1 平成23年(行ケ)第10445号 審決取消請求事件
2 本件は、無効審判不成立審決の取消を求めるものです。
3 本件の争点は、実施可能要件違反の有無及び容易想到性の成否です。
3-1 実施可能要件違反の有無
本判決は、「特許制度は,発明を公開する代償として,一定期間発明者に当該発明の実施につき独占的な権利を付与するものであるから,明細書には,当該発明の技術的内容を一般に開示する内容を記載しなければならない。平成8年6月12日法律第68号による改正前の特許法36条4項が実施可能要件を定める趣旨は,明細書の発明の詳細な説明に,当業者がその実施をすることができる程度に発明の構成等が記載されていない場合には,発明が公開されていないことに帰し,発明者に対して特許法の規定する独占的権利を付与する前提を欠くことになるからであると解される」と述べ、さらに、「物の発明における発明の実施とは,その物の生産,使用等をする行為をいうから(特許法2条3項1号),物の発明について上記の実施可能要件を充足するためには,明細書にその物を製造する方法についての具体的な記載が必要であるが,そのような記載がなくても明細書及び図面の記載並びに出願当時の技術常識に基づき当業者がその物を製造することができるのであれば,上記の実施可能要件を満たすということができる」と一般論を述べた上、「方法2は,前記1(3)ア(イ)のとおり,補助溶剤を含む水中にアトルバスタチンを懸濁するというごく一般的な結晶化方法であるものの,補助溶剤としてメタノール等を例示し,その含有率が特に好ましくは約5ないし15v/ v%であることを特定するのみであり,結晶化に対して一般的に影響を及ぼすpH, スラリー濃度,温度,その他の添加物などの諸因子について具体的な特定を欠くものであるから,これらの諸因子の設定状況によっては,本件明細書において概括的に記載されている方法2に含まれる方法であっても,結晶性形態Ⅰが得られない場合がある」と認定した上、「結晶化に対して特に強く影響を及ぼすpHやスラリー濃度を含め,温度,その他の添加物などの諸因子が一切特定されていない方法2の記載をもってしては,本件明細書及び図面の記載並びに出願当時の技術常識を併せ考慮しても,当業者が過度な負担なしに具体的な条件を決定し,結晶性形態Ⅰを得ることができるものということはできない」と判断しました。
また、被告の「①当業者であれば,撹拌により懸濁状態を維持するのに適した程度のスラリー濃度を採用することに何ら困難はなく,本件実験における懸濁物中の約15%の試料量も常識的な選択である,②方法2において,補助溶剤を使用しないこと自体は,本件明細書に記載された範囲内であるし,好ましい条件であるメタノール濃度(5~15%)において,より短時間で確実に結晶性形態Ⅰが得られることも確認されている,③方法2において,撹拌温度は明示的に特定されていないが,温度の規定がなければ,室温付近で行うのが技術常識である,④ 本件明細書の実施例では,種晶を加えても17時間の撹拌が必要であったから,種晶を加えない場合,その数倍程度の時間が必要であると予測することは合理的であるなど」の主張に対し、「スラリー濃度は,結晶化の実現に関する重要な因子である以上, 物の発明において,当該物の製造方法を開示するに当たり,具体的に記載される必要がある事項というべきところ,方法2については,補助溶剤の種類と好ましい濃度程度しか記載されていないのであるから,当該記載から,結晶性形態Ⅰが得られるスラリー濃度(例えば,本件実験の設定である試料約10g,溶媒56m. )を当業者が見いだすことは困難であるというほかない。 しかも,方法2において具体的な条件として記載されている補助溶剤の種類と好ましい濃度についても,被告の依頼により行われた本件実験(甲16)においては, 補助溶剤を用いずに実験が行われているものである。確かに,方法2において,補助溶剤を用いなくてもよいとされていることは,被告が主張するとおりであるが, 好ましい条件であるメタノール濃度において,より短時間で確実に結晶性形態Ⅰが得られることが確認されているのであれば,方法2が具体的に開示した好ましい条件に基づくことなく,本件実験が行われたことは不合理であるというほかない。 さらに,本件審決は,方法2に対応する前記1(3)エ(イ)の方法Bにおいて,撹拌温度が約40℃とされていることから,方法2においても,室温又はその前後において行われたものと理解されるとするが,約40℃という温度について,これを「室温又はその前後」と理解することは困難である。本件実験においても,室温とのみ記載され,具体的な撹拌温度が明示されていないから,当業者が,撹拌の要否すら特定していない本件明細書の方法2に係る記載をもって,そのほかの諸因子との相関関係において決定されるべき最適な撹拌温度を過度の負担なしに設定することができるものということはできない」ことに加え、「結晶化に要する撹拌時間は,pH,スラリー濃度,温度,その他の添加物などの諸因子によって異なるものであるから,本件明細書に特定の条件下における撹拌時間が開示されていたとしても,当業者が方法2における撹拌時間を合理的に予測することができるとまでいうことはできない」と判断しました。
