醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1518号   白井一道

2020-09-12 10:36:39 | 随筆・小説



「ふるさと納税制度を導入したのが菅氏だ。その問題点」



自民党総裁選が9月14日に投開票となる。現時点では、国会議員票の約7割を固めた菅義偉官房長官が選挙戦を優位に進めている。
 その菅氏が選挙戦で実績としてアピールしているのが、ふるさと納税制度の導入だ。菅氏は、総務相時代の2007年に制度の創設を表明し、2012年に官房長官に就任してからは控除の限度額を倍増させた。
 ふるさと納税は、基礎控除(自己負担額)の2000円を除き、寄付した金額がそのまま税額控除される。さらに、寄付先の自治体から寄付金額に応じた返礼品が届くので、寄付をすればするほど寄付者が“もうかる”仕組みだ。
 この制度に反発したのが、地方税を所管する総務省だ。ふるさと納税は自治体間の返礼品競争を招くとともに、高所得者ほど節税効果が高まる。しかし、制度の問題が改善されることはなかった。なぜなら、提唱者が安倍政権のナンバー2である菅官房長官だったからだ。
 総務省では2014年、自治税務局長(当時)を務めていた平嶋彰英氏が菅官房長官に対して直接、制度上の問題点を指摘していた。しかし、事務次官候補の一人だった平嶋氏は翌年7月に自治大学に異動となり、省外に出された。ふるさと納税に反対したことによる平嶋氏への左遷人事と言われ、霞が関の官僚を震え上がらせた。
 いったい、官邸で何が起きていたのか。現在は立教大学で特任教授を務める平嶋氏が実名で当時の様子を語ってくれた。
──ふるさと納税の寄付控除の上限枠倍増は、どのようにして求められたのですか。
 2012年12月に第2次安倍政権が発足して、ふるさと納税制度をつくった菅義偉さんが官房長官になりました。13年は消費増税の問題などがあったのでふるさと納税には手つかずだったのが、菅さんは、2014年になって寄付控除額の倍増と、税金の還付手続きで確定申告を省略する「ワンストップ特例」の導入、2000円の基礎控除の廃止を求めてきました。
──総務省では反対意見が多かったのでしょうか。
 賛成する人なんていません。総務省の役人どころか、少しでも税制度のことを知っている人なら「こんな制度はおかしい」と思っています。自民党でも、制度の変更を頑張っていたのは菅さんぐらいではないでしょうか。
 実際に、自民党に説明に行った時も国会議員の方から「受益者負担(公共サービスを受ける人が税負担をするという原則)はどうするんだ」というご意見もありました。
──菅さんは、ふるさと納税は自分の生まれ育った所に税金を払うことができる制度だとアピールしています。
 では、日本に在住している外国人が、子供を日本の学校に通わせながら「税金は母国に払う」と言ったらどうしますか。賛成する日本人はほとんどいないでしょう。
 また、自治体間の返礼品競争が激しくなることもわかりきっていました。その結果、アマゾンのギフト券を返礼品として配る自治体も出てきました。事実上の現金還元です。こうなると、自治体も返礼品を豪華にしていかなければならない。結局は、高知県奈半利町でふるさと納税制度をめぐって町職員を巻き込んだ汚職事件まで起きてしまいました。
──たしかに、ふるさと納税は基礎控除の2000円を除いて寄付額の全額(現在は住民税の2割が上限)が控除されるうえに、返礼品を得ることができます。確実な節税方法ですが、税金を払って返礼品をもらうことは専門家から批判も多いです。菅官房長官が控除額を住民税の1割から2割に引き上げようとした時、問題点を伝えたのでしょうか。
 2014年12月、レクの資料と『100%得をする ふるさと納税生活』(扶桑社)という本のコピーをクリアファイルに入れて、内閣官房長官の執務室に行きました。この本には、年収1億円ほどと思われる著者が、600万円のふるさと納税をすることで税金の還付を受け、さらに手数料を除いた599万8000円に対する返礼品について<お取り寄せグルメ>と表現し、<これ、まじで生活できちゃうじゃないか……>と書いてありました。
 私としては、当時は消費増税の負担を国民に求めていた時だったので、ふるさと納税が高額納税者の節税対策になっている現状を示し、制度の問題点を説明しました。
──菅官房長官はどう答えたのでしょうか。
「地元に貢献したくて寄付する人もいる。そういう人間ばかりではない」と言うだけで、制度上の欠陥については理解を示してもらえる感じではありませんでした。「これはダメかな」と思ったのですが、資料だけは読んでもらいたいと思って、クリアファイルに入れて執務室に置いてきました。
