Teddy Bear’s Diary

自作のテディベアの写真で、絵本を読んでいくようなページをつくりたい

たんぽぽ

2012-04-20 | テディベア

くーたん、たんぽぽの咲く野原へようこそ。

 

わ~、ほんとに、たんぽぽがいっぱい。

 

たんぽぽのお花、だ~いすき。

 

くーたん、なに、持ってるの?

 

うふふ、今、見つけた四つ葉のクローバーだよ。

 

黄色いたんぽぽ、

 

白いお花のたんぽぽ、

 

星の瞳(オオイヌノフグリ)も咲いてるよ。

 

ねえ、ぼくの新しいお靴、見てくれた?
母さんが北方民族博物館で見つけて買ってきてくれたの、1枚の革でできてるんだ。

 

今年になって見つけた四つ葉と五つ葉のクローバー、右側のが、このたび、くーたんが見つけたものです。

北方民族博物館6-6

2012-04-19 | テディベア

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1枚目から3枚目まで文様やシンボルをアップリケや刺繍で飾った大きな布、4枚目・5枚目は身の回りの装身具など、6枚目からは併設されている情報普及室です。
情報普及室には、北方民族に関する書籍や絵本も揃っていて、自由に利用できるようになっています。
貸し出しもできるようになっていて、離れている広島でも3週間で郵送で返送すればOKと言ってくださって、うれしかったです。
この日は「ミニチュアで見る世界の台所事情」の企画展をしていましたが割愛して、北方民族博物館シリーズは今日で終わります。
明日からしばらくほかの記事になって、その後また北海道の続きをアップの予定です。

北方民族博物館6-5

2012-04-18 | テディベア

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2枚目の写真は、ワタリガラスをモチーフにしたクワキウトルのハマツァの仮面、3枚目からの写真は、ウイルタ族のシャマンの儀式に使う衣装や礼冠、お守り、木偶です。
ウイルタ族は少数民族の中でもとりわけ少数の民族ですが、網走にふたりが移住されていたとかで、泊まったホテルで「オホーツク語り部の会」の方から、そのおひとりと親しくしていらしたお話を聞くことができました、後日アップします。

展示品には次のような説明がありました。
ウイルタ族はサハリン南部が主な居住域。現在の人口は約300人といわれる。
かつてはトナカイ飼育をしながら、夏はアウンダウとよばれるテントで、冬はカウラとよばれる樹皮葺きの小屋に住み、狩猟採集漁撈の生活をしていた。
昭和初期、サハリン南部のウイルタは敷香(現ホロナイスタ)郊外のオタスの杜とよばれる場所へ集住していた。
ウイルタはトナカイを飼育する人の意味。

北方民族博物館6-3

2012-04-16 | テディベア
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

住の展示はイヌイトの竪穴住居が原寸大で復元展示されていました。
北方民族の主な生計は、トナカイ飼育、海獣狩猟で、それらに役立つ道具、身の回りの生活用具などが工夫をこらして作られています。
ゆりかごやお人形などのおもちゃを見ていると、厳しい自然の中で、子どもたちが大事に育てられていたことがよくわかりました。

北方民族博物館6-2

2012-04-15 | テディベア

 

 

 

 

 

         

 

 

 

 

 

人間の営みにとって大切な衣食住、展示は「衣」からはじまっていました。
トナカイやアザラシの毛皮で作った上着や樹皮で作ったものは見たことがありましたが、魚皮や腸で作られたものははじめて見ました。
4枚目の写真が腸製衣、ていねいな継ぎ目の縫い方に工夫がこらされています、5枚目の帽子はクジラのひげで編んであります。
ビーズや刺繍も見事で、ゆたかな文化が感じられました。

北方民族博物館6-1

2012-04-14 | テディベア

3月22日、広島空港から羽田空港経由で女満別空港に着いたのが午後2時だったので、ホテルにチェックインする前に、タクシーで網走の北海道立北方民族博物館に行くことにしました。

 

