醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより 277号  白井一道

2016-12-30 12:31:20 | 随筆・小説

 俳句らしい俳句にするには

華女 野火の句会に出て何か、学んだことはあった?
侘助 うん、一つは「茶の花」が冬の季語だということを知ったよ。
華女 お茶の木は冬、白い花をつけるよ。
句郎 そうなんだ。小さな花なのかな。
華女 二センチぐらいの花よ。黄色い雌蕊を白い花弁が囲んで咲くのよ。
句郎 「茶の花や午後の日差のぬくもりぬ」という提出句に対して主宰者の孝夫さんが▽を付けたんだ。なぜ▽を付けたのか、分からなかった。
華女 そうね。どうしてなのかしらね。分かったわ。切字が「や」と「ぬ」の二つが入っているということなんじゃないの。
句郎 正解。その通りなんだ。句に切れ字は一つがいいんだっけ。
華女 そうなんじゃない。
句郎 そうだよね。分かっていてもすぐには気が付かない。言われてもすぐには分からない。困ったことだよ。
華女 句郎君は分かっていたの。
句郎 うん、分かっていたよ。有名な句を知っているんだ。「降る雪や明治は遠くなりにけり」。
華女 中村草田男の句ね。
句郎 「降る雪や」と「けり」と、二つの切字が入っている有名な句だよ。
華女 成功している句もあるのよね。
句郎 「降る雪」と「明治は遠くなりにけり」のバランスがいいんじゃないのかな。降っているのは雪だなぁー、明治は本当に遠い昔になってしまったなぁーという感慨が深い思いを読者にあたえているんじゃないのかな。
華女 素人にはなかなかこのバランスがとれないのよね。
句郎 そうなんだろうね。だから切字を二つ、入れると句の焦点が絞れなくなってしまうということなのかな。
華女 確かに、そうね。お茶の花が咲いているわ。午後の日差がぬくいわと、言うのでは、やっぱり焦点がぼやけるわね。お茶の花が午後の日差の温みの中に咲いているのがとてもきれいだわと、詠んだ方が良いわね。
句郎 そうだよね。だから孝夫さんは「茶の花や午後の日差のぬくもりに」と添削した。
華女 完了の助動詞「ぬ」の終止形「ぬ」を連用形「に」に変えたのね。
句郎 「に」に変えたことによって「茶の花」を修飾する語句「午後の日差のぬくもりに」になった。これで季語「茶の花」に焦点が絞られたということかな。
華女 さすがね。
句郎 読んですぐ感じるということは長年の経験がそのような感覚を作っているんだろうね。
華女 でも理屈でわかることが初めなんじゃないの。
句郎 理由がしっかり分からなくちゃ、また同じような過ちを犯してしまうからね。確かに理屈でわかることが出発かな。
華女 句法というのかしらね。数学で言えば、公式のようなもの、その理屈を知ることね。その理屈が経験によって感覚にまで高まると俳句があふれ出すのかもしれないわよ。
句郎 そうだといいんだけどね。なんでもそうなんだろうね。数学なんかでも高校生の頃、公式ができるまでを何回も練習して初めて公式が持つ意味を実感した経験があるからね。
華女 原理が大事なのよ。

醸楽庵だより  276号  白井一道

2016-12-30 12:28:27 | 随筆・小説

 今年のベスト映画といえば

 今年見たベスト映画といえば、古い日本の映画、小津安二郎監督の「浮草」が良かった。カラー映画の画面が美しかった。京マチ子が綺麗だった。旅役者としての女の実在感があった。杉村春子が名優だと言われた理由を納得した。昭和30年代の田舎町の風情が美しかった。21世紀に生きるアメリカ人が小津映画を愛する理由が分かるような気がする。それは半世紀前の日本の風景が美しいからだろう。21世紀のニューヨークに生きる人々にとって半世紀前の日本人の情緒を懐かしいと思わせるからではないだろうか。
 映画「浮草」が発表されたのは1959年、昭和34年である。戦災のなかった日本の田舎町には戦前の風景が色濃く残っていた。チンドン屋が村の路地をめぐり、子供たちが後をついて回る。旅役者・嵐鯉十郎一座がやってきた。宣伝をしてまわる。あぁー、こんなことがあったなぁー。子供たちはお祭り気分になってはしゃぎまわる。男の旅役者は村の女をねめまわす。そうなんだろうな。旅芸人の一座が田舎町にやってくると田舎町の女たちの気持ちも浮足立ったのだろうな。その雰囲気が表現されている。わかるなぁー。
 この田舎町には鯉十郎が居酒屋をしている人との間にもうけた息子がいる。その息子を自分と同じような旅役者にはしたくないという強い思いがある。できるものなら大学まであげ、立派な職業に就かせたいという思いがある。この思いが挫かれていくところにこの映画の醍醐味がある。
 漂白に生きる者の哀しみが表現されている。生きる人間の哀しみに人の心の深い所で共感するのだ。