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道後温泉が人気の温泉地ランキング全国4位に選ばれました

2021年01月10日 | 新たに発見好古揮毫石碑 魚沼市で

令和3年1月4日、朝のNHKニュースを聞いていますと!!

大手旅行予約サイトが調査した「もう一度行ってみたい」と思う温泉地に松山市の道後温泉が3年連続で全国4位に選ばれましたと朗報がながれました。

たかが4位されど4位です。

なお、

第1位は、箱根温泉

第2位は、草津温泉

第3位は、登別温泉です。

愛媛新聞は、令和2年12月11日付で報道されていました。

道後温泉は、現在「大規模な保存修理工事期間中」ですが評価をいただき、大変うれしいと関係者は話しています。・・と報道されました。

島国四国の田舎町である道後温泉を選んでいただいた、温泉大好きの旅人さん達有難うございます。

新型コロナが蔓延の折、明るい朗報が報じられ私も嬉しい気持ちで一杯です。

松山市もコロナ感染者が広まっていますが、各自が自覚してかからない・うつさないを気持ちに持って毎日厳しく生活していかなければなりません。

少しでも医療関係者の皆さんの現場の軽減を少なくするためにも気をつけましょう。

保存修理工事使用の大屋根をつける前の道後温泉本館です。

道後温泉本館は、毎年12月暮に一日休館をし、道後温泉職員・同旅館組合・同商店街関係者が相集まり大掃除をします。観光地道後温泉の風物詩になっています。

道後温泉に観光に来られた方々は大掃除の風景を写真に撮られ翌日綺麗になった道後温泉の入浴を楽しまれます。

普段見ることが出来ない男性の浴場です。
(男性浴槽は二ヶ所ありますが工事中のため一ヶ所のみ)

毎年大掃除の時見学会が開催されます。(人数制限で)

普段見ることが出来ない女性の浴場です。

霊之湯の男性浴場です。

NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」で秋山眞之を演じる本木雅弘さん、と父秋山久敬を演じる伊藤四郎さん二人の道後温泉の入浴場面はこの霊之湯で撮影されました。

公衆浴場としては全国で初めて、平成6年12月27日国指定の重要文化財に指定されました。

現在大規模な保存修理工事期間中なので画像のような道後温泉本館を見る事は出来ませんが、工事が完了すれば元の姿を見ることが出来ますので暫くお待ち下さい。

保存修理工事期完了予定は、令和6年末です。

本館の塔屋に赤いガラスが印象的な太鼓楼「振鷺閣」があります。

ここには太鼓が設置されており、一日3回太鼓が打たれます。

午前6時に6回、正午に12回、午後6時に6回職員が太鼓を叩きます。

環境省指定の「残したい“日本の音風景100選」の一つです。

特に、午前6時の時太鼓は、湯が湧きましたこれから開館しますの合図の太鼓でもあります。

道後温泉本館正面玄関ですが、現在は保存修理工事期間中なので閉鎖されています。

現在の入り口は、元の入り口二之湯口から入館しております。

明治27年現在の道後温泉本館は建て替えられ、同28年東京大学を卒業した夏目漱石が松山中学の英語教師として赴任します。

漱石は、校長先生よりも高い給料をもらい、毎日軽便鉄道(坊っちゃん列車)に乗り道後温泉に入浴し、帰りに更科団子(坊っちゃん団子)を食べて下宿先に帰っていた。

小説・坊っちゃんの主人公である坊っちゃんが軽便鉄道に乗ったことから、坊っちゃん列車と呼ばれるようになった。

画像は、本館3階西の端にある部屋で、漱石が使った部屋「漱石の部屋」として一般公開されていますが現在は工事中で閉鎖してます。

夏目漱石が道後温泉入浴のため乗車した軽便鉄道(坊っちゃん列車)で現在市内電車の軌道を2系統の坊っちゃん列車が営業運転しています。

なお漱石の下宿先は、三越松山店の南側に在り、現在は跡地に記念石碑が建立されている。

下宿先を漱石は「愚陀佛庵」と呼んでいた。

日本三古泉の一つ道後温泉に新たに創られた道後温泉別館湯屋「飛鳥乃湯泉」で、平成29年9月26日開館しました。

道後温泉本館は、改築後127年になり、何時発生してもおかしくないと言われている南海地震に対して松山市は、現在耐震補強工事を実施しています。

平成29年に開催された愛媛国体、「第72回国民体育大会(平成29年9月30日~10月10日)、第17回全国障害者スポーツ大会(平成29年10月28日~10月30日)」時に全国から多くの皆さんがお越しになりその混雑を緩和することと、国体終了後から耐震補強工事を実施し、道後温泉本館耐震補強工事の代わりの道後温泉別館湯屋として「飛鳥乃湯泉」が平成29年9月26日開館しました。

道後温泉は聖徳太子がお越しになられたとの事で、飛鳥乃湯と命名し湯屋塔には法隆寺の夢殿をあしらった塔が造られその上に道後温泉のシンボルである白鷺が置かれています。

参考事項

日本三古湯とは、日本で古くからの歴史がある温泉のことで、日本三古湯には2つの選ばれ方がある。いずれも長い歴史を有し、神話の時代から続くとされる温泉地です。
1,日本書紀、風土記などに登場することに基づいた三古湯。
  道後温泉(愛媛県)、有馬温泉(兵庫県)、白浜温泉(和歌山県)の3湯です。

2,延喜式神名帳に基づく三古湯は
  道後温泉(愛媛県)、有馬温泉(兵庫県)、いわき湯本温泉(福島県)の3湯です。

飛鳥乃湯の中庭に復元建立された「聖徳太子の碑」。

聖徳太子道後温泉碑
記念碑の現物は亡失して無いが、『伊予風土記』逸文には、推古4年(596年)聖徳太子(厩戸皇子)と思われる人物が伊予(現在の愛媛県)の道後温泉に高麗の僧・慧慈と大和の豪族葛城臣なる人物を伴って赴き、その時湯岡の側にこの旅を記念して「碑」を建て、その碑文が記されていたとされている。

その原文は

「法興六年十月 歳在丙辰 我法王大王与慧慈法師及葛城臣 道遙夷予村正観神井 歎世妙験 欲叙意 聊作碑文一首  惟夫 日月照於上而不私 神井出於下無不給 万機所以妙応 百姓所以潜扇 若乃照給無偏私 何異干(天の誤りか)寿国 随華台而開合 沐神井而?(癒)疹 ?(言巨)舛于落花池而化弱 窺望山岳之巌?(愕) 反冀子平之能往 椿樹相?(蔭)而穹窿実想五百之張蓋臨朝啼鳥而戯?(峠の山が口) 何暁乱音之聒耳 丹花巻葉而映照 玉菓弥葩以垂井 経過其下 可以優遊 豈悟洪灌霄霄庭 意与才拙実慚七歩 後之君子 幸無蚩咲也」(「法隆寺ハンドブック」より)

飛鳥乃湯の中庭に復元建立された「聖徳太子の碑」の説明板で、聖徳太子の碑の横に設置してあります。

 

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