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新伊予松山紀行 伊豫13佛霊場めぐり 第11番 高音寺

2013年02月16日 | 伊予松山歴史散策
伊予十三佛めぐり4日目は1月29日、午前9時50分自宅を自転車で出発。第11番霊場高音寺に向かった。始めて行く寺である。場所は、松山市高木町279番地にある。
慈眼山 高音寺と称し、本尊は、阿閦如来、初めて聴く如来さんである。

寺伝によると、永正3年(1506)7月23日、それまで100年にも渡った伊予国守護・河野一族内の内乱状態の当事者である河野惣領家の河野通宣(湯築城主)と河野予州家の河野通篤(新居郡高外木城主)の二人が争いに終止符をうつべく和議を結んだ寺として知られている。

このような寺の由来から、「縁結び・夫婦和合の寺」としてしられるようになったもので、別名「和睦寺」とも呼ばれる。
本尊の阿閦如来」、の「阿閦、あしゅく」とは、「無道」「不動」を意味し、菩提心が固く動かない、また怒りのために心を動かされることが無いと言う二つの意味を持ち、衆生に降りかかる諸々の悪魔外道を打ち破り、不動の菩提心と息災延命を司り、また、仏教えを求める心を起こしてくれると伝わる。

阿閦如来については、奈良時代、仏教の庇護者として知られる聖武天皇の后、光明皇后が、自ら建立した法華滅罪寺の浴室で千人の民の汚れを自ら拭うと言う願を立てた際、満願の千人目となった人物は、皮膚から膿を流したハンセン病患者であった。皇后が患者の求めに応じて膿を口で吸いだしたところ、患者は阿閦如来と化したと言う伝説が残る。

帰り際に、住職に会い少しお話をした。境内には七福神が置かれており、毘沙門天の刀が折れていた。子供達が境内でサッカーボールを蹴り遊び、その時ボールが当たり折れたとの由。「しょうがないな」と言っていた。地元愛媛県今治市菊間町の瓦鬼師に造ってもらったそうだ。入口の掲示板には住職の説教が書かれていた。

では、次の霊場第3番太山寺に移動する。


入口にある「真言宗智山派 慈眼山 高音寺」の寺号碑。


高音寺の本殿。


本殿に掲げられている「伊予13分佛第11番高音寺」のお札。


大師堂。


境内はこんな感じ。


境内には沢山の記念碑が建立してある。


その中に「道後湯築城遺構発掘記念碑」があった。


画像は、暦応元年(1338年)室町幕府が開かれた頃に、伊予守護、河野通盛が築城した湯築城跡。
現在国指定史蹟公園「湯築城跡」で一部復元された武家屋敷建物。以前はここに愛媛県立道後動物園があった。


湯築城跡資料館にある「湯築城の模型」。日本100名城第80番指定。


刀が折られた毘沙門天。


境内口に住職が書かれた言葉が掲示してあった。
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