平成23年6月11日、新潟県魚沼市の石碑の取材を終え神田氏の車で上越新幹線、浦佐駅まで送って頂き上野に出た。
翌日、習志野市大久保薬師寺三橋住職から連絡を頂いていた秋山好古揮毫の石碑が三つ折れ、その石碑が千葉県鎌ケ谷市の道野辺神社境内に置かれておる事を伺っていた。神社の住職は再建立をされると聞いていたので私からも早い時期に再建立して頂きたくお願いに伺った。伺うにあたり事前に書面で伺う日をお知らせして伺った。
この石碑は、千葉県八千代市がある調査をしていた時偶然に発見したそうで、碑文の読み、意味、石碑発見と経緯は、八千代市立郷土博物館 主任学芸員佐藤氏から情報を得ていた。
それは下記の通りであります。
揮毫した秋山好古の当時の階級は、陸軍少将 正五位勲二等で好古は、日露戦争で名誉な戦死をした、騎兵隊員、織戸騎兵伍長の勇士を讃え最高の意を漢詩で表現し書き上げた。(全国で4番目に古い石碑)
揮毫は、当初石碑にする予定でなかったが、後に家族の思いが募り石碑として屋敷に建立したそうだ。
22年前、織戸家はある事情で石碑を撤去し道野辺八幡神社に預けた経緯がある石碑である。
平成23年6月13日、再建立のお願いに同神社を訪問し宮司さんにお目に掛かり強く再建立に付いてお願いした。
宮司さんは、石碑再建立をすべき石工さんに石碑に穴を開け鉄柱を入れ込む工法を相談するも石質がもろく適用出来ず、思案していたところステンレス製の枠を造りそれに入れ込む工法で再建立する事を考案、必ず再建立いたします・・とお約束を頂いた。
除幕式も行う予定で居りますのでその時には連絡しますとも言って頂いた。・・
・そして石碑の傍に説明版を設置して後世に伝えていきたいと宮司は付け加えた。私は必ず取材に伺いますので宜しくお願いしますとお伝えした。
そして宮司さんにお願いし石碑の写真を撮らせて頂いた。
丁度、NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲・第三部」が12月から放映される、時でそれまでに再建立をお願いしたいものだ。・・と思いながら神社を後にした。
しかし再建立をお願いし、確かに再建立し除幕式まで行うとお約束して頂いたのに未だ再建立はされてない。何か重大な事が発覚し再建立が出来ないのか不思議である。神に仕える神職が約束を果たせないとは情けないものだと私は今以て考えている。
習志野市大久保商店街の関係者の皆さんが、神社に建立されないのなら習志野市大久保の地に再建立するから石碑をお譲り願いたく申し出たが、折角縁あって当神社が預かったのでお断りしますと断られたそうです。
画像は、平成23年6月13日、宮司の了解を得て撮影しました。

画像は、在りし日の騎兵隊員、織戸騎兵伍長の勇士を称えた石碑。
織戸家は、後世に伝えるために家族が建立された。
揮毫した秋山好古当時の階級は、陸軍少将 正五位勲二等で好古は、日露戦争で名誉な戦死をした、騎兵隊員、織戸騎兵伍長の勇士を讃え最高の意を漢詩で表現し書き上げた。
揮毫されたものは、当初石碑にする予定でなかったが、後に家族の思いが募り石碑として屋敷に建立したそうだ。
22年前、織戸家はある事情で家屋敷を処分、石碑を撤去して道野辺八幡神社に預けた経緯がある石碑である。
画像提供、三橋正文氏。

騎兵隊員、織戸騎兵伍長の勇士を称えた石碑を預かっている千葉県鎌ケ谷市にある道野辺八幡宮神社で立派な社で境内も広く立派な神社であった。

神社駐車場で、周囲は鬱蒼と樹々が繁っているこの奥に石碑は三つに折れて置かれていた。この日は雨天で宮司に石碑の置かれている場所に案内してもらい撮影した。

鬱蒼と樹々の中で三つに折れた石碑は置かれていた。
速く日の当たる場所に出し建立してあげて欲しい。

石碑は薄くそして石は柔らかい組織なので穴をあける事が困難だそうです。

石碑は長さが約1,8mで厚さは薄く三分割されて境内に眠っていて碑文は下にしているため見えない。
出来るだけ早く日の目の当たる場所に再建立して頂きたい。

石碑の上部の様に見えた。

この画像は、習志野市大久保商店街の関係者の皆さんが、神社に建立されないのなら習志野市大久保の地に再建立するから石碑をお譲り願いたく申し出たが、折角縁あって当神社が預かったのでお断りしますと断られたそうです。その時に撮影された画像。漢詩の一部が見える。
画像提供、三橋正文氏

この画像は、習志野市大久保商店街の関係者の皆さんが、神社に建立されないのなら習志野市大久保の地に再建立するから石碑をお譲り願いに行かれた時の画像。大久保商店街理事長、三橋秀紀氏提供。

