EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

私の散歩道春夏秋冬 彼岸花

2024年10月13日 | 新たに発見好古揮毫石碑 魚沼市で

今年の7月11日、少し熱があるのと、咳が出て体調が異常なので近所の内科医院で診察して頂きました。念の為コロナの検査をしますとの事で検査をすると陽性で、コロナに感染していました。抗ウイルス薬(ラゲプリオカプセル)5日分・咳止め・解熱剤を調剤してくれました。

コロナの症状は治まったのですが咳が止まらなく7月23日再度診察をいたし咳止めのお薬を調剤シテ頂き服用し服用後11日目に咳も止まり回復しました。

しかし、コロナの副作用か?倦怠感・疲労感・関節痛・足の筋力低下・集中力の低下・等々でコロナ感染前までは毎日40分ウオーキングをして足の筋力低下防止に努めていましたがコロナに感染しそして今年の夏は高温多湿でウオーキング等出来る状態ではなかったので外出もせず家に閉じこもっていました。

10月になってから少し涼しくなったのでウオーキングを始めましたがメッキリ足が弱っていました。昨日から心して足の筋力回復に努力しようと歩き始めました

今日、(10月13日)私の散歩道に咲く、彼岸花の写真を撮って来ましたので見て下さい。

散歩道に沿って川附川がありその堤防に彼岸花が咲いています。

今年は高温の為か咲く時期が遅れています。

今週が見頃です。

白色の彼岸花も咲いていました。

彼岸花の中に画像の花が咲いていました。私は植物には疎いので花の名前は分かりません。

雑草は元気で高温多湿の現況にも負けずに、元気よく送電線の電柱に付設している倒壊防止の支線に絡みつき異様な景色でした。除去しないと送電に支障を来すかも??

川附川とその堤防で画像上が上流です。左岸の細い道路を散歩者は歩きます。殆ど車は通りません。右岸は道幅が広いので車が多く通ります。

画像の橋は、しんせい橋で手前に国道33号線に掛かる天山橋があります。

しんせい橋の直ぐ側に伊丹十三記念館があります。

散歩道は、国道33号線の歩道に繋がっています。

天山橋手前から見た国道33号線で、松山市街方向です。

散歩道は、国道33号線で終点になり私はここで折り返します。

我が家から往復して40分です。

国道33号線上に松山城天守が見えます。天山橋から撮影。

我が家の近くに福祉センターがあり、施設を利用する方々が介護士さんに付き添われて散歩道を、ある人は歩行訓練をまた気分転換に出ておられます。

散歩道には、染井吉野桜もあり春には施設の皆さん介護士さんに連れられてお花見もされます。画像は昨年撮影です。

画像は、川附川と散歩道で左側は天山です。そこに6本の染井吉野桜が植樹されています。

なお、天山は、日本書紀や古事記に出てくる有名な山で、伊予風土記に記載されている事項には「天上にあった山が二つに分かれて落ち、その一つが奈良県の天香久山、そしてもう一つが伊予の天山になったと言われる山で、奈良県の天香久山と姉妹の山です。

大和三山=天香久山・畝傍山・耳成山で

伊予天山三山=天山・土亀山・星岡山と言われ隣接する東山を合わせて天山四山とも呼ばれている。

天山の位置関係を示しておきます。

画像は、上が北方向で、下が南方向です。私が散歩をするコースは、画像に天山がありますが、天山の南面麓に細い道がありますその道を歩いております。染井吉野桜も、天山の南面麓に植樹されています。

画像、星岡山は鎌倉時代の末期、幕府方と朝廷側による王政復古の戦いが起こった。此の戦いが全国に波及して鎌倉幕府は滅亡、畿内では楠木正成、新田義貞が宮方軍として奮戦した湊川の戦いが有名。

星岡山は、鎌倉幕府滅亡のきっかけとなった古戦場跡である。(伊予国でも幕府方と宮方に分かれて激しい戦いが行われた。河野一族の土居通増と得能通綱は宮方として戦った。)

参考に:(伊予天山三山の標高は=天山・51m・土亀山・50m・星岡山・75m)。

土亀山のことも少し記述しておこう。伊予天山三山の中で一番小さな山です。此処には松山市福音寺町川附地区の墓地があり、墓地の一角に旧帝国陸軍第1師団長 第11代 目 仙波太郎 陸軍中将の墓所がある。

そして、正岡子規が読んだ句碑がある、句は、明治25年、冬の終わりに正岡子規が詠んだ「凩に はひつくばるや 土亀山」だが、この時子規は東京大学の学生で松山には居なかった。上京する前にこの地区を吟行した時を思い出して詠んだのではなかろうか?

句碑は、平成30年4月13日、建立された松山市内で子規の句碑としては一番新しい碑である。

天香久山は奈良県橿原市南浦町にあり、天山は、松山市天山町に所在します。

南浦町と天山町とは、姉妹町提携を結び交流をしており、天山山頂にある、天山神社拝殿右側には交流20周年記念の石碑が建立されています。

 

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