 すると、その後にすぐ、内閣官房の職員が私の所にコピーをわざわざ返しに来ました。その後には総務省の上層部からも電話がかかってきて、これ以上は何も言わないように忠告されました。
──翌年の7月に、平嶋さんは自治大学校長に異動となります。事務次官候補だった平嶋さんが省外に出されたことで、安倍政権に異論を唱えた人にたいする「見せしめ人事」との声もあがりました。
 私の人事については、高市早苗総務大臣が記者会見で法令に則って「適材適所で任命する」と答え、菅さんも国会で「まったくの事実無根」と答弁していますから、私が何か付け加えることはありません。
 ただ、クリアファイルの件から年が明けた2015年の初めに、高市大臣から「菅さんと何があったの? 謝りに行ってきなさいよ」と言われたことはありました。ですが、官僚として制度上の欠陥を指摘するのは当然の仕事なので、謝る必要はないと思ってそのままにしていました。
 こういった経緯もあったので、人事については何かあるかもしれないなとは思っていました。
──官房長官に意見することに、怖さはなかったのですか。
 日本が戦争で負けたのは、米国と戦っても負けることはわかっていたのに、軍人を含む官僚たちが政治家に客観的な事実を報告しなかったからです。政治家にとって耳の痛い話でも、役人は事実をちゃんと報告することが仕事です。それをしなかったから、たくさんの悲劇が起きた。
 私としては、事実を伝えることは役人としての当然の仕事で、このことについては今でも後悔はありません。
──ふるさと納税では、地方自治体で働く職員の負担増も問題になっています。
 自治体の納税課で働く職員を描いた『ゼイチョー!』という漫画をご存知でしょうか。この漫画では、税金を滞納する人に対してどうやって税金を払ってもらうかについて描かれています。
 会社員の方は給料から天引きで税金が引かれているので知らない人が多いのですが、税金の滞納者は生活が苦しい方がほとんど。シングルマザーで水商売をしながら子供を育てている女性など、本当に税金を払えない人がたくさんいます。そういった人に対しても、職員は「今すぐ全額払えなくとも、地域社会の会費なので、必ず払ってもらわなければなりません。分割で払いましょう」などと説得して、日々徴収作業をしているのです。
 その一方で、高額所得者が自分の住んでいる自治体に税金を払わずに、高級肉やカニなどをもらっている。税金とは、国民の財産から現金を無理に納めてもらうという意味で、役人にとって神聖な仕事です。ふるさと納税は、そういった神聖な税制度の根幹を揺るがすものなのです。
 誤解しないでいただきたいのは、私は、ふるさと納税をして返礼品を得ている人を批判しているわけではありません。ふるさと納税は、やった方が経済的合理性があるのですから、高額所得者が返礼品をもらいたいと思うのは当然のことです。問題は、こういう制度をつくってしまったこと。総務省の後輩たちには申し訳ない気持ちです。私としては、もっと別のやり方があったのではないかと、今でも忸怩たる思いです。
──現在、自治体が提供する返礼品は、送料や手数料などの経費を含めて寄付額の5割までに制限されています。一方で、返礼品を紹介するウェブサイトが人気を集めています。
 経費を含めて5割までということは、寄付した人の金額の5割が税収から失われているということです。返礼品を紹介するウェブサイトは、ふるさと納税の金額から15%ほどの手数料を得ていると報道されています。近年ではテレビなどでウェブサイトの広告が出ていますが、これも原資は地方自治体の税収になるはずだった税金です。
──ふるさと納税制度をめぐっては、アマゾンギフト券などの返礼品で寄付者を集めた大阪府泉佐野市が制度の対象外となり、同市が国に裁判を起こしました。最高裁では、高裁の判断を覆して泉佐野市が勝訴しました。
 総務省が負けたのは当然です。返礼品は法律で禁止されていないのですから。むしろ、高裁で総務省が勝ったことの方が不思議でした。総務省が返礼品を制限する通知を出しても、法的な根拠がなければ裁判では勝つことができないだろうなと思っていました。
──すでに総務省を退官しているとはいえ、自ら関わった制度の成立のウラ事情を話そうと思ったのはなぜでしょうか。
 菅さんとしては、役人の意見を政治家が押さえつけ、自らの政策を実現させることがリーダーシップだと思っているのかもしれませんが、ふるさと納税は、税制度に対する国民の不信感を高めることになります。
 私は、膵臓がんにかかり、昨年は脳梗塞になって現在はリハビリ中です。それでも、メディアの方がふるさと納税の成立までの経緯を検証したいというのであれば、それは制度に関わった当事者の一人として、説明する責任があると思っています。
(聞き手/本誌・西岡千史)