松山市の天然記念物「十六日桜」
松山市指定の天然記念物「十六日桜・イザヨイザクラ」
指定は、昭和45年5月18日
所在は、松山市御幸一丁目 吉平屋敷跡「桜ヶ谷・ロシア人墓地の近く」と、松山市御幸一丁目267番地 天徳寺にある。
開花は、例年2月15日頃で旧正月の16日頃、別名孝子桜と言われる。
その由縁は、桜を見たいと願う病父のため孝子吉平が桜に祈ったところ、旧正月16日に花が咲いた。この奇蹟により老父は長寿を得たという伝説がある。
桜は吉平跡屋敷にあったが、昭和20年7月26日の松山大空襲の戦災で焼け、現在は天徳寺(松山市御幸一丁目267番地)から株分けされた桜が、桜ヶ谷にある「吉平邸跡の碑・松山市幸一丁目桜ヶ谷」のそばにある。
また、天徳寺には現在親桜のほか株分けした2本の桜がある。
16日桜は、山桜の変異種であると松山市は説明している。
芽は赤く、花は白色、花弁は5枚ある。
この桜は、特に小泉八雲が孝子桜として英文で世界に紹介したことでしられている由緒ある桜である。
最近清水小学校と勝山中学校の児童生徒がこの桜の手入れを行い保存に努力している。
めづらしや 梅の蕾に 初桜・・・子規
市指定天然記念物「イザヨイザクラ」のこと。
今年の冬季は松山市も厳寒であったため開花が遅れていたが今日(3月15日)現地に行ってみると6分咲きであった。
龍穏寺(りょうおんじ・松山市御幸一丁目541番地)にも16日桜があるが開花時期が違い品種も違うのではないかと私の素人考えである。この桜は松山市指定の天然記念物になってない。

松山市指定天然記念物「十六日桜」全体像・・吉平屋敷跡
今年は厳寒であったため例年よりも開花が遅れた

芽は赤く、花は白色、花弁は5枚ある・・ヤマザクラの変異種と松山市は説明している

染井吉野桜と違った桜で、孝子息子「吉平」の親思いが浮かんでくる

3月11日(金)に起きた、東北・関東地区太平洋沖巨大地震・津波において多くの方が犠牲となり、甚大なる被害をもたらしました この災害により被害を受けられた方々に、心からお見舞い申し上げます
私個人として出来る事はほんの小さな事しか出来ませんが心ばかりの義援金を送らせて頂きます・・寒さ厳しき中そして福島原発の事故等大変ですが、くれぐれも御身お守り下さい・・ご無事をお祈りいたします・・早期の復興、回復を桜を通して祈願した

逆光で撮ってみた・・まだ枝の場所によると沢山の蕾がある

吉平邸跡の碑で、明治39年1月建立と記載してあり、この前に16日桜を植栽してある

天徳寺(松山市御幸一丁目267番地)境内奥にある16日桜の親桜

天徳寺の2本目の16日桜

天徳寺の山門まえにある3本目の16日桜で、今日住職に伺うと「ここに度々親桜から株分けし植栽しても大きく成長出来ず、また枯れたりして巧く生育出来ないと住職は語った」・・何故か理由は分からないと

龍穏寺(りょうおんじ・松山市御幸一丁目541番地)境内にある16日桜
ここの桜は近年開花が早く新暦の1月16日頃に咲くそうだ・・吉平屋敷跡・天徳寺の16日桜と素人考えだけどどうも品種が異なるようだ

龍穏寺境内に建立してある16日桜を詠んだ短詩型文
松山市指定の天然記念物「十六日桜・イザヨイザクラ」
指定は、昭和45年5月18日
所在は、松山市御幸一丁目 吉平屋敷跡「桜ヶ谷・ロシア人墓地の近く」と、松山市御幸一丁目267番地 天徳寺にある。
開花は、例年2月15日頃で旧正月の16日頃、別名孝子桜と言われる。
その由縁は、桜を見たいと願う病父のため孝子吉平が桜に祈ったところ、旧正月16日に花が咲いた。この奇蹟により老父は長寿を得たという伝説がある。
桜は吉平跡屋敷にあったが、昭和20年7月26日の松山大空襲の戦災で焼け、現在は天徳寺(松山市御幸一丁目267番地)から株分けされた桜が、桜ヶ谷にある「吉平邸跡の碑・松山市幸一丁目桜ヶ谷」のそばにある。
また、天徳寺には現在親桜のほか株分けした2本の桜がある。
16日桜は、山桜の変異種であると松山市は説明している。
芽は赤く、花は白色、花弁は5枚ある。
この桜は、特に小泉八雲が孝子桜として英文で世界に紹介したことでしられている由緒ある桜である。
最近清水小学校と勝山中学校の児童生徒がこの桜の手入れを行い保存に努力している。
めづらしや 梅の蕾に 初桜・・・子規
市指定天然記念物「イザヨイザクラ」のこと。
今年の冬季は松山市も厳寒であったため開花が遅れていたが今日(3月15日)現地に行ってみると6分咲きであった。
龍穏寺(りょうおんじ・松山市御幸一丁目541番地)にも16日桜があるが開花時期が違い品種も違うのではないかと私の素人考えである。この桜は松山市指定の天然記念物になってない。

松山市指定天然記念物「十六日桜」全体像・・吉平屋敷跡
今年は厳寒であったため例年よりも開花が遅れた

芽は赤く、花は白色、花弁は5枚ある・・ヤマザクラの変異種と松山市は説明している

染井吉野桜と違った桜で、孝子息子「吉平」の親思いが浮かんでくる

3月11日(金)に起きた、東北・関東地区太平洋沖巨大地震・津波において多くの方が犠牲となり、甚大なる被害をもたらしました この災害により被害を受けられた方々に、心からお見舞い申し上げます
私個人として出来る事はほんの小さな事しか出来ませんが心ばかりの義援金を送らせて頂きます・・寒さ厳しき中そして福島原発の事故等大変ですが、くれぐれも御身お守り下さい・・ご無事をお祈りいたします・・早期の復興、回復を桜を通して祈願した

逆光で撮ってみた・・まだ枝の場所によると沢山の蕾がある

吉平邸跡の碑で、明治39年1月建立と記載してあり、この前に16日桜を植栽してある

天徳寺(松山市御幸一丁目267番地)境内奥にある16日桜の親桜

天徳寺の2本目の16日桜

天徳寺の山門まえにある3本目の16日桜で、今日住職に伺うと「ここに度々親桜から株分けし植栽しても大きく成長出来ず、また枯れたりして巧く生育出来ないと住職は語った」・・何故か理由は分からないと

龍穏寺(りょうおんじ・松山市御幸一丁目541番地)境内にある16日桜
ここの桜は近年開花が早く新暦の1月16日頃に咲くそうだ・・吉平屋敷跡・天徳寺の16日桜と素人考えだけどどうも品種が異なるようだ

龍穏寺境内に建立してある16日桜を詠んだ短詩型文
福島県伊達市に住むあぶQ・太郎と申します。
愛媛のネットフレンドから紹介されましたのでお尋ねいたしました。
あまりにも素晴らしいホームページなので感動いたしております。
また、お邪魔させていただきますので今後ともよろしくお願い申し上げます。
73CUAGN
ホームページの16日桜のことを読みました。
吉平屋敷跡のところの石碑は確かに立派ですが、その西側に並んでいる石碑のほうが25年ほど古くて味があります。風化が著しくて何が書いてあるか不明ですが、どっしりとした風格を感じます。松山市教育委員会編集の「俳句の里」という20年ほど前の本にも紹介されています。