リーフレットの表紙にもなっているシャマンの仮面(イヌイト)ですが、総合案内のパンフレットには次のように書かれています。
「アンガコク」とよばれるイヌイトのシャマンは、自分の経験した超自然的な世界をあらわした仮面をもっている。仮面の彫刻は、先端の小さな顔が人間の世界、真ん中のフクロウの顔が動物の世界、下の人間の形をした動物が超自然的な世界をあらわしている。仮面はシャマン自身の手でほられる。

 

北海道立北方民族博物館は雪の中に建っていました。

 

まるで、異世界へと誘ってくれるような扉です。

 

扉を開けると、大きなマンモスと学芸員の方がイヌイトのヨウヨウを見事に操って歓迎してくださいました。
私たちも挑戦しましたが、うまくいきませんでした。

 

マンモスって大きいです。

         

時間と空間を越えてきた資料が北の文化を話しはじめる。

 

さあ、その世界へ足を踏み入れてみましょう。

 

北方民族の視点で見る地球です。

 

グリーンランドから北欧まで、アイヌ文化をふくめた北方民族の文化とオホーツク文化を紹介するわが国唯一の博物館だけあって、その密度の濃さはすばらしいものでした。
写真撮影OKだったので、撮りためた写真を6回シリーズで紹介します。



 

 

先ほど、ポストを覗きに玄関のドアを開けると、庭のチューリップがひらいていました。
家の前にあるご近所の桜もちょうど満開でした。
気持ちのよいぽかぽかのお天気です。
13:25追記

オホーツク流氷館

2012-04-13 | テディベア

雪景色のなかの白樺、

  

清々しく凛と空に枝を伸ばしていました。

 

「オホーツク流氷館」にやってきました。

 

館内に入ると、

 

オホーツク文化を考える展示になっていました。

 

流氷の上で見られる生き物たちの写真、流氷の上のアザラシを見てきただけに、オジロワシに出会えたらもっとうれしかったなと贅沢なことを考えたりしてしまいました。

 

今年の流氷を集めてある部屋の温度はマイナス17度、それほどの寒さでもなく、流氷の上の剥製のキツネやアザラシと写真を撮ったり、入口で渡された濡れタオルをぐるぐる回してカチカチの棒のようにする実験をしました。

 

水槽で飼われているフウセンウオ、オホーツクの海に住んでいるそうです。
マイナス17度から出てくると暑くて、ソフトクリームを食べました。

 

網走国定公園の天都山にあり、展望台も併設されているので、上ると、

 

遠くオホーツクの海まで見晴らすことができました。

うれしいご報告
昨日、すのさんに紹介していただいて、春の絵はがきを100部、「福島の子どもたちとともに・世田谷の会」のお世話をしてくださっている「人の泉・オープンスペース”Be!”」に送りました。
世田谷の会では春休みに福島の子どもたちを3月24日~28日の4泊5日と3月30日~4月5日の6泊7日の日程で招きました。
夏休み、冬休みも続けるとのことで、そのときにやってくる子どもたちに配ってもらうことになりました。
すのさん、世田谷の会のみなさん、ありがとうございました。
春の絵はがき500部はこれで全部なくなりました。
冬の絵はがき1,000部は後日友だちに手伝ってもらってセットを組み、11月にお送りできればと思っています。

博物館網走監獄

2012-04-12 | テディベア

回数は少ないのですが、網走市内の文化施設を巡るバスが運行されています。
オーロラ号を下船して「オホーツク流氷館」へ行くつもりでしたが、バスの時間と道順を考えて、先に「博物館網走監獄」に行くことになりました。

 

バスを降りて、網走川にかかる鏡橋を渡ると、一面の雪景色、

 

チケットを買って、中に入ります。

 

雪の中に立つ建物は教誨堂です。

 

博物館の中に入ると、中央見張りを中心に、

 

5棟の舎房が放射状に広がる五翼放射状平屋舎房、明治45年に建てられ、昭和59年まで使われていたそうです。

 

