ちさはまだ青葉ながらに茄子汁 芭蕉 元禄7年
句郎 「ちさはまだ青葉ながらに茄子汁」元禄7年。『真蹟懐紙』に載せてある。「五月の雨風しきりに落ちて、大井川水出で侍りければ、島田にとど められて、如舟・如竹などいうふ人のもとにありて」と前詞がある。
華女 大井川で川の水が引くまで留められていた時に詠んだ句なのね。
句郎 塚本如舟亭で歓待してくれたことへの感謝を述べた句だと思う。
華女 如舟さんとは、何をしていたひとなのかしら。
句郎 島田宿の川庄屋だったらしい。
華女 「ちさ」とは、何かしら。
句郎 漢字書くと「苣」になる。読みは「ちしゃ」という。
華女 ちしゃのことね。ちしゃなら知っているわ。レタスに似た野菜よね。
句郎 川端茅舎の句に「生魚(なまざかな)すぐ飽きちさを所望かな」がある。
華女 お刺身の付け合わせにいいのよね。健康にもいいと聞いているわ。元禄時代にすでに芭蕉はちしゃを味わっていたのね。
句郎 日本原産のものは平安時代から食べられていたようだよ。
華女 ヨーロッパ原産のものようなイメージがあるけれども日本原産のものもあるということなのね。
句郎 きっと芭蕉が味わった苣(ちさ)は日本原産のものだったと思うけどね。
華女 きっとお刺身と付け合わせにちさがあったのよ。ご飯と茄子汁の歓待を受けたのね。
句郎 元禄時代にあっては、大変なご馳走だったのじゃないのかな。
華女 お酒も出ていたかもしれないわ。
句郎 春野菜の苣が晩夏を代表する野菜、茄子と一緒に出されていた。
華女 芭蕉は苣と茄子との組み合わせに興をそそられて詠んだ句がこの句だったのかもしれないわ。
句郎 芭蕉は元禄7年5月17日にこの句を詠んでいると今栄蔵は書いている。
華女 旧暦の元禄7年5月17日というと新暦に直すといつになるのかしら。
句郎 新暦に直すと1694年6月9日になるようだ。
華女 梅雨入りの頃ね。雨が降って大井川が増水したわけね。
句郎 苣はまだ出ていた。茄子はシーズンを迎えた頃かな。如舟は旬のものをご馳走したということかな。芭蕉は茄子汁と一緒な苣を味わったことに喜びを得たのだと思うな。
華女 芭蕉はグルメだったのね。
句郎 芭蕉は少年時代、藤堂家の台所用人だったと経験があるくらいだから、食べ物や料理についてはいろいろ知識があったようだ。
華女 「海苔汁の手際見せけり浅黄椀(あさぎわん)」。この句、芭蕉の句よね。芭蕉には食べ物を詠んだ句がいろいろあるわね。
句郎 そうだよね。「秋涼し手ごとにむけや瓜茄子」なんていう句もあるよ。
華女 その句は『おくのほそ道』に載せてある句よね。
句郎 「色付くや豆腐に落ちて薄紅葉」。芭蕉34歳の時の句のようだ。
華女 豆腐の上に薄い色の紅葉の葉が落ちてきたことに俳諧を見た句ね。
句郎 芭蕉は色彩感覚にも気を使っていたということかな。
華女 「身にしみて大根からし秋の風」という芭蕉の句があるのよ。秋風を表していると感じさせる句よね。
句郎 芭蕉には食べ物を詠んだ名句がたくさんあるね。芭蕉はお酒も好きだったようだし、いろいろ食べ物にも豊富な知識を持っていたのじゃないのかな。
華女 きっとそうなのよ。「ちさはまだ青葉ながらに」の「に」が上手な使い方だと思うわ。助詞の「に」はよく説明的になると言われるでしょ。だから「に」という助詞は難しいように思うのよ。この「に」は切れ字になっているのよね。そうでしょ。「青葉ながらに」で、半白の切れがあるのよね。
句郎 半白の間が読者の想像力を刺激するのかもしれないな。