NHK取材「秋山好古揮毫石碑」
昨日松山市は、台風15号の影響で朝から雨であった。
HNK松山放送局が秋山好古揮毫記念石碑の取材をして頂いた。
好古揮毫記念石碑は、私が平成17年5月18日からある出来事が切っ掛けとなり写真取材を始め今年で6年になる。
平成23年6月10日現在全国に48基の石碑が発見されている。
その殆どが愛媛県内で、県外では東京都世田谷区に一基、千葉県船橋市に1基、習志野市に一基、鎌ヶ谷市に一基、静岡市に一基、新潟市に一基、魚沼市に一基、魚沼市に一番、この石碑が一番新しい石碑で6月10日に取材に行った。
昨日雨の中、松山市神田町にある厳島神社に建立されている「忠魂碑」と今治市大西町小山、薬師堂にある碑文「衆心和暢化乃成」の取材を受けた。
話の下手な私にとってカメラの前で話すのは非常に緊張いたしあまり中身のないものになったのではと心配しております。
兎に角、私の6年間の好古揮毫記念石碑取材の集大成としていい記念になります。
HNK松山放送局関係者の方々に御礼を申し上げます。
どのような形で放映して頂けるのか楽しみです。
松山市神田町厳島神社境内にある、秋山好古揮毫石碑「忠魂碑」で平成18年9月22日私が撮影。
松山市神田町厳島神社境内にある、秋山好古揮毫石碑「忠魂碑」、48基の内一番大きい石碑で高さ:4m63cmある。
今治市大西町小山にある薬師堂境内に建立されている秋山好古揮毫石碑。
今治市大西町小山にある薬師堂境内に建立されている秋山好古揮毫石碑で、高さ3m30cm、昭和3年1月建立、平成19年3月31日私が撮影。
石碑建立者は、当時越智郡小西村村長であった近藤大作氏が秋山好古に揮毫依頼して建立した。
昭和30年3月、小西村は、大井村と合併し大西町となり、平成17年1月に 今治市と越智郡11か町村の合併で新:今治市となり、地方自治体としての大西町の歴史を閉じた。
近藤大作氏は明治2年越智郡朝倉村の長井家次男として生まれ、愛媛師範学校を卒業して小学校の教員となり同41年小西村の近藤家に婿養子となる。そのご弓削小学校長、大正10年今治第二尋常小学校校長(現、美須賀小学校)に就任大正13年体調を崩し退職。昭和2年小西村村長に就任し昭和21年まで連続5期村長を務めた。石碑建立は昭和3年、大作氏は村長に就任し小西村の教育の振興に石碑を建立し寄与したいと教育者時代に親交があった教育者として名声を誇り尊敬する秋山好古に揮毫を依頼した。
これに応えた好古が揮毫した碑文が凄い
「衆心和暢化乃(しゅうしんわちょうかだいせい)」
その意味は、「皆の心がのびのびしていれば、やがて必ず教化(教育)は成就する」とい
うものである。
好古揮毫石碑の中で碑文が漢詩はこの石碑のみである。
教育者好古を垣間見ることが出来る。・・好古は凄い。
今治市大西町小山にある薬師堂境内に建立されている秋山好古揮毫石碑
昨日雨中の取材。
最近建立された好古揮毫石碑の説明版。・・雨の中傘をさして片手で撮影したため手ブレ状態。
昨日松山市は、台風15号の影響で朝から雨であった。
HNK松山放送局が秋山好古揮毫記念石碑の取材をして頂いた。
好古揮毫記念石碑は、私が平成17年5月18日からある出来事が切っ掛けとなり写真取材を始め今年で6年になる。
平成23年6月10日現在全国に48基の石碑が発見されている。
その殆どが愛媛県内で、県外では東京都世田谷区に一基、千葉県船橋市に1基、習志野市に一基、鎌ヶ谷市に一基、静岡市に一基、新潟市に一基、魚沼市に一基、魚沼市に一番、この石碑が一番新しい石碑で6月10日に取材に行った。
昨日雨の中、松山市神田町にある厳島神社に建立されている「忠魂碑」と今治市大西町小山、薬師堂にある碑文「衆心和暢化乃成」の取材を受けた。
話の下手な私にとってカメラの前で話すのは非常に緊張いたしあまり中身のないものになったのではと心配しております。
兎に角、私の6年間の好古揮毫記念石碑取材の集大成としていい記念になります。
HNK松山放送局関係者の方々に御礼を申し上げます。
どのような形で放映して頂けるのか楽しみです。
松山市神田町厳島神社境内にある、秋山好古揮毫石碑「忠魂碑」で平成18年9月22日私が撮影。
松山市神田町厳島神社境内にある、秋山好古揮毫石碑「忠魂碑」、48基の内一番大きい石碑で高さ:4m63cmある。
今治市大西町小山にある薬師堂境内に建立されている秋山好古揮毫石碑。
今治市大西町小山にある薬師堂境内に建立されている秋山好古揮毫石碑で、高さ3m30cm、昭和3年1月建立、平成19年3月31日私が撮影。
石碑建立者は、当時越智郡小西村村長であった近藤大作氏が秋山好古に揮毫依頼して建立した。
昭和30年3月、小西村は、大井村と合併し大西町となり、平成17年1月に 今治市と越智郡11か町村の合併で新:今治市となり、地方自治体としての大西町の歴史を閉じた。
近藤大作氏は明治2年越智郡朝倉村の長井家次男として生まれ、愛媛師範学校を卒業して小学校の教員となり同41年小西村の近藤家に婿養子となる。そのご弓削小学校長、大正10年今治第二尋常小学校校長(現、美須賀小学校)に就任大正13年体調を崩し退職。昭和2年小西村村長に就任し昭和21年まで連続5期村長を務めた。石碑建立は昭和3年、大作氏は村長に就任し小西村の教育の振興に石碑を建立し寄与したいと教育者時代に親交があった教育者として名声を誇り尊敬する秋山好古に揮毫を依頼した。
これに応えた好古が揮毫した碑文が凄い
「衆心和暢化乃(しゅうしんわちょうかだいせい)」
その意味は、「皆の心がのびのびしていれば、やがて必ず教化(教育)は成就する」とい
うものである。
好古揮毫石碑の中で碑文が漢詩はこの石碑のみである。
教育者好古を垣間見ることが出来る。・・好古は凄い。
今治市大西町小山にある薬師堂境内に建立されている秋山好古揮毫石碑
昨日雨中の取材。
最近建立された好古揮毫石碑の説明版。・・雨の中傘をさして片手で撮影したため手ブレ状態。