
伊予松山藩歴代藩主の家系を見る 17 松平勝成(第15代藩主)
第14代藩主定昭も子宝に恵まれず、久松松平家系の旗本松平松実の3男を養子として迎え、久松松平家第16代当主になる。(16代から久松姓に帰る)
第15代藩主松平勝成は第13代勝成なので此処では省略する。
伊予松山藩、第13代藩主と第15代藩主を務めた松平勝成は、明治45年81歳で逝去する。
従四位上 左近衛少将 隠岐守
そして第14代藩主で松山藩知事を務めた、松平定昭は、明治5年(1872)28歳の若さで逝去した。
従四位下 左近衛少将 式部大輔 伊予守
画像は、松山城本壇仕切門で、ニノ門を過ぎて、天守米蔵下を北に進み、更に西に折れるとこの門に達する。
脇戸付高麗門で、南は天守米蔵石垣にかかり北の脇戸柱には仕切門内塀が取り合う。上部に格子が付けられている。
建造時期は、嘉永期の再建で、第12代藩主松平勝善の建造である。
昭和10年5月13日国宝に指定されたが、昭和25年5月、文化財保護法の制定により重要文化財に指定された。
第14代藩主定昭も子宝に恵まれず、久松松平家系の旗本松平松実の3男を養子として迎え、久松松平家第16代当主になる。(16代から久松姓に帰る)
第15代藩主松平勝成は第13代勝成なので此処では省略する。
伊予松山藩、第13代藩主と第15代藩主を務めた松平勝成は、明治45年81歳で逝去する。
従四位上 左近衛少将 隠岐守
そして第14代藩主で松山藩知事を務めた、松平定昭は、明治5年(1872)28歳の若さで逝去した。
従四位下 左近衛少将 式部大輔 伊予守
画像は、松山城本壇仕切門で、ニノ門を過ぎて、天守米蔵下を北に進み、更に西に折れるとこの門に達する。
脇戸付高麗門で、南は天守米蔵石垣にかかり北の脇戸柱には仕切門内塀が取り合う。上部に格子が付けられている。
建造時期は、嘉永期の再建で、第12代藩主松平勝善の建造である。
昭和10年5月13日国宝に指定されたが、昭和25年5月、文化財保護法の制定により重要文化財に指定された。
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