Dr. 讃井の集中治療のススメ

集中治療+αの話題をつれづれに

モニター学のススメ

2021-04-19 09:52:50 | 集中治療

毎年、当センター集中治療部に新しく入職する若いドクターに贈っている言葉を以下、掲載しておきます。

前提として、集中治療は

急性期重症患者の総合診療

です。僕らがプロの集中治療医として生きていける専門性は、他のどの科の先生よりも重症患者の診療に関して知っていて、うまくて、他職種、他科ドクターからどんな質問にも答えられないとなりません。

また、学問としての集中治療医学は

急性期重症患者の全身管理学

と考えられます。学問としての集中治療医学は、「全身を臓器系統別に分けて考えて、どのような管理を行えば患者が良くなるか」を研究することが主流の学問です。血糖をどの程度に管理すれば患者の予後が良くなるか?、酸素投与は是か非か?、人工呼吸の方法は?、腎代替療法はいつ、どのように?などまさに「全身管理学」と言えるでしょう。どちらかと言えば、診断学の部分は小さい。

では、私がモニターを積極的に使いましょう、駆使しましょう、と提案する背景を説明します。

1。病態の解明、研究発案の手段としてのモニター学
「全身管理学」の一つの主要な分野に「モニター学」があると思います。

病態をより深く、正確に解明しようという動きは医学の大きな柱ですが、集中治療医学で敗血症、ARDSなどの病態の解明が大きな研究テーマである事からわかるように、集中治療医学でも病態の解明が大きなウェイトを占めています。

モニターの存在意義は、病態の解明にある。呼吸や循環を代表とする生理学に根ざした病態の解明ツールの一つの手段としてモニターが存在します。病態の本質にできるだけ近づくために、モニターは一つの重要なツールなのです。

また、医学は医療の発展のためにあり、実践されなければ机上の空論と化します。逆に医療から医学へのフィードバック、例えば臨床的疑問が研究発案につながらなければ医学の発展はありえない。学問としての集中治療医学を医療にフィードバックし、医療から医学へフィードバックする必要がある。

すなわち「学問としてのモニター学」を机上で学んで臨床で実践し、その結果をまた、自分が勉強したモニター学と照らし合わせる。これを繰り返して病態の本質に近づく努力をする。これが「臨床モニター学」の真髄と言えます。そして、このプロセスで自然に臨床的疑問が生じるはずですから、これをリサーチクエスチョンに昇華させることで、自分自身の研究を生み出すこともできる。「研究対象としてのモニター学」です。


2。我々の専門性を発揮するためのモニター
我々は、専門内科医、総合診療医、ERドクター、麻酔科医、外科系医などのバックグラウンドを持っています。それぞれの専門とする診療が交わったところに重症患者診療という括りができ、集中治療はその括りに存在する。我々が集中治療医と呼ばれるには、典型的な専門内科医、総合診療医、ERドクター、麻酔科医、外科系医とは異なる、”重症患者診療が誰よりも上手くて、詳しい”という専門性を持たなければならないのです。

重症患者の診療・管理を行う上で、集中治療医は、一般的な病棟医よりもより、適切な介入という正解に、早く無駄なく辿り着かないとならない。病棟と同じように、基本的な病歴と理学所見と心電図とパルスオキシメーターの数値から、頭の中で色々な仮定を行なった上で(あるいは何も考えずに1対1対応で短絡的に)、血圧が下がれば輸液と昇圧剤、心臓が動かなければ・脈が遅ければ強心薬を選択することは、僕ら集中治療医でなくてもできます。先生たちが、一般的な病棟医と同じ、多くの仮定や教科書的知識や1対1対応短絡思考に基づいた診療スタイルでICU患者を管理するのであれば、それは自らの存在意義を脅かす危険な考え方・やり方だと思います。

僕らは、このような現象と最終的に行う介入の「間」にある本質に迫るべき存在です。すなわち、モニターを駆使して、血圧低下という現象と輸液や昇圧剤などの治療介入の間、あるいは収縮力低下や徐脈という現象と強心薬という治療介入の間にある「本質としてこの患者に何が起こっているか」を見極めようと務めなければならないのです。この本質は、生理学・病態学と言い換えてもよく、通常は複数の因子が多層・多重に絡んで構成されている。

僕が毎朝、先生たちの、この「間」に対する考察が見えないプレゼンにツッコミを入れて、説得力・論拠を求める理由はここにあります。


3。経験からしか得られないものがある
経験してだんだんわかってくることがあります。あるプロブレムに遭遇した時に正答に到達するスピードは、おそらくみなさんより僕の方が早いと思います。裏を返せば経験しないとわからないことが結構ある。モニターも同じで、たくさん入れてじっくり観察してはじめてわかることがあるのです。これを馬鹿にしてはいけません。手技の話を以前にしたことがありますが、その手技の経験がありますよ、と他人に言えるのは30例、それについて「自分の経験では」と評価を述べることができるようになるには100例が目安です。もちろん、僕が臨床的センスと呼んでいるもの、すなわち日々のドクター間・他職種との会話、患者やモニターから得られる情報、読んだり見たり聞く情報に対する感受性の高低で、その必要十分数は変わるでしょう。

何れにしてもモニターも経験がものを言うのです。だから厭わずに、面倒がらずに、入れないとならない。

繰り返しますが、ここは外来でもないし病棟でもありません。ICUであることを忘れないように。真の臨床集中治療医、集中治療医学の研究者を目指して下さい。そのファーストステップは、コンピューターのキーボード打つ時間を最小限に、ベッドサイドで患者、モニター、呼吸器、そのほかの機器を観察し、いじる時間を増やすことから始まります



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