を可能にする方法がある。それは『言葉を超える』ことである。言葉という形にとらわれず、言葉の向こうにある本当の想いに目を向ける。
私は生来、記憶力が絶望的に乏しい。考えることも苦手であった。英語が好きなのに、英語ができない。英語が、英単語が頭に入らない。普通は好きこそものの上手なれである。私の場合、英語への想いは募(つの)れど英語の女神は全く振り向いてくれなかった。
今でも、私の英語はヘボである。でも、曲りなりにでも、くちゃくちゃでも言いたいことは英語にできる、という妙な自信はある。
読むことも同じである。タイムだって、ペーパーバックだって、何だって読む。知らない単語やイディオム、専門用語だらけでも読む。戦争と平和(トルストイ)といった古典でも読む。強引に読む。読み進む。同じ人間が書いているものだから。わからないはずがない。その信念で読む。わからない箇所を見るのではなく、わかるところを見る。分かるところだけピックアップしていけば、全体像は見える。
言葉にとらわれない。言葉の向こうにある想いを見つめる。
英語を話す(アウトプット)。英語を読む(インプット)。私にすれば同じことである。
日本語において、言葉尻にとらわれる人は、英語においても、同じように言葉にとらわれる。
英語に熟達せんとする者、先ず自らの日本語を改めるべし。そして言葉の陰に隠れた本当の想いを見る。私自身の自戒である。
『季節の変わり目だ』
言語とはメッセージである。メッセージとは、何らかの情報である。『季節の変わり目』とは、どんな情報なのか。
今の季節(秋)に関して言うと、『季節の変わり目』=『もうすぐ冬ですね』ということ。よって、
・Winter is coming. 冬が来る。
もうすぐ(soon) をつけて
・Winter is coming soon. もうすぐ冬。
もっと簡単に、
・Winter is soon here. (冬がもうすぐ、ここに)
季節の変わり目、ということは、『寒くなってきた』ということ。
・It's getting colder. (寒くなってきた)
・It's getting cooler.(涼しくなってきた)
・It's getting colder and colder. (どんどん寒くなってきた)
・It's getting cooler and cooler.(どんどん涼しくなってきた)
言葉にとらわれなかったら、思考は自由になる。自由な考えから、簡単な英語は出てくる。
ちなみに、『季節の変わり目』は、通常 a change of season と言う。結構日本語そのままな感じ。以下海外のネットで調べた表現。
・A change of season causes a lot of problems. 季節の変わり目は様々な問題が起きる。
・ a change-of-season cold 季節の変わり目にかかる風邪
(例)I got a change-of-season cold. 季節の変わり目の風邪にかかった
a change of season を文にして、
Why do I get sick every time the seasons change? どうしていつも季節の変わり目に体調を崩すの? (Yahoo Answer アメリカ版より)というのもあった。
以上。