知的財産研究室

弁護士高橋淳のブロクです。最高裁HPに掲載される最新判例等の知財に関する話題を取り上げます。

表現とアイディアの区別

2011-01-13 15:02:49 | 著作権
一般に、著作権法においては表現は保護されるが、アイデアは保護されないとされる(田村・概説15頁)。これに対して、「翻案を二次的著作物として保護した限度で(翻案物自体のことではなく、翻案物に原著作権者の権利が及んでいること)著作権法の保護範囲は表現を超えてアイデアまで及んでいるというべきである。翻案という概念を導入した限度で著作権の保護範囲である「表現」は極めて曖昧なものになってしまった」との指摘がある(三山・詳解76頁)。
この点につき、中平判事による牧野=飯村「新・裁判実務大系」[中平]336頁以下は、「翻案の要件は大きく分けると、原著作物への依拠と、原著作物との類似性に分けられる」とした上で、類似性に関して以下のようは判断手法を提示する。まず、著作物の内容を以下の4つに分ける。第1は、必ずしも特定の表現とは結びつかず、いかようにも表現し得る抽象的なアイデア(「アイデア(①)」)であり、これが上位に存在するとされる。第2に、その下位に、アイデアが具体化して、具体的で創作的な特徴を備えるある一定範囲の表現と結びつく思想、感情がある(「思想・感情(②)」)とし、第3に、その下位に具体的記述があり(「具体的記述(③)」)、第4に、さらにその下位に具体的な用語、修辞(④)がある(「」))とする。具体的記述(③)と用語、修辞(④)の区別については、「例えば、「日本」を「我が国」と言い換えたりするように、同義語に置き換えるような場合は、用語、修辞(④)の用語のみが相違すると考えられよう。」とされる。
これをにまとめると以下のとおりである。
 
レベル 内容 著作権法上の位置づけ
レベル1 必ずしも特定の表現とは結びつかず、いかようにも表現し得る抽象的なアイデア 保護されない
レベル2 アイデアが具体化して、具体的で創作的な特徴を備えるある一定範囲の表現と結びつく思想、感情 翻案権の対象として保護される
レベル3 具体的記述 複製権の対象として保護される
レベル4 具体的な用語、修辞 複製権の対象として保護される


