Dr. 讃井の集中治療のススメ

集中治療+αの話題をつれづれに

経験の重さ

2012-10-02 00:31:51 | その他

若い人と一緒に麻酔科専門医試験の口頭試問シミュレーションを行ってきました、という話は前回しました。

昨日はとうとうその筆記試験の日でした。

一緒に頑張ってきた先生の一人は、今朝会ったときに「全然自信がない」と暗い顔をしていました。試験が終わった瞬間に「できなかった」と思う試験ほど結果が良いという経験則(自分だけ?)があります。大丈夫です。

口頭や実技は引き続き今週末です。是非全員そろって祝杯を上げたいものです。

 

口頭試問シミュレーションの間に、またまた気づいたことがあります。経験の重さ、です。


自分で経験していない分野はやはり苦手意識が消えない

実際に見たことがある、やったことがあるのは、大きなアドバンテージです。どんなに紙やコンピューター画面上で学んでも、経験には勝てない。それに、なぜかわかりませんが体験は人間の記憶に残りやすい。

はじめての1人当直で、以前経験した症例が来たら、まずはその経験をなぞった診療を行うと思います。口頭試問でも、自分の経験した症例に照らして考えることができれば自信を持って答えられます。多くの人の思考回路は、何か判断が必要な状況で、まず経験の引き出しに答えを探ることから始まるのではないでしょうか。どんなに紙の上で知っていても経験していないと自分自身の気持ち、発言がグラグラしてしまう(ちなみに、海外の臨床研修の第一の利点が、この経験値を日本にいるより遥かに効率よく上げることができることです)。

 

経験のある人の意見はいつどんなときでも尊重される

経験が重視されるのは個人内ばかりではなく、個人間でも成り立ちます。実際に見たことがある人の意見は尊重されますし、経験も多いほど良い、と考えてよいのでしょう。上記のように経験していない人には負い目がありますので、経験のある人の発言に対して最初から戦いを放棄してしまう場面も少なくありません。

その道一筋の方の発言の重み、みなさんも感じるはずです。

 

経験は若いうちの方がやりやすい(のは否定できない)

有名なことわざを出すまでもなく、大昔から“若いうちに経験することの重要性”が強調されてきました。上記のように、経験によって個人内で自信が形成され、対人関係でも有用である。だから、苦労は買ってでもしろ、それも若いうちに、というわけです。

また、普通は年を取るに連れて新しいことへの挑戦が億劫になります。人間は、どんな大きさのものであれ成功体験が好きな動物で、その結果、その成功体験を真似して、ルーチーンが形作られる。すると“いつもと同じ”心地よさに感覚が麻痺してきますので、よほどの大きな壁にぶち当たって困らない限り、そのルーチーンを止めようとしない。

ちなみに、年取ると新しいことができない、というのは年寄りの単なる言い訳じゃないか、と思ってきました。成功を捨て去れ、と叫ぶユニクロの柳井さんのように(in 「一勝九敗」 柳井正)、いつまでもそう思い続けたいと思います。

 

経験の弊害

しかし、経験には大きな弊害もあります。自分の経験に対する解釈、一般化の過程にはどうしてもバイアスが入りますし、経験の数は所詮大したことはないからです。自分の経験を語る場合には、一般化できるか、他の病院ではどうなのか、他の国ではどうなのか、という比較基準を意識することが必要です。数万の患者さんの善意のもとに作れた臨床研究データを見て、自分のたった数~数百例の成功を捨て去る勇気、達観が求められる場面も少なくありません。

人に経験を語られる場合にも、自分の国、自分の病院、自分の患者に適応できるか考えながら聞く必要があるでしょう。たった一例の経験を、あたかも数千例の経験を語るがごとくに語る語り手もいます。でも通常の嗅覚を持っていれば、バイアスに満ちた独善的な語り口は結構簡単に見破りやすいものですが。

 

教育における経験の役割

若いうちに積極的に経験を積んで欲しいと思います。もちろんさきほど述べたように、年寄りにもその教えが当てはまりますが、ひとつだけ言い訳をさせてもらうと、年を取るに連れて興味の対象がシフトするので、若い頃に重要だったことをあんまり重要と思わなくなる。端的に言えば“飽き”ですが、これは避けられないのではないかと思います。

だから、若いうちにそのとき重要と思われる経験をたくさん経験して、年取った時に今度は、若い人に自分の拙い経験を開陳してそれを役立ててもらう、というサイクルがいいのかもしれません。若い人は、年寄りの取り繕いを嘲笑うかのごとくに見透かしているので、飽くまでさりげなく、です。

自分のもとに集ってくれた人には、まずは経験をたくさん積んでいただき、世界中どこに出しても恥ずかしくない、腕も立つ、口も立つ人になってくれたら、と願いますし、そういう環境を作らないといけません。