向かい合う房と逆に斜めに格子が組まれた斜め格子やくの字格子で互いの中が見えないように作られています。

 

明治23年、過酷な中央道路開削作業のため、人口631人の網走に囚人1,200名と看守173名が送り込まれました。
5.4m幅の道路を通常の4倍のスピードで完成させることを求められ、巧妙な組織管理の下、長時間労働、夏場の長雨と栄養失調による水腫病(脚気)の大量発生、原始林を切り拓く危険な作業の連続、冬の厳しい寒さなどが彼らの命を脅かし、平均で工事区間700mに1人の割合で犠牲者を出すという悲惨な結果を生みました。
228km
網走から旭川中央道路全距離。そのうち網走外役所の担当は北見峠までの163km。
約8ヶ月
網走外役所が担当した163km開削の完成までの期間。
1,115人
網走から北見峠までの開削工事に出役した囚人の人数。網走外役所に送られた囚人のうちほとんどがこの過酷な工事に携わった。
211人
網走から北見峠までの開削工事で死亡した囚人の人数。

 

時折吹雪きましたが、各施設を廻ることができました。

 

気温はマイナス3度、それほど寒くはなく、バスの時間をみて、次の「オホーツク流氷館」に向かいました。

博物館のパンフレットより
網走刑務所は日本一有名な刑務所です。人々が抱いているイメージは凶悪犯の集まる最果ての刑務所、それは網走番外地の映画の大ヒットによるものです。
しかし、130年前、樺戸集治監をはじめ、北海道開拓のために多くの囚人が送られ、その開拓労働の犠牲が網走監獄を日本一有名な刑務所にしたという事実を知る人は少ないのです。
博物館網走監獄は北海道行刑という明治の黎明期に忽然と現れ、その役目を終え、消え去った行刑の歴史と彼らが暮らした証である行刑建築物を文化財として保存公開し、体感歴史館とともに語り継いでいくことを理念とする博物館です。 

はぐれ流氷

2012-04-11 | テディベア

3月23日午前9時半発(第1回目)のオーロラ号に乗ることにしました。
朝のホテルの情報では、はぐれ流氷が見えるかもしれないとのことでしたが、乗船前には「今日は流氷はありません」のアナウンスがありました。

 

オホーツク海、教科書ではじめて目にしてから憧れていた海の名前、その海の上に出るだけでもしあわせと「オーロラ号」に乗り込みます。
2階の特別席がプラス400円で、広いフロアが貸しきり状態でした。

 

岸壁の大きな雪だるまが見送ってくれて、出航です。

 

しばらくすると、海面が不透明にざらついてきて、小さな白い塊が見えてきました。  

 

流氷帯が風で運ばれ、散り散りになった流氷を「はぐれ流氷」というそうです。

 

海面はこんな状態、

 

すこし大きなものも見えてきました。

  

流氷だけではなく、海面も、

 

海面下も美しく神秘的、見とれていると、  

 

「左の氷の上にアザラシがいます」のアナウンス、

 

わ~、いる、いる~。

 

急いでカメラを望遠にして、顔の表情もとらえることができました。

 

オーロラ号の水槽にいたクリオネ、小さいのにすいすいとすばやい泳ぎで、ぶれた写真になってしまいました。

例年だとオーロラ号の出航は終わっていたのですが、今年は3月31日まで運行することになっており、泊まったホテルで朝の8時にオーロラ号のその日の試験運行の結果をチェックすることもできて、ラッキーでした。
おまけに「今日の流氷はありません」のアナウンスだったのに、はぐれ流氷を見て、行き帰りに2度もアザラシを見ることができて大満足、野生のアザラシをはじめて見たので感激しました。
何日か前にオーロラ号に乗った方は全く流氷のかけらも見えなかったとのことで、運がよかったようです。
船内ではほかほかの網走牛100%の肉まんが売られていて、なかよく分けて食べました。

3月22日から25日まで3泊4日で出かけた北海道、旅行の日程は前後しますが、またしばらくシリーズで紹介します。