さらに、中平判事は、このように著作物の内容を分析した上で、「原著作物における創作性を具備した思想、感情(②)を残しつつ、具体的記述(③)、用語・修辞(④)を変え、更に新たに、具体的で創作的表現と結びつく思想、感情(②)を付加する(それに伴って、具体的記述(③)、用語、修辞(④)が付加、変更等される。)などして、全体として新たな創作性を取得する場合」が翻案であり、「具体的記述(③)、用語、修辞(④)を同じものを作成する場合」、「原著作物における創作性を具備した思想、感情(②)を残しつつ、具体的記述(③)、用語・修辞(④)を変えたが、新たな創作性を得ることができなかった場合」が複製であるとする。すなわち、中平判事の見解は、「著作権法においてはアイデアは保護しない」とのテーゼを維持しつつも、具体的表現よりも抽象的なレベルのモノ(中平判事によれば、「具体的で創作的な特徴を備えるある一定範囲の表現と結びつく思想、感情」)を想定することにより、翻案が著作法上の規制対象となることを巧みに説明するものであり、示唆に富む。
また、このように解することは、翻案の要件である類似性を主張立証する方法についても有益な示唆を与える。すなわち、言語の著作物を例にとると、まず、先行著作物と後行著作物に関して、具体的記述(③)、用語、修辞(④)が同一の部分を上下段に示して対比表を作成することが必要である。具体的記述(③)、用語、修辞(④)が一致する部分が創作性を有していれば、かかる一致点において複製権の侵害が肯定できる。これに対して、具体的記述(③)、用語、修辞(④)が一致しない場合には、具体的記述(③)、用語、修辞(④)の裏にある思想・感情(②)が同一であるかを立証することになる。その方法としては、例えば、「一方では、著作物のテーマ、構成、登場人物の設定など、抽象的な面から具体的な面に向けて、当該著作物の成り立ちを分析し、対比していき、他方では、具体的記述(③)・用語・修辞(④)の一致、類似を手がかりに、具体的な表現の方向から、その裏側にある思想、感情(②)に迫り、このような抽象的な方面からの分析と、具体的な方面からの分析を総合して、具体的で創作的な特徴を備えるある一定範囲の表現と結びつく思想、感情(②)を明らかにし、そのような思想、感情(②)において、原告著作物と被告作品が共通性を有する」(前掲・中平339頁)ことを立証することが考えられる。
なお、かかる見解については、前記の江差追分事件最高裁判決が、翻案の意義について「表現」を強調した言い回しになっている点との整合性について疑問が生じるが、この点については、前掲・中平338頁以下に説明がなされている。
また、表現とアイデアの区別に関連して、大河ドラマ「武蔵 MUSAHI」の第1回放映(以下、その脚本を「被告脚本」という)が映画「七人の侍」の脚本(以下「原告脚本」という)についての著作権(翻案権)等の侵害及び映画「七人の侍」についての著作者人格権の侵害が問題となった事例がある(東京地判平成16年10月7日最高裁HP)。本判決において、原告らは、①村人が侍を雇って野武士と戦うというストーリー、②戦場や村に漂う霧及び豪雨の中の合戦の表現などの点において、原告脚本と被告脚本とが類似しており、これらの類似点が組み合わされることにより、原告脚本全体が想起されることとなり、被告脚本が原告脚本の模倣作品と評価されるなどと主張した。これに対し、同判決は、原告の主張する個別の類似点(例えば、「怪しい者を取り押さえたところ、胸に手が触れて女であることに気づく」、「腕前を試された侍が、あらかじめ攻撃の気配を察し、言葉でこれを制する」、「雇われた侍によって一度は野武士が撃退され、野武士と侍との間の最後の決戦は雨の中で行われる」についてはアイデアが共通するにすぎないなどの理由から、被告脚本から原告脚本の表現上の本質的な特徴を直接感得することはできず、被告脚本は原告脚本の翻案ではない判示した。さらに、原告らが、「原告脚本の本質的特徴は、①村人が侍を雇って野武士と戦うというストーリー、②別紙対比目録1(ただし、6及び11を除く)記載の各場面、③登場人物の人物設定、④戦場や村に漂う霧及び豪雨の中の合戦の表現という各要素を有機的に統合して完成した全体にあるところ、被告脚本の読者は、これを被告脚本から直接感得することができる」として、著作権(翻案権)及び著作者人格権(氏名表示権および同一性保持権)侵害を主張したのに対し、「たしかに、ある著作物(原告著作物)におけるいくつかの点が他の著作物(被告著作物)においても共通して見受けられる場合、その各共通点がそれ自体はアイデアにとどまる場合であっても、これらのアイデアの組み合わせがストーリー展開の上で重要な役割を担っており、これらのアイデアの組み合わせが共通することにより、被告著作物を見るものが、原告著作物の表現上の本質的な特徴を感得するようなときには、被告著作物が全体として原告著作物の表現条の本質的な特徴を感得させるものとして原告著作物の翻案と認められることもあり得るというべきである。そこで本件についてみるに、たしかに原告脚本と被告脚本は、村人が侍を雇って野武士と戦うという点においてストーリーに共通点が見られ、また、別紙対比目録1(ただし、6及び11を除く)記載の各場面において、アイデアにとどまるものではあるが、共通点が見られ、登場人物の設定の点でも、内山半兵衛(被告脚本)と島田勘兵衛(原告脚本)の間、追松(被告脚本)と久蔵(原告脚本)の間に一定の共通点が見られる。しかしながら、既に前記イ、ウにおいて検討したとおり、別紙対比目録(ただし6及び11は除く)記載の各場面については、原告脚本との間でストーリー全体の中での位置づけが異なる上、具体的な描写も異なるものであり、また、人物設定の点もストーリーのなかでの当該人物の役割やその性格づけに着目すれば類似するものとは認められない。そして、原告脚本においては、原告らの挙げる上記の各場面のほかに多くのエピソードが描かれており、島田勘兵衛及び久蔵のほかに多くの個性的な人物が登場するものであり、そこでは、七人の侍について各人の個性が見事なまでに描き切られており、作品全体を通じて、侍たちの義侠心と村人に対する暖かい視線、野武士との戦いを通じて形成される侍たち相互そして侍たちと村人との間の心の触れあいと連帯感、一見非力な農民のしたたかさ・力強さ等のテーマが、人間に対する深い洞察力に裏打ちされた豊かな表現力をもって、見るものに強烈に訴えかけられているものである。これに対して、被告脚本においては、主人公武蔵が歴戦の武芸者から薫陶を受けるとともに主の自己の強さを自覚する契機として野盗との戦闘場面が設定されているにすぎない。原告脚本と被告脚本との間に上記のようなアイデア・設定の共通点が存在するといっても、原告映画をして映画史に残る金字塔たらしめた、上記のような原告脚本の高邁な人間的テーマや豊かな表現による高い芸術的要素については、被告脚本からはうかがえない。上記によれば、原告らが原告脚本と被告脚本との類似点としてあげる各点を総合的に考慮して、原告脚本と被告脚本を全体的に比較しても、原告脚本の表現条の本質的な特徴を被告脚本から感得することはできないから、被告脚本をもって原告脚本の翻案ということはできない。」と判示した。
なお、同判決の控訴審においては、控訴人ら(原告ら)は、「対象となる原著作物が著作名である場合には、その翻案との類否の判断は容易であり、全体的な対比を行わなくても、一つ二つの特徴的な場面を抜き出しただけでも、一般人は両者を類似であると判断することができること、被控訴人らは自らの作品(被控訴人原作小節という著名な作品の翻案)の一部に「七人の侍」のストーリー及び象徴的な場面を一種の劇中劇のような形で取り込み、はめ込んだもの(はめ込み型模倣)であって、従来の手法による対比は有効でないこと、翻案者にとっては、「七人の侍」のように対象となる原著作物が著名である場合には、何をどの程度避ければ盗作といわれないかについて明白な予想ができることなどを理由に挙げ、それが無名の著作物である場合と比べて翻案との類似度が低くても、「感得」の用件が満たされると判断すべき」と主張したが、東京高裁は、「著作権法の保護を受ける著作物とは、「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」(著作権法2条1項1号)であり、それが著名であるか否かによって、その保護に差異があるということはできない。そして、「翻案」(著作権法27条)とは、前述のように、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接するものが既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することができる別の著作物を創作する行為をいうところ、著作物の表現条の本質的な特徴を直接感得するものであるか否かも、対象となる原著作物が著名であるか否かによって差異があるということはできないから、控訴人らの上記主張も採用することができない。」と判示した。

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