3-2 容易想到性の成否
3-2-1 結晶化について
本判決は、「引用例における「再結晶」の用語が,「再沈殿」又は「再析出」の誤用であると認めることはできず,引用例に記載された発明において得られたアトルバスタチンが結晶形態であると認定しなかった本件審決の認定は誤りである」と認定した上、相違点に係る判断の誤りについて、「本件優先日当時,一般に,医薬化合物については,安定性,純度,扱いやすさ等の観点において結晶性の物質が優れていること」を認定した上、「非結晶性の物質を結晶化することについては強い動機付けがあり,結晶化条件を検討したり結晶多形を調べることは,当業者がごく普通に行うことであるものと認められる」と述べ、「引用例には,アトルバスタチンを結晶化したことが記載されているから,引用例に開示されたアトルバスタチンの結晶について,当業者が結晶化条件を検討したり,得られた結晶について分析することには,十分な動機付けを認めることができる」と判断しました。
また、本判決は、被告の「結晶を取得しようとする一般的な意味での動機付けは, 具体的な結晶多形に係る発明に想到するための動機付けとは異なるのであって,およそ医薬において結晶の使用が好ましいことに基づいて動機付けを判断すると,結晶多形に係る特許は成立する余地はない」との主張に対し,「結晶を取得しようとする動機付けに基づいて結晶化条件を検討し, 結晶多形を調査することにより,具体的な結晶多形に想到し得るものであるから, 具体的な結晶多形を想定した動機付けまでもが常に必要となるものではない」と判断しました。
3-2-2 水を含む系による再結晶化の示唆について
本判決は、「医薬品固体を得るための手法に係る総説的な文献(甲65。なお,同文献は,本件優先日(平成7年7月17日)と同月に発行された刊行物であるが,医薬品に関する総説的な文献であり,本件優先日当時の技術常識を把握する証拠として, 採用することができるものというべきである。)には,医薬品製造の各段階又は原薬や製剤の貯蔵の際,原薬の多形及び水和物が用いられる可能性があるから,これらの形態の存在について,原薬を調べるのが得策であること,水和物形成の機会を最大化するために溶媒-水混合物を含むべきであること,ごく少数の例外はあるが, 市販された結晶性薬物製品に含有される構造的溶媒は水であることが記載されている」ことに加え、「医薬化合物の水和物に関する総説的な文献(甲76。平成7年1月発行) には,製造開発の間に,物理的,化学的な安定性,バイオアベイラビリティ及び加工に影響する相転移の問題を回避できるように,医薬水和物を特徴づけることの重要性が強調されており,その結果,剤形の開発の間において,検討中の固体が水和物を形成するか否かを調べ,もしそうであれば,薬物の異なる疑似多形が熱力学的に安定である温度及び水分活性の条件を決定することが必須であること,種々の極性を持つ溶媒から結晶化することにより,物質が溶媒和物として存在するか否かを検証することができること,溶媒の極性を変化させる代わりに,水と適当な有機溶媒との混合物を用いて,溶媒媒体の水分活性を変化させることができることが記載されている」と認定し、さらに、「医薬に関するそのほかの文献(甲77~86)においても,水に溶解し難い物質を含む種々の医薬化合物が水を含む溶媒への懸濁等を経て水和物として結晶化されたことが記載されている」と述べた上、「本件優先日前から,医薬化合物の結晶として水和物結晶が望まれており,非結晶の物質について,水を含む系から水和物として結晶させることを試みることは,当業者にとって通常なし得ることであったというべきである」と判断し、さらに、「結晶性形態Iを得るために本件明細書が開示した方法(前記1(3)ア)は, 水性溶媒中での懸濁物ないし湿潤ケーキを養生するというものであって,当業者が通常採用しないような手法を用いているものではなく,特殊な条件設定が必要であるというものでもないから,本件発明に係る結晶性形態Iは,当業者が通常なし得る範囲の試行錯誤で得られた結果物である水和物結晶にすぎないものというべきである」と判断しました。
また、被告の「水を含む系による再結晶化の事例が存在するとしても,本件発明の特定の結晶形態を取得することが直ちに容易になるわけではない」などとの主張に対し,「本件明細書が開示した方法は,実施可能要件を充足するか否かはともかくとして,特殊な手法であるとはいえない以上,当業者が通常なし得る範囲の試行錯誤内において当該方法と同様の方法を試み,結晶性形態Ⅰを得ることができるものというべきである」と判断しました。
5 動機付けの存在を肯定する理由について詳細に検討したものとして参考になると思われます。
以上
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