炬燵での過ごし方といえば。
炬燵での過ごし方と言えば、思い出す句がある。「づぶ濡れの大名を見る炬燵かな」。づぶ濡れになった大名は威儀をただし、参勤交代の行列行進をしている。この寒さをものともせず、ずぶ濡れになったまま部下の武士とともに整然と行列行進するのが武士だと胸を張っている。道の両側には地面に這いつくばって頭を地面に擦りつけているずぶ濡れになっている農民たちがいる。この姿を一茶は炬燵に入り、障子の隙間からそっとのぞき見をしている。農民である一茶は家を出て道の脇に這いつくばりずぶ濡れになったまま頭を地面に擦りつけなければならないが、それを拒否し、家に隠れ炬燵に入り、障子の隙間からずぶ濡れになった大名や武士、農民たちをじっと見ている。農民なら誰でもがすることを拒否している。
農民の中には一茶を不届き者として指弾した者がいたであろう。冬の雨の中、震えながら大名行列を敬い拝んでいる農民たちの中にあって、家の中、炬燵に入って大名行列をそっと盗み見しているとは、何事かと怒った名主がいたであろう。冬の雨をものともせず、威儀をただし、整然と行進するのが武士だと主張する行為を讃える倫理規範から一茶は解放されていた。冬の雨の中の大名行列を炬燵に入ったまま平然と一茶は見ている。ここに身分の違いを認識しない一茶がいる。武士を讃えない農民、一茶がいる。農民であるにもかかわらず、農民であることを自覚しない一茶がいる。
立派な立ち居振る舞いだと農民から敬われ、有難い存在だと思われることによって武士は武士になる。このような倫理観が農民にあってこそ封建的な身分秩序は形成されていたにもかかわらず、一茶のような人々が増え始めると封建的な身分社会は崩壊を始める。18世紀から19世紀前半に生きた一茶は徳川封建制社会が崩壊に向かい始めていることを実感していたのかもしれない。
文学者一茶はその時代の本質を17文字を表現した。その句が「づぶ濡れの大名を見る炬燵かな」である。一茶が炬燵の中で見たものは崩れ行く徳川幕府体制であった。