石碑に書かれている秋山好古の字が見える。
画像提供、三橋正文氏

道野辺神社は画像の様に境内は広大。

道野辺八幡神社の由緒説明板で、此処にも書かれているように鎌ケ谷市を代表する大きな神社である。一つの石碑を建立する位何ともない事だと外から見ると考えるが。

八千代市立郷土博物館 主任学芸員、佐藤氏から頂いた情報を得ていた騎兵隊
員、織戸騎兵伍長の勇士を称えた石碑の資料。
翌日、習志野市大久保薬師寺三橋住職から連絡を頂いていた秋山好古揮毫の石碑が三つ折れ、その石碑が千葉県鎌ケ谷市の道野辺神社境内に置かれておる事を伺っていた。神社の住職は再建立をされると聞いていたので私からも早い時期に再建立して頂きたくお願いに伺った。伺うにあたり事前に書面で伺う日をお知らせして伺った。
この石碑は、千葉県八千代市がある調査をしていた時偶然に発見したそうで、碑文の読み、意味、石碑発見と経緯は、八千代市立郷土博物館 主任学芸員佐藤氏から情報を得ていた。
それは下記の通りであります。
揮毫した秋山好古の当時の階級は、陸軍少将 正五位勲二等で好古は、日露戦争で名誉な戦死をした、騎兵隊員、織戸騎兵伍長の勇士を讃え最高の意を漢詩で表現し書き上げた。(全国で4番目に古い石碑)
揮毫は、当初石碑にする予定でなかったが、後に家族の思いが募り石碑として屋敷に建立したそうだ。
22年前、織戸家はある事情で石碑を撤去し道野辺八幡神社に預けた経緯がある石碑である。
平成23年6月13日、再建立のお願いに同神社を訪問し宮司さんにお目に掛かり強く再建立に付いてお願いした。
宮司さんは、石碑再建立をすべき石工さんに石碑に穴を開け鉄柱を入れ込む工法を相談するも石質がもろく適用出来ず、思案していたところステンレス製の枠を造りそれに入れ込む工法で再建立する事を考案、必ず再建立いたします・・とお約束を頂いた。
除幕式も行う予定で居りますのでその時には連絡しますとも言って頂いた。・・
・そして石碑の傍に説明版を設置して後世に伝えていきたいと宮司は付け加えた。私は必ず取材に伺いますので宜しくお願いしますとお伝えした。
そして宮司さんにお願いし石碑の写真を撮らせて頂いた。
丁度、NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲・第三部」が12月から放映される、時でそれまでに再建立をお願いしたいものだ。・・と思いながら神社を後にした。
しかし再建立をお願いし、確かに再建立し除幕式まで行うとお約束して頂いたのに未だ再建立はされてない。何か重大な事が発覚し再建立が出来ないのか不思議である。神に仕える神職が約束を果たせないとは情けないものだと私は今以て考えている。
習志野市大久保商店街の関係者の皆さんが、神社に建立されないのなら習志野市大久保の地に再建立するから石碑をお譲り願いたく申し出たが、折角縁あって当神社が預かったのでお断りしますと断られたそうです。
画像は、平成23年6月13日、宮司の了解を得て撮影しました。

画像は、在りし日の騎兵隊員、織戸騎兵伍長の勇士を称えた石碑。
織戸家は、後世に伝えるために家族が建立された。
揮毫した秋山好古当時の階級は、陸軍少将 正五位勲二等で好古は、日露戦争で名誉な戦死をした、騎兵隊員、織戸騎兵伍長の勇士を讃え最高の意を漢詩で表現し書き上げた。
揮毫されたものは、当初石碑にする予定でなかったが、後に家族の思いが募り石碑として屋敷に建立したそうだ。
22年前、織戸家はある事情で家屋敷を処分、石碑を撤去して道野辺八幡神社に預けた経緯がある石碑である。
画像提供、三橋正文氏。

騎兵隊員、織戸騎兵伍長の勇士を称えた石碑を預かっている千葉県鎌ケ谷市にある道野辺八幡宮神社で立派な社で境内も広く立派な神社であった。

神社駐車場で、周囲は鬱蒼と樹々が繁っているこの奥に石碑は三つに折れて置かれていた。この日は雨天で宮司に石碑の置かれている場所に案内してもらい撮影した。

鬱蒼と樹々の中で三つに折れた石碑は置かれていた。
速く日の当たる場所に出し建立してあげて欲しい。

石碑は薄くそして石は柔らかい組織なので穴をあける事が困難だそうです。

石碑は長さが約1,8mで厚さは薄く三分割されて境内に眠っていて碑文は下にしているため見えない。
出来るだけ早く日の目の当たる場所に再建立して頂きたい。

石碑の上部の様に見えた。

この画像は、習志野市大久保商店街の関係者の皆さんが、神社に建立されないのなら習志野市大久保の地に再建立するから石碑をお譲り願いたく申し出たが、折角縁あって当神社が預かったのでお断りしますと断られたそうです。その時に撮影された画像。漢詩の一部が見える。
画像提供、三橋正文氏

この画像は、習志野市大久保商店街の関係者の皆さんが、神社に建立されないのなら習志野市大久保の地に再建立するから石碑をお譲り願いに行かれた時の画像。大久保商店街理事長、三橋秀紀氏提供。

石碑に書かれている秋山好古の字が見える。
画像提供、三橋正文氏

道野辺神社は画像の様に境内は広大。

道野辺八幡神社の由緒説明板で、此処にも書かれているように鎌ケ谷市を代表する大きな神社である。一つの石碑を建立する位何ともない事だと外から見ると考えるが。

八千代市立郷土博物館 主任学芸員、佐藤氏から頂いた情報を得ていた騎兵隊
員、織戸騎兵伍長の勇士を称えた石碑の資料。
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