1stDayスペシャルで、「ゲド戦記」を見た。
宮崎Jr.が監督で、スタジオジブリの制作。
1000円で見られるのでなかったら、見に行かなかっただろう。
これまでの、宮崎父監督のようなグロテスクなキャラクターは登場しないが、クモ(田中裕子・声)が唯一液状に変化(へんげ)するところで、若干引継いでいる。
原作の日本語訳は随分長期に亘って行われ、それなりに人気のある作品らしいが、私はこのアニメ作品の予告編で初めて知った。
1stDayスペシャルで、午後9:45分からという仕事を済ませて駆け付けることのできる時間帯ではあったが、場内はガラガラ。
私は6列目の中央(後ろが通路)に席を取ったが、この6列の全体に私一人という状況で、言わば一人で劇場を独占している雰囲気だった。
通路より後ろもせいぜい数十人という入りで、全体の2~3割程度の入りであった。
やはり、聴衆は宮崎Jr.が親の七光りで制作したものと割り切っているようである。
出演“者”のキャラクターは同じ顔ぶれで、変化に乏しく、面白くなかった。
手塚治虫が確立した「キャラクターキャスト方式」のつもりではあろうが・・・
背景の群集や植物や市場の商品などが、動きのない固定した絵であり、手抜きは免れない。
宮崎父が絶妙の質感をあらわしていた水や空気の流れが、全くお粗末であった。
宮崎Jr.の初監督作品は駄作の大失敗といえるであろう。
宮崎Jr.が監督で、スタジオジブリの制作。
1000円で見られるのでなかったら、見に行かなかっただろう。
これまでの、宮崎父監督のようなグロテスクなキャラクターは登場しないが、クモ(田中裕子・声)が唯一液状に変化(へんげ)するところで、若干引継いでいる。
原作の日本語訳は随分長期に亘って行われ、それなりに人気のある作品らしいが、私はこのアニメ作品の予告編で初めて知った。
1stDayスペシャルで、午後9:45分からという仕事を済ませて駆け付けることのできる時間帯ではあったが、場内はガラガラ。
私は6列目の中央(後ろが通路)に席を取ったが、この6列の全体に私一人という状況で、言わば一人で劇場を独占している雰囲気だった。
通路より後ろもせいぜい数十人という入りで、全体の2~3割程度の入りであった。
やはり、聴衆は宮崎Jr.が親の七光りで制作したものと割り切っているようである。
出演“者”のキャラクターは同じ顔ぶれで、変化に乏しく、面白くなかった。
手塚治虫が確立した「キャラクターキャスト方式」のつもりではあろうが・・・
背景の群集や植物や市場の商品などが、動きのない固定した絵であり、手抜きは免れない。
宮崎父が絶妙の質感をあらわしていた水や空気の流れが、全くお粗末であった。
宮崎Jr.の初監督作品は駄作の大失敗といえるであろう。
実は私は原作のファンで全巻持っております。ジブリのアニメも嫌いではありません。しかし、今回の作品ばかりは観に行くまいかと・・・・どうも、ネットでの批評がいまいちで、特に原作のファンからは幻滅の声が上がっているからです。
そもそも『ゲド戦記』は宮崎駿監督がお若い頃からアニメ化の夢を抱いておられたものだったそうですが、なかなか原作者の許可が下りなかったそうです。(作者のル・グィンさんは宮崎アニメだけでなく、世界のどこの映画会社からのオファーも断り続けていたらしいのですが。)しかし、最近の宮崎監督の世界的な評価でお考えが変わったらしく、ル・グィンさんから、映画化しても良いという返事が来た時に、たまたま宮崎監督が『ハウルの動く城』の制作を決めてしまっていたため、とりあえず息子さんを派遣して話をさせたとか。その時に見せた吾郎さんの絵コンテなどをル・グィンさんがいたく気に入ったとかで、それで「息子さんの方でも良い」という話になったとどこかで読みました。
お父さんの駿監督はその話を聞いて、大反対されたそうですが、周囲の説得もあって折れたということです。
原作のファンとしては息子さんの方で大丈夫か?という不安もあったのですが、ともかく、ル・グィンさんが気に入ってOKしたのだから、これは観に行かねばと思っていたのですが、やっぱりやめておいたほうが良さそうですね。
吾郎さんの才能のことはわかりませんが、誰であろうと初めての監督作品が『ゲド』ということ自体、思えばかなり無理があったと思うのです。他の才能あるアニメ作家や映画監督が取り組んだとしても、必ずしもうまく行ったとは思えない。『ゲド』の物語はそれだけ複雑で奥行きのある世界だからです。
試写会では途中で席を立たれてしまった(しばらくして戻った)そうですが、一番辛いのはお父さんの宮崎駿監督かもしれません。
以前、『ハリー・ポッター』の本が流行り出した時に友人から薦めれれて貸してもらったのですが、ばかばかしくてとうとう読み通せませんでした。つい、『ゲド戦記』と比べてしまったからです。孤児のような少年が(ゲドは孤児ではないのですが、それに近いような育ちです)魔法の学院に入って魔法使いになるという部分では共通しているのですが、描かれている世界の深さは全然違います。(まあ、『ハリー・ポッター』には『ハリー・ポッター』の良さもあるのかもしれませんが)
どちらも日本では児童書と分類されている読み物ですが、『ゲド戦記』のシリーズは深い意味では大人でないとわからない、むしろ、大人にこそ読んで欲しい本だと思っています。(特に4巻目の意味は若い人にはわかり難いと思う)私自身もいい大人になってから読んだものですが、すっかり虜になりました。映画で幻滅された方も、機会があれば是非一度、手に取って頂きたいものです。
読ませていただきました。
原作は奥深いもののようですね。
そういう思い題材をJr.が扱ったのが、そもそも間違いでした。
父の勘は当たっていたのでしょう!
この作品を原作のゲド戦記抜きに解釈したのですが龍と人間の世界の乱れ。人間の女のこに姿を変えた龍の顔のあざゆえに受ける差別。龍は親に殺されそうとして、人間のほうは父殺し。父殺しというモチ-フもギリシャ悲劇の「オイディプス王」やシェ-クスピアの「ハムレット」のような作品が年頭にあったのか・・・さらに自分の欲望に執着した魔法使いと人々のために旅をするゲド。ラストのみなが手-ブルを囲み歓談するのを見て「みんなで仲良くしようってことか?」と。
パンフレットなど読む気も怒らなかったので何とも言えませんがいろいろ解釈してましたが・・・まあ手抜きのお粗末なものという意見には同感です。どんないい作品でも受けての人間性が貧困ならこんなものしか創れないんだろうなと感じました。